1-13-3A-9 星への道)落雷
何の変哲もない駅の外の通路を、うちの家族、両親、妹の家族で、お参りする。
通行人の邪魔にならない様に通路の端からそこを眺めるだけの、お参りだ。
売名行為の議員と、それに便乗した権威叩きを目論んだワイドショーの声に押された訳ではないが、鉄道会社や自治体から、ガラス化したこの場所に慰霊碑やら鎮魂の像の類を作る話も出た。
親父と母さんは、 命日にお参りだけはさせて頂きたいけれど、慰霊碑は要らない。そんな物を作ってしまっては、お盆の時に紗樹がどの場所に戻ってきて良いか分からなくなる。そう言って固辞した。
それよりも、いつまでも事故の跡を残しておくのは、行き交う人達の邪魔になるので早く綺麗に修理して欲しいと、親父と母さんは望んだ。本音は、事故の跡が残っていると、どうしても紗樹の事を思い出してしまうからだと思う。
自治体や鉄道会社に喚き散らさない俺達は、ワイドショー的には非常に不満のある対応だったのだろう。暫くマスコミ対策でギクシャクしたが、反対に自治体や鉄道会社等との関係は、何年経っても良い関係のままだ。
普通の通路の一角でしかないこの場所に、花もお供え物も置かない。そんなものを置いてしまっては、鉄道会社の人の片付けの手間が増えるだけだと両親が言うので置かない。
今も視界の隅に、鉄道会社の警備員が、通常業務のひとつと理由をつけて、それとなく通行人を誘導してくれているのが見える。毎年、本当にありがたい。
向こう側では警察官が、何年か毎に現れるフリージャーナリストが、俺達を撮影しようとしているのを阻止してくれている。こちらも毎年、本当にありがたい。
最近は警察官の数が増えているが、まぁ、これは妹夫婦が2人とも警察官僚なのも理由のひとつなのかもしれないが、ありがたい事に変わりはない。
情けは人の為ならずとは良く言ったものだ。
警備員や警察官に守られている大所帯が、何の変哲もない通路を一部を眺めているのだ、行き交う人達から怪訝そうな視線は浴びる。
もう慣れてしまったが、子供達は居心地が悪そうだ。無理もない 子供達にとっては、お参りの巻き添えを食っているだけの話だ。
でも、もうあと少しの辛抱だ。親父に母さん、俺に桜が居なくなるまでの、あと何年かだけ、俺達が居なくなったら此処に来る必要はない。
さて、駅近くの派出所と、駅の事務所に挨拶も済ませた。東京駅に移動するか。
「!?」
ヘッドホンを掛けながら歩く、小学生高学年くらいの女の子の後ろ姿を見ると、未だに鼓動が跳ね上がる時がある。
そんな事は在り得ないのは分っているのに、紗樹か?!と思ってしまう。馬鹿みたいな話だ。あれからどれだけの時間が経ったと思っているんだ。
あの日、俺のウォークマンを強奪してお気に入りのロックを聴いていた紗樹は、降り注ぐ光の粒で星が降り注ぐ様に見えた光の柱と共に、俺のウォークマンも一緒に連れて消えてしまった。
この場所が、あんな大事件が起きた場所だと、知る人も少なくなった。時が癒してくれると言う。辛い記憶が消える訳では無いが、胸が潰される様な痛みは、昔ほど覚えなくなった。それもそうだ、もう35年も経つ。皆いい歳になった。
理由は未だに不明らしいが、紗樹の部分だけがピントがぼけた様になっている不明瞭な映像。不明瞭なお陰で、泣いているのか、笑っているのか分からない大写しになった紗樹の顔。それが、紗樹が俺達に残していった最後の姿。あいつの事だ、心配かけまいと笑って逝ってしまったんだろうな。
なぁ紗樹、お前はまだあの時の姿のままか?なぁ紗樹、元気か?俺も桜も歳を取ったが、親父や母さんはそれ以上に歳を取った。あと何年かしたら、そっちに行く。そうしたら、そっちの世界を案内してくれ。
「うわ!すげぇ!星で出来た光の柱みたいじゃん!」
「すっごーいっ!早く撮って!早く撮って!」
晴天の空を一瞬で覆い尽くした黒雲から、光の柱が乱立する様に雷が落ちる。何本もの柱の様な落雷が天に向かってそびえ立つ神殿の柱の様に見える。天候が織りなした奇跡的で、荘厳な風景。
少し冷静になれば、何度も同じ場所から、落雷がまるで天に向かってそびえ立つ柱の様に見える光景に違和感を覚えるのだろう。その落雷が、小さな光の粒の集合体という異常さに気づくだろう。
丁度この場所に居合わせたことで、自然が織りなす饗宴を幸運にも目撃していると興奮している人達に、それを求めるのは無理な話。
何てこと……。あの時と同じ光の粒が合わさった落雷じゃない。あの時は、横浜駅。そして今は東京駅。本当……勘弁してよ。
「あの日と同じね」
「ああ……あの日と同じだな」
これ以上、年老いた両親を虐めないでよ。何も今日じゃなくても良いじゃない!お願い……やめてよ。
雷鳴を聞くと、今でも偶思い出す。視界を奪うほどの強い光が消えた時、紗樹はそこには居なくて、薄く煙をあげるガラス化した地面しかなかった。
その後は、色々あった。やれ、光を利用した新手の人攫いだ。爆発で吹き飛ばされて駅舎の屋根の上の何処かに引っ掛かっている。保険金目的で家族に爆殺された。宇宙人に攫われた。異次元に飛ばされた等々。興味本位に、扇情的に好き勝手なことを言われた。
偶然にも異なるTV局の中継画面で、これもまた偶然に同じタイミングで不明瞭だけれど大写しになった少女が消え去ったのだ。赤の他人にしてみれば、これ程までに衝撃的で興奮する話はない。
そうなれば、至極当然の様に、我家にも視聴率のためならば、残された家族の気持ちなんて踏みにじるのが当たり前のコメンテータ達が押し寄せた。
「これ以上泣けば、紗樹が成仏できません。もう皆、泣かないこと。良い?」
親になった今だからこそ分かる。一番大きな声で泣き叫びたかった母が、歯を食いしばり、絞り出す様に言った事を皆で守った。
私は知っていた。父がお風呂でシャワーを浴びながら泣いていたことを、母が私達が不在の時に泣いていた事を、兄が部屋で声を殺して泣いていた事を。ああ、多分、私が湯舟に顔をつけながら咽び泣いていたことも、皆にばれていたと思うけれど、誰もお互いの事は言わなかった。
偶然にも異なるTV局が撮影していた落雷直前の紗樹の姿、落雷後のガラス化した地面。状況証拠でしかないけれど、それ以外に理由は考えられず、紗樹は信じられない程に強い落雷で、一瞬にして消し飛んでしまったと言われた。
避雷針がどうの、駅校舎を設計した企業の設計がどうの、管理責任者の鉄道会社の責任がどうの、建設許可をだした自治体の責任がどうのと、報道は過熱するばかりだった。
TV局としては、泣き叫び、誰かのせいにして怒りをぶちまけ、喚き散らす私達の姿が欲しかったのだろう。
けれど母の言いつけを守っていた私達の姿は、彼等が望む様な姿ではなく、それがTV局の癪に障ったのだろう、コメンテータ達の横暴は日を増すごとに酷くなっていった。
余りの酷さに、見かねた近所の派出所の警察官が巡回と称して何度も我家の前を通り、呼び鈴を押しまくるコメンテーター達を、その行為は不法侵入に当たると諫めてくれたのが始まりだった。
その次は、交通課は路上駐車取締り週間と称して、路上駐車しているTV局の車だけを駐車違反だとして検挙し、注意し、追い払ってくれた。それがなければ、私達家族は持たなかったかもしれない。
思い返してみれば、あの時に私達家族を守ってくれた警察官の姿勢に感銘を受けたのだろう。大学に進んだ私は、民間企業に就職せず警察官僚になる道を選んだ。
私は、私達の様な人間を、あのハイエナの様な人間達から守れる力が欲しかったのかもしれない。守ってくれた警察官への恩返しの気持ちだったのかもれいない。まぁ、今更どうでも良い事よね。
雷鳴は、当時、高3の私にとっては受け入れ難った哀しみを、歯を食いしばって耐えた想い出を再び連れて来るから嫌い。
ねぇ紗樹、私は、私達みたいな、突然の事件や事故で残されてしまった家族をマスコミから守ってこれたかな?加害者を捕まえてこれたかな?
ああ、その前に子供達を雷から遠ざけないと。
「下がって!この落雷は危ないから下がりなさいっ!死ぬから下がりなさいっ!」
「大丈夫だよ、お母さん、これだけ離れてるんだから」
昔からそうだけど、お母さんって落雷に異常に敏感なのよね。本当に過敏反応するのよね。うわぁ……でも、お母さん、何時もの落雷の時以上に発狂モードだよ。
もうやめてよね……周りの人がドン引きした目でこっち見てるじゃん。警察官僚なんだからさ、そんな姿をマスコミに撮られたら大変だよ?
そりゃ、知ってるよ。妹の紗樹ちゃんだっけ?目の前で死んだからって知ってるけどさ。だからって、あんなこと早々起きないって。
時々TVの衝撃映像で、紗樹ちゃんが死ぬ映像が出てくる時は直ぐにチャンネル変えられちゃう。だから、TVではちゃんと見たことはない。けれど、今の時代、ネットで調べれば直ぐに出てくる。
確かに、凄いというか、酷いというか、何とも言い難い映像だと思う。あんまりだとは思う。目の前で、妹が骨の欠片も残さずに消し飛んでしまったのだから、その気持ちは何となく想像はできる。
「良いから下がりなさい!紗樹は、この光の柱で死んだの!」
「ちょっと、お母さん。腕痛いって!強く掴み過ぎだって」
どうしたの、お母さん?!今日は特に過敏。小声だけど物凄く怖い顔だし。どうしたのお母さん?今日はちょっと特に酷いよ?
お母さんに引き摺られる様に屋根の下に戻された時、屋根の外の歩道に特大の雷が落ちた。フラッシュライトの様な強い光が消えた時、落雷があったであろう場所の近くで、荷物を背負った人が膝をついていた。




