1-2b 橙色の世界
人は「忘れる」という能力で、行動の足枷、ストレスの原因にもなる様な辛い記憶を緩和させる事で、自我の崩壊を防ぐ。
忘れる事すら出来ない場合は、忘れるフリで自分を騙してでもストレスを覚えない様にする。
これは重要ではないことではない、どうでも良い事。だから、覚えないで良い。そう、心に言い聞かせて記憶から消し去る。
1か月近く前から、何度も予告もされていた。昨日は、メールまで来ていた。朝、ニュースを見るまで、取るに足らない悪戯としか思っていなかった。
画面には境界の彼方を知っている私が見ても、非現実的としか言い様のないモノが映っている。
仮想世界の境界の彼方でお馴染みのモノが、現実の世界で咆哮をあげ、暴れまわる。モノに応戦する銃声が途切れ途切れに聞こえる。
漏れ聞こえる逃げ惑う人達の悲鳴が、認めたくない事実を、現実として認識しろと迫ってくる。
煙か、それとも霧か、夜の都市を覆うガスが、あちらこちらから立ち上がる炎で橙色に染め上げられている。
滲む様な明るさの、橙色のガス越しに見え隠れするVOA。奔流の様にVOAに突進する曳光弾は、VOAに何のダメージを与えないまま弾かれていく。
撃った弾が弾かれる兵達の絶望は、如何ほどだろうか。
小銃弾なんてVOA相手には何の役にも立たない。そりゃそうだ。ARISの個人兵装を現実世界にあてはめれば、最低20から30mm口径となる。豆鉄砲も同然の5.56mmのNATO弾で、VOAを倒すのは無理だ。
映画やアニメじゃあるまいし、普通の人間が20から30mm口径の銃なんて乱射できない。機関砲ならばどうにかなるだろうが、そこら辺にゴロゴロある訳でもない。きっついなぁ……あれは。
画面の中で、炎を噴きだしながら崩れていく建物、路面で燃え上がっている車。そして倒れている何か。
夜明けの蒼い世界が見え始めた頃に、唐突にVOAは消え去り、奇妙な静寂と、橙色の光の中に佇む茫然自失とした生存者達。
編集された報道画像が、ハリウッド映画の大規模な宣伝にしか見えない。
目を背けるな。これは現実だと、これを現実として決して認めたくない私に、画面が迫ってくる。
境界の彼方でお馴染みの大型VOAが、あんなに大きいとは。これを実際に倒せと言われても、出来るのか?2次元と3次元では、大分違うとはいえ、これは一寸……。
「駄目だよ、あの程度の高さだと」
ヘリが堕ちた。ビルの谷間に突入する根性と腕があるパイロットが、ビルの屋上の小型VOAを無視してビルの間に無理やり突っ込んでいったが、上から落ちてきたアレに集られて堕ちていった。
あの程度の高さだと小型VOAは平気で飛び降りて、トップアタックしてくるから、危ないんだよ。
アレの妨害を跳ね除けつつ取り残された人達を救助しようとするなら、境界の彼方の重装甲強襲揚陸艇じゃないと無理だ。
せめて装甲車くらいを持って来ないと。普通の車を少し頑丈にした程度のパトカーや、普通のヘリなんて、一撃で撃破されて終わる。
「駄目だな……」
VOAに包囲された人達は、見捨てるしかないだろう。あっ!画像変わった。そりゃそうだよな。映っていたのは現実の世界の映像、仮想の世界の映像じゃない。
槍脚を振り上げたVOAに包囲され、集られ、打ち倒された人達を流石に最後まで映せる訳がない。
「ああ、畜生」
目に飛び込んでくる映像は、現実の世界の話だ。信じたくなくても、現実の世界の話だ。分かってはいるが、現実の世界の話だなんて、認めたくない。
だってそうだろう?!なんで昨日のメールが、現実になる!? そんな事は、有りえないだろう!?
みんなはどうしているんだろうか?私みたいに動揺しているんだろうか?それとも茫然自失になっているんだろうか?それともトリガーハッピー状態になっているんだろうか?
境界の彼方にログインして聞いてみるしかないか。だがその前に……、バラエティ番組の音は?……。うん、相変わらずバラエティ番組の音がする。
大丈夫だ、家族は気づいていない。では、接続。よいしょっと。
(♪ ポーン)「Welcome to Beyond of the Boundary~境界の彼方 に」
って!早っ! 今日、早っ! 何この、接続速度?!なんじゃぁ?!
このゲームでは、新規ユーザは頭上のキャラ名の横に若葉マークが付く。
新規の頃、若葉マークに気づいていなかった。古参になると若葉マークに気づく様になった。そりゃそうだ、古参に新規に優しくしてねというマークなのだから。
何時もより早い接続速度に驚きつつ到着したロビーは、大量の若葉マークの新規さん達と、彼等の野放図なボイスチャットに圧し潰された混沌の世界だった。
「討伐対象、今日テレビで見た怪獣とそっくりだったよ」
「知り合いが登録してるから、何でも聞いてくれ良いよ」
「レベルから既存ユーザをを探せると思う」
「今からの登録でも、間に合うのかな?」
ゲームの中で、遅延が発生したラッシュ時の新宿駅のホーム並みの混雑を体験している事よりも、ボイスチャットが煩さに負けそうだ。
このゲームは優れたボイスコントロールシステムを持つので、現実世界の様に離れた人の声は、その人が声を張り上げていない限り小さく聞こえる。なのに煩いのだ。今の状況を表せば、コンサート会場で皆が好きかってに喋っている中に突然入り込んだみたいに煩い。
「見つけた!あの人だ!」
「何処?誰?キャラ名は何?」
「Azul と思う」
「Azul かと?」
「蒼く光っている」
今の私がそうであった様に、人は自分が思った以上に呆然と立ち尽くす時がある。そして大抵、碌な結果をもたらさない。
余りの混雑と騒音に驚いていた私は、既存ユーザを鵜の目鷹の目で探していた欲深き者達の目から逃れられなかった。
「質問があるんですが」
「Azul 星はどうやったら貰えるんですか?」
「金くれよ、Azul!一杯持ってるんだろ?!おい!答えろよっ!何か言えよ、しかとすんなよ!」
いきなり周囲の若葉マークから、質問攻めになったとき私が思った事は、蒼く光っているという言葉から、剥げてないよ!と思ったことと、人は欲に溺れると、まるでゾンビの様に集って来るんだ。欲という物は凄いな、ゲームのキャラからでさえ欲望が溢れる様に見えるものなんだ、だった。
要するに、人は余りに大勢の人間に詰め寄られると現実逃避をするのだろう、今の私の様に。
「何だよ!無視するなよ!聞いてるのかよ!」
現実逃避をしたからといって、現実が改善されることは絶対にない。この良く分からない欲望に塗れた新規さん達が消える訳でもない。
人にも因るのだろうが、余りに切迫した状態になると冷静になるというものだ。所謂、冷めるという状態になる。だからと言って状況が改善される訳もない。逃げ場所が思いつかないからだ。
下手な場所だと追いかけられて、The END。ああ、ゾンビ映画の主人公達はこんなことを思いながら、逃げ回っていたのか。
さて、何処に行こうか?何処か静かな場所はないものか?
(♪ポーン)Vermelhoからウィスパーコールです。
「ヴァルの部屋に来い!」
2018/12/15 1-2 人は間違いを起こす生物である
が手直し後、長くなったため、その1とその2に分割しました。