1-13-3A-1 星への道)雷雲
「お父さん、これ駄目だわ。この中を歩いていくなんて、勇者過ぎるわ」
一天にわかにかき曇りとは、この様な天候のことを言うのだろう。さっきまでの秋晴れの空は黒雲で覆われ、雷鳴が鳴り響いている。
「これは流石になぁ……。少し待ってみて駄目なら、駐車場に戻って車で行こう。親父、それで良いよな」
例年通りに、うちが5人、妹のところが4人、そして両親の総勢11人の大所帯でお参りをした後に、地下駐車場に車を止めている東京駅まで電車で民族大移動。
少し前までは、軽く駅で軽食を摂った後、実家に移動して夕食、そして酔いつぶれまでがパターンだった。
それも子供達が大きくなってからは変わり、近くのホテルで遅めのランチを摂ってから実家に移動する様になった。
改札を出て眺めた時は、外は雲ひとつ無い晴れ渡った晩秋の空が広がり、肌寒さを感じない心地の良い午後の日差しが降り注いでいた。
皆を待たせて携帯でかかって来た用事に対応していたが、それも終わった。さて、何時もの通り、皆でゆっくりと歩いて行こうとした時、娘にかけられた声に釣られる様に再び外を眺めると、天候は急変していた。
雷鳴……か。俺は、雷が嫌いだ。
「紗……樹?紗樹っ!紗樹っ!何処っ!紗樹っ!」
時折雷は、悲鳴の様な声で末の妹の紗樹を探し、呼ぶ、何年も前の母の姿と、決して忘れる事の出来ない後悔を呼び戻し、私の心を圧し潰そうとしてくる。
雨は降っていないが、雷が鳴り止まない。低く垂れこめた分厚い黒雲で日没前の様に薄暗くなった街路を街燈が照らし、雷光が断続的に街路を染め上げる。
傍目に見れば、何とも幻想的な風景なのだろう。若い奴等が何人もが携帯電話で、柱の様に立ち上る何本もの雷光で彩られた幻想的な街並みを撮影している。
ちょっと待て。柱の様に立ち上る雷光だって?勘弁してくれよ、あの日と同じじゃないか……。
「紗樹っ!こっちに戻って来いっての!」
35年前のあの日、俺は何故あの時、無理矢理にでもあいつを奥に引き摺り戻さなかったのだろう。
「紗樹っ!何度も言わすな!余りそっち行くな!」
本当に、おにぃは煩い。パパ2号だ。
私が小学4年生、東京の学校に進学して2人暮らしている兄の一輝と姉の桜が其々大学3年と高校2年の時に、うちは東京に引っ越した。良くある父親の仕事の都合上というもの。
兄も姉も、兄が大学進学する前に両方とも亡くなってしまった父方の祖父母の家に住んでいた。私達もそこに引っ越すだけなので、引っ越しそのものはスムーズだった。
離れて住んでいた兄と姉とまた一緒に住めるので、ちょっと嬉しかった。今までの友達と離れるのは寂しかったけれど、家族皆で一緒に住める方が嬉しかった。
引っ越ししてそろそろ1年近く経つけれど、まだ少し東京には慣れない。東京は大きい。今まで住んでいた大阪だって十分に大きい大都会と思っていたけれど、東京は予想以上に大きい。
人の数も、ビルの数も比較にならない程に大きい。やっぱり東京は大都会だなぁ。そろそろ、慣れるかなぁ?
今日は、皆で中華街に行く。車で行く予定だったけれど、まさか先週、車が故障してまだ修理が終わらないなんて予想外。まぁ、電車で行けば行けるよねと、電車で大移動。ちょっとしんどい。
良く分からないけれど、途中下車して寄るところがあるので、横浜駅というところで降りたけれど、大阪駅よりちっちゃい。ちょっと勝った気分。
けれど、いざ駅を出てと思ったら、いきなり天気が崩れて落雷がすごい事になってる。少しだけ様子見てから移動することになった。
さっきから雷がバンバン落ちてるけど、屋根の下だし大丈夫だよね?
外に居た人達が、屋根の下に何人も逃げ込んでくる。そりゃそうだよ。あんな落雷の時に外に居るなんて死んじゃうよ。
少し離れた向こう側では、TVかな?TVの人が中継か何かをしている。こんな天気の中継して面白いのかな?
「紗樹!あんまり屋根の境目に近づくな!雷落ちてくるぞっ!」
ああ、本当に手間の掛かる妹だ。末っ子ってのは本当に手間がかかる。俺からは11歳、すぐ下の妹、桜から7歳離れて生まれた末っ子だから、余計に構ってしまうのは分っているけれど、こればっかりは……。
最近の餓鬼共は、マセている。小学生だからと言って安心はできない。離れて住んでいたので心配していたが、親父の仕事の都合で全員が東京に住むことになった。これで、傍で目を光らせる事ができる。
家族全員で一緒に住むようになって、そろそろ1年経つ。日を追うごとに紗樹から幼さが取れていく。時々、その振舞いが妖艶な少女に見える様になった。
陽の光を背景に振り返った時、元々明るい栗毛色の地毛が陽の光で透けて金色に見え、我が妹ながらドキッとする。
最近、すれ違う奴等が振り返る頻度が増えてきているのは気のせいではあるまい。気を付けなければ。
兄馬鹿だ?ふん、馬鹿にするならば、馬鹿にするがいい。お前達も、これは将来必ず男が寄って来るぞという妹を持ったら、俺の行動が理解できる筈だ。
ああ!またあいつはギリギリの所に行こうとする。
「紗樹っ!行くなって言ってるだろうが!少し奥に戻れ!」
「紗樹、危ない!頭を引っ込めなさいっ!」
なんであの娘は……。怖がりの癖に、何でこう科学的な事になると見境が無くなるのか。
普通、あの娘くらいの年頃の女の子なら、雷を怖がる……よね?なのに、何で目を輝かせて雷を見てるのかしらね、あの娘は。
歳の離れた末っ子なので、私達の辞書やら図鑑を小さな時から見てたのが良かったのか、悪かったのか。少女漫画よりScFi小説好きで、アイドルよりラジオで聞く洋楽の方が好きな変な子になってしまった。
ショルダーバッグのポーチの中には、コンパスに、拡大鏡に、アーミーナイフ。あの子は何をしたいのか……。って?!ちょっとまった!アーミーナイフとかって雷が大好きな金属じゃない!
ああ!TVの中継はじまったから大声出せない!こら!こっち向きなさい!
何か凄いなぁ。都会の雷ってこんなんなんだ。ギザギザじゃなくて、光の柱みたいなまっすぐな雷が落ちるんだ。
ん?おねぇちゃんが何かジェスチャーしてる。分かってるよ。TVの中継の邪魔はしないよ。あれ?そういう言い意味じゃない?うーん、良く分からないから手を振り返しておこう。これで多分大丈夫のはず。
「急激に雷雲が発生し、雨は降っていませんが、落雷が彼方こちらで発生しています。今、屋外に居る方は、屋内、手近なビルの中などへの一時的な避難をお勧めします」
「いや、これは凄い雷ですね」
「カメラ越しなので、少し分かり辛いかもしれませんが、横浜駅近辺に何度も落雷しています。屋外の方は、本当に屋内への一時的な避難をお勧めします」
雷の様子見をしていたら、ちょうど居合わせたのだろうか、何処かのTVが、中継を始めている。光の柱が乱立する様な落雷は、確かに映像的に美味しいもの。
構内から映された光の柱が乱立する様な落雷を背景に、アナウンサーが同業他社とカメラの向きが被らない様に、絶妙な間隔を開けて撮影しているのが何とも面白い光景に見える。
あらま、ちょうどアナウンサーとアナウンサーの中間地点に紗樹が居る様な形になっているじゃない。
ちょっと紗樹、変な事しないでよって思ったけれど、あの子は雷に夢中になってるわね。
撮影している人達に視線を戻すと、落雷を背景に話していたアナウンサーを映していたカメラが通行人を写しだそうとして動き、そして紗樹を見つけて止まった。
姉の私が言うのもなんだけれども、子供から少女に脱皮しつつある最近のあの子は、童顔なのに仕草が時々妖艶に見える。
例えば今みたいに、風で煽られた栗毛の髪を直しながら此方を見ている時に、カメラに映されている事に気づいて、ヘッドホンを掛けたままはにかんでいる姿が、姉の私ですら見入ってしまうくらいに画になる。
「あー、何か女の子が屋根との境目の辺りに居ますけれど、危ないかな?」
「何かちょっと楽しそうにしてますけれど、すこし危ないですね。うーん、ちょっと声をかけて、此方側に呼んだ方が良いかもしれませんね」
あら?アナウンサーがふたりとも紗樹を見てる。だよねぇ危ないよねぇ、あの場所は。だから!恥ずかしがっている暇があるなら、こっちに戻って来なさいっての!
「あれ?なに……これ?」
雷を背景にした少女を、其々別の局のカメラが映し出したのは偶然だった。あたかも、申し合わせた様に少女を映し出したカメラが、これもまた申し合わせた様に少しだけ少女にズームした時、それは起こった。
落雷を生み出している黒雲のせいで薄暗くい駅舎の外を背景に、屋根の下の少女の周りに何本もの光の柱が、一瞬で立ち上った。
外は落雷が雨の様に降り注いでいる事を除けば、周囲の人間が思わず見惚れてしまうほど幻想的な光景が現れていた。




