1-13-3A-12 星への道)幸せの印
感情を押し殺し、納得し難い事を無理矢理に納得する。その行動が大人に成った証というのなら、私は成人まであと僅かの19歳で大人になった。
科学に絶対は無い。DNA検査には天文学的確率と言え誤差が生じる。故に知らされた結果も、その他の状況を考慮すると、その類稀なる誤差である。
そう考えるのが普通の人間。残念ながら、祖父母、叔父さん、そして我が母にはそれは通じなかった。
叔母さん、従姉妹、従弟、父と私達姉妹の意見は一顧だにされず、数年前のあの日、実際の生誕日から計算すると本当は年上だけれど生物学的年齢は年下。けれど公的な記録上では既に死亡していて、死亡届が受理さてれいる。でも、生物学的には生存している。だから無戸籍子を養子縁組する事で戸籍を得た、母の妹の紗樹ちゃんが私達の親族で最も年下の従妹として加わった。
何を言っているのか分からないって?安心して、理解が出来る方が変だから。
紗樹ちゃんが私達に話した内容は、ドラマや映画ならまだしも、現実だと言い張るには無理のある内容だと思う。中身がぶっ飛び過ぎ。
曰く、独りで過ごしていたのは9カ月程度なのに、戻って来てみればは35年も経っていた。見上げた空に見える太陽は連星だった。今と同じ様な建物は在ったし物も在った。けれど、他人は1・2回見ただけでそれ以外の人は居なかった。
見かけた人達も皆死んだ。血の色が蛍光赤紫の獣に襲われて死んだ。生き延びるために獣と闘い続けていた。食事は最初の頃は缶詰を食べていた。けれど、後の方になると缶詰は出来るだけ食べないで、倒した獣を食べていた。滅多に居なかったけれど大蜥蜴は、ご馳走だった。
法螺にも程がある。自分の記憶を改竄してでも、虐待から生き延びるのに必死だったんだろうな。その事実を知っている母達は、そんな過去を忘れる為の紗樹ちゃんの法螺話に付き合っている。そう考えた方が、理に適っている。
本当は何処で生活していたのかは、分からない。紗樹ちゃんの行動から推測すると、人里離れた山奥の廃村じゃないかと思う。そしてその場所では、自分で獲物を狩らないと満足な食事も出来ない場所だったのではと思う。
狩をしていたと思う根拠はある。新たな親族となり然程経っていない頃、冷たい目をした紗樹ちゃんが大型犬を殺そうとした事がある。
所有物の力を自分の力と思い込み行動する。そんな愚か者は世の中から居なくならない。私達が訪れていたバーベキュー場を、大型犬のリードを外し徘徊させていた中年男性もそのひとり。
周囲の人間が、いきなり近寄って来るリードが外れた大型犬に怯える姿を見て薄ら笑いを浮かべていたので、意図的だったのだと思う。
警察官である両親が、それは違法であるとして注意しても、なら何とかしてみろと挑発してくる始末。両親が通報しようとすると犬をけしかけようとする。
一触即発の状態を、私がスマホで撮影していると、両親を威嚇していた犬が、いきなり怯えた様な情けない鳴き声を上げた。
画面の中に、左手にザバイバルナイフを逆手に持ち、右手に持った鉈の峰を肩にあてながら、凍てついた眼差しで犬を見つめる紗樹ちゃんが居た。
「紗樹、やめなさい。見逃してあげなさい」
お祖母ちゃんが止めなかったら、紗樹ちゃんは鉈を振り下ろしていたと思う。お祖母ちゃんの言葉を合図に、蛇に睨まれた蛙の様に怯え、身動きが取れなかった犬が逃げ出し、それを追いかけて男性も居なくなった。
「気配を消して忍び寄って来る捕食獣に比べたら、脅しの殺気だけの相手なんて怖くとも何ともない。あんなの簡単に狩れる獲物だよ」
あの手の人間は、勝手に逆恨みをしてくる。今度からは警察官に任せる様にと、苦言を述べた母に対する、今でも語り草の紗樹ちゃんの最悪の反論。
それを切っ掛けとした母の、いつ終わるとも知れない小言の間に、撮っていた動画を確認してみた。すると、私達が気づいていなかっただけで、紗樹ちゃんは初めの方から映っていた。
流れる様な動作で腰の鉈とナイフを抜き放ち、誰にも気づかれずに画面の奥の方から男と犬に近づく紗樹ちゃんの目は、年下の可愛い従妹の目ではなく、凍てついた捕食獣の眼差しだった。
普通に生きていたら、あんな眼差しをする機会は早々ない。紗樹ちゃんの言っている事は、本当なのかもれないと少しだけ思った。まぁ、そんな馬鹿な事が起きたなんてあり得ないけどね。
でも画像を見てひとつだけ確信した事がある。もし犬が紗樹ちゃんに歯向かい襲かかっていたら、紗樹ちゃんは犬を躊躇なく殺していたと思う。
それも、今は昔の話。あの後も度々見る事になった捕食獣の眼差しを最近は見ない。巧く隠せるようになった。意図的に眼差しを変えているだけかもしれない。けれど、人に見せなくなっただけでも大進歩。それで良しとしないと。
「もう少し、ロビーで待ってて」
「美彩ちゃんまだ来ない……。じろじろ見られてる。ここに座ってて大丈夫?」
「大丈夫だから、待ってて」
「はいほー」
SNSって便利よね。こうやって会議の最中にも使える。というかさ!私は今日はフレックスで早く帰るって言ってあったよね?だから、その考えは捨てようよ、そんな娘は見つからないからさ。
紗樹ちゃんが、じろじろ見られるのは、まぁ仕方ないかな。恐らく今日も、ヘッドホンを掛けて何かを聴きながら待っているのだろう。
今日のロビーは人が多い。いくらビッグレーベルの我社のロビーといえ、デビュー前の卵達をよく見かけるなんてことはない。今日は、売り込みやら何やらがの挨拶が重なり特別に多いだけ。
そんな中、地毛が明るい栗毛の少女が学校帰りのセーラー服姿でロビーに、マネージャーも伴わずひとりで座っていれば、そりゃ目立つ。紗樹ちゃん不幸な事故よ、諦めて。
パパ、従姉の香奈実ちゃんと美彩ちゃんにとってはお爺ちゃんの誕生日プレゼントを一緒に選ぼうと、香奈実ちゃんの勤務先で待ち合わせ。
決して、ひとりで選ぶのが面倒とか、良くわからないとか、三人寄れば文殊の知恵とか、近くの美味しい洋食屋さんで夕飯を奢ってもらえるからとかそんな不純な理由じゃない。買い物もこの近くでするから効率的、そう効率化よ、効率化。
ひとりで制服のままでいるからか、さっきから色んな人にみ見つめられる。美彩ちゃん早く来ないかな。美彩ちゃんが来て、複数になれば視線も減るはず。
でも流石、ビッグレーベルのロビー。芸能関係っぽい人達が何人もいる。あの人達は何処かで見た事がある。あれはデビュー前の人達だろうか。
凄い世界だなと思うけれど、香奈実ちゃん曰く、煌びやかな世界に憧れて毎年1000人近くデビューしても、残るのは1人か2人の厳しい世界。どんな世界も甘い世界なんて無いということ。
周りのあちらこちらから見られている気配を感じる。うーん、やっぱり場違いなのが居ると思って見られているのかな?
「大丈夫、気にしないで座って待ってて」
正直に言えば、紗樹ちゃんが、周りから見られるとメッセージを送って来るのが嬉しい。
月日は人を癒してくれると言うけど、本当にそう。会ったばかりの紗樹ちゃんは、屋内では音が無い事を異様なまでに怖がり、屋外では音を立てるのを酷く嫌がった。
足音が無いだけなら未だ良い、気配を消すので他人から認識されないなんて日常茶飯事。見られているということは、気配が有ると言う事。周りを怖がっていないんだと思うと少し嬉しい。
最近の紗樹ちゃんは、時々、聴いている曲を小声で口ずさんでしまう悪癖が出来た。この悪癖を家族、特にお祖母ちゃんと、うちのお母さんは喜んでいる。
気配を消さず、音を聞き、音を出す。他人には何でもない普通の事でも、昔の紗樹ちゃんは違った。そんな小さな変化、普通に戻っていく姿を見られるのが幸せなのだ。
「では、明後日の13時に、候補を持ち寄るということで」
ガールズバンドの練習の休息時間になり、スポーツ飲料を飲みながら談笑を始める少女達。その中のひとりの眼差しが強い眼差しに変わると、スポーツ飲料を持ちながら、聞えるか聞こえないかの小声で歌を口ずさみ、スポーツ飲料を持っていない手を上下に動かし、音程の再確認を始める。それを背景に「未来を掴め」とナレーションの入るスポーツ飲料のCM。
今回持ち寄った候補者リストからは、強い眼差しを出せる少女を見つけられず。じゃぁこちらの娘を使えば?いやいやそれならこっちの娘の方がと、会議は堂々巡り。結局、今日は何も決まらず。取り敢えず明後日までに再度候補者リストを持ち寄る事だけを決めて終了した。
そもそも、コンセプトが間違いじゃないとかと思うけれど、それを口には出さない。え?出すべきだ?あなた馬鹿?そんな事を言ったら会議は紛糾し、延々と不毛な会議が続くだけでしょ?賢い社会人になりたければ、口を閉ざすべき時を心得ていないと駄目ね。
急いで帰り支度を済ませロビーに来てみれば、いつもより人が多いロビーのそこ此処で、短い挨拶が繰り広げられている。
たかが挨拶と馬鹿にすること無かれ。どれほど細い糸であっても、糸を手繰り寄せた者だけが階段を登れるこの世界では、どんな短い挨拶の糸口であっても大事。
そんな人達を躱しながらロビーの奥に足を進めると、幾つかのグループが見ている方向から微かに柔らかい声が聞こえる。片手を小さく振りつつ何やら楽しそうにしている、ヘッドホンを掛けたセーラー服の少女がその声の主。
どうやら、今日の小声の音量は少し大きいみたいね。ふむ。別に紗樹ちゃんは音痴でもない。傍に行って声をかけるまで、面白いから放っておこう。
「あの娘を知っているみたいだけど、何処の所属かな?マネージャー誰だか知っているかい?」




