1-13-3A-7 星への道)遭難者
「くあぁーっ!すっきりしたぁ!」
ここに来て6カ月。川を渡って東京側の新しい拠点に来て4カ月。災害時用の手押しポンプがあるので、今迄みたいに水の節約は余り考えないで良くなったけれど、井戸水は一年を通じて同じ温度。何気に冷たい。
けれど、人は慣れる生き物。今の私が、正にそれが当てはまる。最初は凍えていた井戸水での水浴びも慣れてしまえば、何の事はない。単なる毎朝のルーチン。安全の為の第1歩。
お湯のシャワーや、湯舟が恋しくないとは言わないけれど、病気の予防や、追跡防止を考えると、シャワーを止める訳にはいかない。
体が不潔な状態だと、病気にもなりやすいけれど、小さな掠り傷ですら、雑菌が繁殖して化膿する可能性が大きくなる。それで発熱なんてしたら、ひとりで生きている今、致命傷になりかねない。
「匂いに気を付けろ、戦場で怖いのは音を立てる事もそうだが、匂いも危ない。匂いってのは随分と遠くまで漂うもんだ。それでバレて一巻の終わりだ」
体が不潔だと匂いが出てくる。お爺ちゃんも言っていた。それは正しい。奴等に見つかる訳にはいかない。
それに、ここ最近は、水浴びの後、暖かく感じる様になってきている。此処の春がやって来るのかもしれない。
食事は、相も変わらず保存食料一点張り。出来るだけ栄養が偏らない様に、食塩を摂り過ぎない様に気を付けているけど、中々に難しい。
「紗樹、よく覚えておけ、缶詰は缶切りが無くても、こうやって地面や石垣で擦れば開けられる。けれどそれは最後の手段だ。音が出るからな」
「音が出たら駄目なの?」
「あのな、紗樹、缶詰をそうやって開けなければいけない時ってのは、それだけ緊急事態の時だ、そうだな例えば、戦争状態かもしれない。そんなとき缶詰を擦る音なんてだしたら、敵に一発で見つかってお終いだ。戦場では、不用意に音を出した者から死ぬんだ。よく覚えておけ」
缶詰を缶切りで開けている時、お爺ちゃんに聞かされた事を思い出した。お爺ちゃん、私は缶切りを使っています。だから大丈夫。あとおかずだけじゃないよ、ちゃんとお米と一緒に食べてるから大丈夫。
お米を鍋で炊くのは最初は苦労したけれど、今では当たり前の様にできる。人は慣れれば何でもできる様になるんだなって実感している。
でも、春が来るのか。春が来るのなら、手に入れたじゃが芋や、サツマ芋を植えようと思う。
お店にあるお米だって有限。別のお店には有るのかもしれないけれど、それだって有限。じゃが芋や、さつま芋が収穫出来るのかどうかは分からない。でも、試すだけはしないと。
そしてね、お爺ちゃん。私は生き延びるために特技を身につけました。気配を消して静かに歩けるようになったし、気配を敏感に察知出来る様にもなりました。
この世界で私以外の生き物は、猫と蜂と、変な生き物たちだけで、人間は未だ誰も見かけない。大都会なら必ず見かける烏や鳩、そして雀が居ない。そして、蟻も、蜘蛛も、蝿も、さらにはあの恐怖の黒茶の大魔王ゴキブリも居ない。
もう乾いた笑いしかでてこない。でも、私は生きてます。ちょっとだけ独り言が増えたけど、頑張って生きてます。
奴等を遠目に見つけたのは偶然だった。でも私はその偶然に感謝している。もし、最初から奴等と面と向かって遭遇していたら、私は生きてはいない。
話は少し遡る。拠点から少し歩いたところに、何かが集らないかと缶詰を洗わず捨てている。捨て場に近づくと、綺麗に舐めあげられた空き缶が散乱していた。
猫にでもやられたと思いながら、散乱している空き缶を片付けようとすると、空き缶の口の部分に奇妙な穴が一杯開いていた。
何だろう?この穴?何かの噛み跡だけれど、猫の噛み跡じゃない。何これ?としゃがんで空き缶を見ていた時に、道の反対側からゾワッとした気配を感じた
鉈を抜き放ち、気配のした方向を窺うと、のっそりとした動きでヘンテコ生物が姿を現した。私が不勉強なだけかもしれないけれど、こんな生き物は地球には居なかったと思う。
小さな子供くらいの大きさの、4つ足で、目が飛び出していて何となく蛙寄りなのに口の形は蜥蜴の様に飛び出している。こんなヘンテコ生き物は、地球に居なかった筈。そいつが今、のっそりした動きでこっちに近づいて来ている。
正直、最初のあいつの口を見たときは、恐怖で固まりそうになった。ヤツメウナギって知ってる?そう、円形の口で、円の内径に沿いに歯が円状に生えている細長い魚。そのヤツメウナギの様な口を10割増しで狂暴にした感じなのが奴の口。
初めて奴に対面した私は震えていたと思う。今から考えると馬鹿みたいだけど、あの時は初めて見る異様な生き物に襲われ、必死だった。
そこまで俊敏じゃない動きだったお陰もあり、鉈で滅多打ちにして奴を倒したけど、倒してグチャグチャになった奴をみて、吐いてしまったのは仕方ないと思う。
何度か闘っているうちに、あいつ等は昼行性だけど俊敏に動けない。よほど傍に近づかれない限り私でも簡単に倒せることが分かった。見かけというか、あの円状に牙が生えた口は反則級に怖いけど。
毎日と言って良い程にあいつ等と闘っていたので、油断していたのだと思う。油断して複数に囲まれた時は、流石に死ぬかと思った。
倒した奴に、他の奴等が群がり、共食いを始めたお陰で逃げ切れたけど、そうでなければ助からなかった。
私は運が良かっただけ。あれ以来、動きが鈍いからといって、馬鹿にせず、1体居れば複数居ると思い、気配を必ず窺いながら戦う様に気をつけている。
あいつ等に対して、ひとつ文句があるとすれば、あいつ等の血は何とかならないかな。匂いも酷いけど、あの色!蛍光赤紫って何よ。元の世界に戻ったら、蛍光赤紫が大嫌いになりそう。
ここに来て約7カ月、奴等との闘いを始めてから約5カ月と少し、この拠点での生活にも慣れ、他の人に会う事を完全に諦めた頃に、彼等に会った。
今の拠点から少し川沿いに近づくと、地面が陥没して多数の建物が倒壊している場所がある。木造の戸建てが何軒も倒壊しているので、煮炊きをする薪を手に入れたり、時にいは使えるガラクタも見つけられる良い場所。
だけど、瓦礫の多い場所は、あの変な生き物達が隠れている確率が高いので、注意しながら行動しなければ駄目。
その日も気配を窺いながら歩いていると瓦礫混じりの通りの向こうに、あいつ等とは違う気配を感じた。通りの向こうを瓦礫の陰から覗いてみると、薄汚れた格好の男女ふたり、彼等が見えた。
「紗樹、何から逃げるときに皆から逸れたら、一番怖いのは他人。目が笑ってないのに、猫なで声で怪しい笑顔を浮かべながらで寄ってくる大人が一番危ないから気を付けなさい」
声を上げ、駆け寄ろうと思ったけれど、身なりに気を使っていない腹をすかせた人間程、怖いものはないとお爺ちゃんが言っていた事を思い出し、咄嗟に半分倒壊した商業施設の中に逃げ込んだ。
「おーい。聞えるかあぁ?俺は危ない奴じゃないんだ!話がしたいんだ!遭難者した者同士で協力しよう!」
「そうよー!何もしないし、安全だから出ておいでー」
逃げ込む矢先に、施設の前にあいつ等が2匹いた。1匹が何匹かに1匹いる少し俊敏な個体で、始末に手こずってしまった。
最近は、俊敏なあいつ等が増えた。倒すと赤紫ではなくて、赤に近い紫の血の色だから、少し違う種類なのかもしれない。今だから倒せるけれど、ここに来た頃に出会っていたら、斃されているのは私だと思う。
始末しているのを見られてしまったのだろう、結局施設の入口まで彼等は来てしまった。外の明るさに慣れた向こうからは、薄暗い建物の中は良く見えてないのだろう。手には懐中電灯も持っていない所をみると、暗い建物の中には余り入った事がないのかな。
出入口付近で何やら、無害だと主張している男性は、どう見ても無害じゃない。貴方は、不自然な姿勢で何を後ろ手に隠しているのかな?隣の貴女も、後ろ手に何を持っているのかな?
逃げ込んで正解だったと思う。貴方が左手に持っているのは、私がこの場所に逃げ込む時に落した缶詰だよね。どう見ても、あなた達は私を襲う気だよね。
あちらは大人ふたり、こちらは子供ひとり。多勢に無勢、一巻の終わり。
先ずは裏口から逃げよう。よく観察して、安全だったら遠くから声を掛けてみよう。多分、安全じゃないと思うけど、期待するくらい良いよね。だって久しぶりに見た別の人だし、久しぶりに聞いた他人の声だもの。




