1-13-3A-10 星への道)同姓同名
「早く、こっちに!早く!この屋根の下に!」
流石と言うべきか、事務方の官僚同然とは言え、過去に少しだけだが、現場経験もある現役警察官僚の我が両親。いち早く、膝をついている人に此方に逃げ込むように声を掛けている。
膝をついていた人の体から、光の粒が流れ出ている様に見えて、一瞬固まってしまった私達姉妹とは違う。
「大丈夫ですか?」
流れる様な所作で、パパが、此方に駆け込んできたこいつと、娘達の間に割って入った。そして、パパがあいつに呼びかけている声が硬い。
分かる、現場経験がそこまでない私にだって分る。こいつは危ない。目深に被ったフードの奥に見えた目が、とても普通の人間の目じゃない。
こいつの薄すぎる雰囲気が危ない。確かに、こいつからは殺気や、威圧する様な雰囲気は全く感じない。落雷に怯えていたとか、驚いていた素振りすらもない。
変な言い方かもしれないけど、目を逸らしたら見失いそうに感じる。私より随分と小柄だからとかそんな理由じゃなくて、目の前に居るのに見失いそうに感じる。
異様、こいつは異様だ。ひとりの人間が、こうまで気配を消せるなんておかしい。それほど迄に気配が薄い。普通の奴じゃない。
パパが飛び掛かる時に一緒に飛び掛からないと、抑えられないかもしれない。
咄嗟に娘達との間に割って入って正解だった。こいつは、ヤバイ。いざ飛び掛かる場合に丁度良い位置にママも立っている。とは言え、こいつを私達夫婦で抑えきれるだろうか?
半身の姿勢が気になり良く観察してみれば、腰の左側に吊り下げた鉈だろうか?鉈の柄に右手が添えられている。
随分と使い込まれた鉈の柄には、滑り止めの布が巻かれ、そして、それに手を添えながら此方を見つめている目が、尋常じゃない。
殺気も威圧感も全く感じない。だが、こいつは、鞘から鉈を抜き放ったら躊躇なく殺しにかかって来る。そんな気がする。
「右手を腰のそれから離してもらえないかな?」
なんて、陳腐な問いかけをしているんだ、俺は。だが、もしもの時は、命に代えてでも、せめて娘達だけでも逃がさないと。非番だというのに、なんてこった。
死を覚悟して光の柱に飛び込むと、一瞬で中に引き込まれる様に感じ、気付けば地面に膝をついた状態になってた。何も起きなかった?!と思っていたら。人の声、懐かしい日本語が聞こえた。
声のする方を向けば、そこは危ないから早く屋根の下にに来いと男性が叫んでいた。確かに気付けば周りの歩道にバンバン落雷している。
とりあえず屋根の下にに駆け込むと、私を呼んでいた男性の顔が若干厳しい。そして、おばさんが男性をフォローする立ち位置に動いてきた。これは……いざとなったら、殺してでも逃げないと駄目かも。
「聞こえてるかな?聞えているなら、手を鉈から離して、鉈を腰から外して地面に置いてくれないかな?」
「ここはどこですか?日本ですか?何駅ですか?」
目深に被ったフードと、顔に巻きつけた布のお陰で目だけしか見えない。姿形から推測すれば男性じゃない、恐らくは女性。
下手に激高させない様に、パパがもう一度、鉈から手を離す様に話しかけたとき、聞えた声は、女性は女性でも子供の様な声色だった。
声色なんてどうでも良い、返された質問の内容の方が問題。明らかに東京駅の前で、ここは日本ですか?とか、東京駅ですか?と聞いてくると言うことは、周囲の状況認識が出来ていないと言う事。
仮に精神を病んでいるとしたら、少しの事で感情の起伏が激しくなる場合もある。更に若いとなると力もある。取り押さえる時に相当抵抗するかもしれない。注意しないと駄目だ。
と思っていたら、家族に連絡を取りたいので、公衆電話の場所か、交番の場所を教え欲しいと言う。一定部分で、まとも?これは、対処が難しいかも。狂気と正常の境目が希薄な人間は、ほんの些細な事象が、狂気のトリガーになるので危ない。
もうひとり男の人がこっちに来た。けれど、この男性はそこまで脅威じゃない。脅威はやっぱり、このおじさんとおばさん。目つきが違う。でも、殺気は感じない。仕掛けるなら、恐怖の匂いが、より強いおばさんの方かな。
「家族に連絡と取りたいのですか?私は実は非番の警察官でして、お名前を教えて貰えますか?」
パパが会話を続けて、相手の警戒感を下げようと話しかけた内容が、私達を混沌に叩き込むなんて思ってもいなかった。
「名前ですか?私は、なきり さき と言います。百の鬼とかいて百鬼、糸偏に少ないの紗に樹木の樹で紗樹と言います」
目の前の女が言った名前は、35年前の今日、私達の目の前で、髪の毛1本すら残さず消し飛び、死んでしまった妹の紗樹と同じ名前。
私の旧姓はそこまで一般的なものじゃないのに、同姓同名って何よ!やめてよ!何で、同姓同名なのよ!何で今日なのよ!何処まで神様は私達を苦しめるのよ!
でも、良かった、離れたところに立っている両親には今の発言は聞こえていない。聞えていたとしたら、残酷過ぎる。
「百鬼紗……樹?紗樹だと?!」
パパが人相風体を明らかにさせるために、此方から家族に連絡するときに伝えるからと、フードを下ろして、顔に巻いた布をずらす様にお願いした時、私の真横から兄の声が聞こえた
何てこと、いつの間にか私の傍に来ていた兄には聞こえてしまったみたいだ。なんで医師としての職業倫理を発揮して、負傷の有無をこのタイミングで調べにくるのか。何て間が悪いのよ。
「はい。百鬼紗樹と言います」
でも、聞えた名前なんて、混沌の序章でしかなかった。
女がフードを下ろし、顔に巻いた布を解いた時、そこに現れたのは厳しい目をした未だ子供っぽさが多く残った少女の顔だった。
私の記憶にある、へにゃっとした笑顔をしていた紗樹から笑顔を消し、少し気が弱そうに見える目を、厳しい眼差しを湛える眼に変えた紗樹が居た。
あの時から少し成長した、少し日焼けして引き締まった顔の紗樹が居た。嗚呼……私は何を考えてるのよ。紗樹の訳がないでしょうに。
俺は可笑しくなってしまったのだろうか?何の運命の悪戯か、死んだ妹と同姓同名を名乗る少女の顔が、死んでしまった妹の顔にそっくりに見える。
横目で桜を見てみれば、目を見開いて少女を見ている。そりゃそうだ。ここまで似ていたら驚く、挙句に同姓同名だ、驚かない訳がない。
桜の旦那が、そんな俺達を見て、目の前の少女から目を余り逸らせない様にしつつも、何度か此方を見て怪訝な顔をしている。
そりゃそうだろうよ。大の大人ふたりが揃って目を見開いて胡散臭い少女を見つめているのだから。
分かってる。在り得ないことは分っている。あの時から少し成長しただけの紗樹が現れる訳がない。しかし、心がそれを聞けと叫んでいる。そして俺はそれを止められない。
「紗樹、俺が分かるか?お兄ぃだ。分かるか?」
兄の医者とはあるまじき、少しぶっ飛んだ発言に、私達夫婦が思わず兄の顔を見つめていた間に、少女は私達から1・2歩ほど音も無く離れていた。いつの間に移動してるのよ!何の音も聞こえなかったわよ!何なのこの娘!
ああもう!挙句に鉈に添えられていた右手は、今では鉈をしっかりと握り締めている。どうすんのよ、これ!馬鹿兄!あんた馬鹿じゃないの?!
でも、心の奥底が叫んでる。貴女も言いなさいって。お姉ちゃんだと言いなさいって。何を馬鹿な事を私は考えてるのよ。あの当時のままで紗樹が現れる訳が無いでしょうに。
「は?」
周りを覗えば、この3人だけではなくて、何人も人が居る気配がある。もっと大勢に取り囲まれて、逃げきれなくなる前に逃げだそうかと考えながら名乗ったら、もうひとりのおじさんが変な事を言い出した。何を言ってるのかな?このおじさんは?危ない人?!
お兄ぃはあんたみたいなおっさんじゃないよ!と思いながら、変なおじさんの顔を見てみれば、あれ?お兄ぃが年を取ったら、こんな風になるのかもしれない?
いや、いや、いや、いや。何を考えているんだか。たった9ヶ月半程度で、お兄ぃがおっさんになるなんて、浦島太郎の玉手箱じゃあるまいし。
ほら、おじさんや、おばさんも、このおっさん何を言ってるんだ?みたいな顔をして見つめてるし。変なおじさんなんだよ、この人は多分。
あれ?おばさんが、紗樹って呟きながら泣きそうな顔でこっちを見てる。何で?あれ?おばさんの顔って、桜お姉ちゃんが年を取ったら、こんな感じになるみたいな顔で……。あれ?
変なおじさんと、私を捕まえようとしているおばさんが、お兄ぃとお姉ちゃんが年を取った時の顔に見えて来て。あれ?




