1-13-3A-11 星への道)あなたは、あなた
「?!」
危なかった、動揺している間に距離を一気に縮められる所だった。なるほど、油断させるのが目的で、あのおじさんは、変なおじさんの振りをしたのか。
参ったな……。逃げる方向が見つけられない。歩道側にはおばさんと、変なおじさん。正面建物寄りにはおじさん。逃げるとなると、一旦、建物寄りに走り込まないと駄目だ。
そうすると、警察官とか言っていたおじさんの横を通るしかない。どうやら、このおじさんは、背中側の女の人達、姉妹かな?を庇っているみたいだ。
その姉妹達の横には少年?それと別の姉妹とおばさん、お爺ちゃんとお祖母ちゃんが居る。親戚か何かなのかな。これは使える。一気にあの集団に近づけば、このおじさんも迂闊に私に手を出せない筈。
問題は、おじさんも、同じく警察官だと言っていたおばさんも、私の行動を予測していること。一瞬が勝負だ。相手が油断した瞬間しか勝機はない。
一瞬が勝負だ。気配を殺すんだ。悟られたら終わりだ。こんな所で死んで堪るもんか!私は家に帰るんだ!
くそぅっ!冷汗が止まらない。こいつは、やる気だ。掛けても良い、一気に勝負を掛けて来る。ママも気づいているみたいだが、何が原因かは分からないが動揺が収まっていないので対処が遅れるかもしれない。
でも、どうしたんだ、ママと義兄の様子がおかしすぎる。確かに同姓同名で、年恰好も死んだときの紗樹ちゃんに似ているのか?だからなのかもしれないが、余りにもおかしい。動揺が激しすぎる。
しかし、こいつもオカシイだろ!何故か、義兄のぶっ飛び発言に動揺している少女を、今が取り押さえるチャンスだと近づこうとしたら、一瞬で動揺を抑え、何時でも鉈を抜き放てる姿勢になった。
不幸中の幸いなのは、周囲に居るのは親族くらい。他の人達は、落雷が七色の落雷に変わったのでそちらに夢中で、此方に気づいていない事。これで野次馬がいたら、目も当てられなかった。さて、どう仕切り直しをするべきかと悩んでいたら、義父母がその悩みを破壊してくれた。
「貴女、大丈夫?怪我は無い?」
「おう。大丈夫か?」
お義父さん、お義母さん、あなた達という人は……。これだから老齢者、それも戦中派は手に負えない。
思わず義父母の方を見てしまい、一瞬とはいえ視線を外していた事に気づき、慌てて視線を戻した先には、先ほどまでの険吞な女の子は居なかった。
視線の先には、目を見開いてお義母さん、ママ、義兄そして義父さんを何度も見比べ、年相応な雰囲気で動揺する女の子しか居なかった。
「紗……樹?!紗樹?!紗樹なのっ?!」
警察官のおじさんをどうやって躱すか、そのタイミングを計っている時に後ろからお祖母ちゃんがやってきた。棚から牡丹餅。飛んで火にいる夏の虫。これで逃げ易くなると、お祖母ちゃんの顔を見ると、ママが年を取ったらこんな風になる。そんな感じのお祖母ちゃんが見えた。
私は相当疲れているらしい。確かに家族は恋しいけれどこれは重症だと思う。お祖母ちゃんの横にいるお爺ちゃんを見たら、パパが年をとったらこんな風になる。そんな感じだった。
思わず見つめたら、お祖母ちゃんがいきなり私の名前を呼んだ。何であなたは私の名前を知っているの?なんで?
うん。やっぱり私は疲れているんだ。だって音も聞こえ難くなってきてる。あ……近づいて来ようとしている、逃げないと。こんな所で変な人達に捕まる訳にはいかない。ああ……逃げないと。ここから逃げないと。家に帰るんだから。
「しっかりしなさい!紗樹!しっかりして!」
「ママしっかりして!この娘は紗樹に似ているけど、紗樹じゃないから!」
「いいえ、この娘は紗樹です。母親が我が子の顔を忘れるものですか」
両親がこっちに来た時は、心臓が止まるかと思ったけれど、両親を見た女の子は、目を見開いて、両親、兄そして私を見比べ始め、後退りし出した。
ここで逃がしたら駄目だと思い動こうとした時に、母が止めの一撃を放った。女の子が名乗った時はここに居なかったので、知るはずない女の子の名前を呼んだ。
その途端に呼ばれた女の子の目から涙が溢れだし、体が揺れ出したと思えば女の子は倒れた。余りにも早い流れについて行けず、手を伸ばすことも出来なかった私と違い、咄嗟に女の子を支え抱えたパパ、グッジョブ。今日は少し多めに飲んでも目をつぶってあげよう。
問題は、先ほどから紗樹だと言い続ける母を何とかしないと。確かに、この娘は紗樹にそっくり。でも紗樹である訳がない。紗樹は35年前に死んだのだから。
仮に紗樹だとしても、生きていたとしたら、おばさんになっている。こんな女の子じゃない。
認知症というのは、こんなにも一気に進むものなのだろうか?後で兄に聞いておかないと。
「暴行されている痕跡はない、少なくともそれは救いだな」
寝ている間に、嫌な話だが性的暴行被害の有無を含めて簡単な検査は済ませた。世界は光り輝く場所ばかりじゃない。この日本だって、絶対数は少ないものの、外国と同じ様な闇はある。
手足に擦過傷が幾つかあると聞いた時は、嫌な未来を想像してしまったけれど、今のところ異常はないとのこと。何も無くて、本当に良かった。
早く精密検査をしろと両親が煩い。本当に困った人達だ。医師の兄夫婦が、精密検査は彼女が意識を取り戻した後に行うから、もう少し待つように説明している。
兄達も大変だ。直ぐに家に連れて帰ると言うのを、一苦労して説得したと思えば、またこれだ。頑張れ、百鬼家、長男。
入院に付随する警察への連絡等は、私達夫婦が少しばかり職権を乱用させてもらった。もうすぐ退官だし、少しばかりは良いでしょう?
小一時間程で、目覚めるだろうと兄は言う。そうね、早く目覚めてもらって、何処の誰なのか教えてもらわないと。
でも、見れば見る程、本当に紗樹にそっくりね、貴女。本当に、何処の誰なのかしらね?
貴女には悪いけれど、時間が勿体ないから、勝手に貴女の荷物をチェックさせてもらってるね。
「この娘は、サバイバルでもしていたのかな?」
荷物チェックをを手伝おうと、机に近づくと、ひとりで先に荷物チェックをしていたパパが、深い溜息をつきながら、私に聞いきた。
何を見つけたのだろうと、見てみれば。凡そ女の子の荷物じゃなかった。机の上に広げられたあの娘の持ち物は、生き延びるのに必要な実用的なものばかり。
何度も読み返された跡のあるサバイバルのハウツー本ってなによ?!女の子なら、ファッションの雑誌とか、芸能関係の雑誌じゃないの?余白に生きるんだ!帰るんだ!って何よ?!
使い込まれた軍人が持つような形の水筒って何よ?お洒落なボトル水筒じゃないの?使った形跡のあるお手製のペットボトル利用の蓋つきの濾過装置て何よ?どんな水を飲んでたの?
丁寧に包まれた物があると思って開けてみれば、ビニールで何重にも包んで更に布製のショルダーバッグで丁寧に包んだ年代物のウォークマンとヘッドホン。誰の形見なの?
そして使いこまれたマチェットナイフにサバイバルナイフ。貴女と会った時に、私達が恐れた鉈と思っていたのは、マチェットナイフ!?貴女、どこでこんなものを手に入れたの?!
マチェットナイフの柄には貴女が自分で巻いたのでしょうね、滑り止めの布が巻かれている。そしてナイフの刃は何度も研がれて跡があった。貴女、マチェットナイフとサバイバルナイフで何と闘ってきたの、何から身を守っていたの?
そういえば、貴女の荷物の中に写真一枚もなかったね。家族はどんな人なのかな?家出をしてきたのかな?お父さんとお母さんが心配しているよ?
「何を馬鹿みたいな事を考えているのかな、私は……」
目を覚ましたと連絡を受け、部屋に戻ってみれば、冷静な目で回りを窺う貴女が居た。貴女の年頃ならば、意識を取り戻したときに周りを知らない人達に取り囲まれていれば狼狽くらいはする。
なのに、貴女はは氷の様に冷静。いざとなったら取り押さえられる様に、パパと阿吽の呼吸でベッドの両脇に立った時、一瞬だけど目がイラついていた。貴女、逃げる気満々なのね。
何だろう、寝起きの機嫌が馬鹿みたいに悪いのって、紗樹にそっくり。本当、貴女って紗樹みたい。
視界の隅では、目覚めた貴女に近づこうとする母を兄嫁の冴子さんが、精密検査前だからと押し留めている。頑張れ冴子さん。母が大変、迷惑を掛けます。
そんな母を見て、貴女が一瞬、動揺した様に見えたけれど、気のせいかな?
「貴女の身元照会の為にDNA検査をするけど、良いかな?」
今の世の中なら、DNA検査という言葉はドラマやら何やらで耳にしたことがあるだろう。だけど女医の冴子さんが貴女に聞いた時、貴女は、その言葉を知らなかった。普通は、聞いたことも無い内容で検査をされるのは怖がるでしょうに、遺伝子検査の説明を受けている時の貴女の眼は氷の様に冷静だった。
検査にも淡々と応じ、顔色ひとつ変えない。貴女は何処に感情を捨ててきたの?そして、ひと時も警戒心を緩めない。ねぇ?貴女に何があったの?
「そうね、身元照会に必要だものね」
DNAチェックは身元照会のためで、此処に居る全員が行うのは比較チェックの為だという兄の苦しい言い訳に、私は異論を挟まなかった。
口では色々言い訳していたけれど、何だろうな、科学的な根拠の無い単なる直感だけど、目覚めた貴女を見た時、私の中で貴女は紗樹だって、認めたんだろうな。
DNAチェックの結果に関わらず、貴女が天涯孤独なら引き取ろうってこの時思ってしまったんだもの。
10日後、DNA検査の結果は、親子関係一致。我が妹は、35年間もの長い時を飛び越えて私達の下に還って来た。




