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1-13-3-1 逢魔が時

一部修正と並び変えです。

「……母親のサエコ容疑者は、繰り返し虐待していたとみて、捜査を進めています」

「何でまた、子供を虐待して殺すのかねぇ……」

「ええ本当に……可哀想に。今度は良いお父さんとお母さんの家に生まれ変わる様に祈ってあげるしかできないなんて」

「殺す位なら、子供を作らなければ良いものを」

「本当に……なんであんなことを」


 子供を虐待死させた母親のニュースを見て、その母親に対して陰鬱(いんうつ)な感情を抱いた私達夫婦は、その時、魔物に魅入られたのかもしれない。


 人生とは思う様にはいかないものだ。冬も終わり春の声が聞こえだした頃、宝くじに当たった。こんな定年まであと少しと言うところではなくて、もっと若い時分に当たって欲しかった。

 今と変わらぬ生活をするならば、人生をもう一度繰り返して更にもおつりが来る程の金額を得たのに、何の贅沢(ぜいたく)を言うのだと思われるかもしれない。そうは言っても、宝くじに当たった時にふと思ったのだから仕方があるまい。

 子供も居ない人生あと僅かな老夫婦、こんな大金を何に使えと言うのだ。他人様から見れば、なんともまぁ贅沢(ぜいたく)(きわ)まる悩みなことよ。


 変異には気づいていた、それが変異だとは知らなかっただけだ。

 電車に乗った時にでも成人男性の手の甲を良く見れば、余程(よほど)に肥満の男性でない限り、手の甲には血管が浮び、指の関節はゴツゴツしているのが良く分かると思う。

 春先のある日、通勤電車の吊り輪を掴む自分の手が違って見えた。良く見てみれば手の甲に血管は浮いておらず、指の関節も(なめ)らかに、そして(しわ)も少なく、()いて言えば、女性の手の様だった。

 確かに加齢による体重増加、腹回りの脂肪には悩まされていたが、体全体が然程(さほど)太っていたわけでもなかった。加齢による(たる)みがついにここまで来たのかと、落ち込んだ。


 手の変化から(しばら)くしたある日、出勤前に髪を整えている時に自分の顔に違和感を覚えた。

「どうしたの、あなた?」

「いや、ちょっと顔に違和感がある様に思えてね」

「あら?あなたも?最近私もちょっと何か、顔つきが変わった様に思えるの」

「歳をとったということかなぁ?」

「ええ、そうかもしれないわねぇ」

 夫婦(そろ)って違和感を覚えていたが、老化が進んだだけだと思っていた。


 ()でガエル。柳川(やながわ)鍋の泥鰌(どじょう)。体は確実に変化していた。例えば肌の張りは明らかに良くなっていたし、目も良くなっていったのだが、見えないフリをしていた。


 人とは現金なもので、肌の張りが良くなるに従い、どちらが言い出したという訳ではないが、なんとなく夜の営みが再開していた。

 初めの頃はそんなこともある程度にしか思っていなかった。


 回数が増えだした頃、二人とも自分の会社で回りから「何か最近、若く見えますね」と言われる様になっていた。他人の目は誤魔化し切れなかったという事だ。


 それもあったのだろうが、何時からか、回数が増えだした何回目からだろうか、どちらからというわけではないが、互いの裸体写真を撮るようになった。

 裸体を互いに撮影というと淫靡(いんび)な響きがあるが、正面、側面と証拠写真の様な構図で撮っていた。

 お互いに何も言わなかったけれど、心の奥底で何かあると妻も私も気づき、証拠写真を残そうとしていたのだと思う。


「最近、女の人の様に見えてしまうことがあるのよね」

 仲良しの庶務のおばちゃんが、何の気なしに私に言った。私自身、実は少し気にし始めていた。何か変だなと。

 変だと思いつつも、回数は増加していき、週に何回が毎日になり、1日1回が、時々複数回に、しまいには週末の休日は、トイレ以外は食事中であれ抱きかかえているような状態となっていた。

 子供のいない夫婦だったので、誰にはばかることなく出来るというものあったが、流石におかしいとは思った。けれど再び春がやってきただけと、夫婦揃ってあえて考えない様にしていた。


 不安を隠しながら、(うるわ)しき夜を何度も過ごしていたが、ある週末の夜、妻が意を決した顔で私に言った。

「貴方のこれ、小さくなってきていると思うの。あと、最初は体だけが若くなっている様に思っていたけど、最近は顔も若くなってきたように見えるし、それに体全体も角がとれたというか、丸みを帯びてきていると思う」

 何も考えず、いや、何も考えない様にしていた夜は、その言葉で終わりを迎えた。間違えないで欲しい。精神的ショックで不能になり終わったという意ではない。

 自分のそれが徐々に小さくなり、自分の体つきが徐々に変わっていくのは、風呂やトイレに行く毎に薄々そう思っていた。衝撃は受けなかった。むしろ自分の気のせいではないと分り、妙にほっとしていた。


 意趣返(いしゅがえ)しという訳ではないが、私も意を決し妻に言った。

「お前もそう思うか?言い返しているわけじゃないけど、お前のここも、それに、胸もというか、体全体が綺麗というか昔の頃に戻っているぞ、それに顔も張りというか少し戻ってきていないか?」

「やっぱり、そうかしら?少し感覚も敏感になっているのよね」


 結局のところ、その時は止める訳でもなく、そのまま続けて寝てしまったが、翌朝カーテン越しの陽の中で互いの横たわる裸体を見つめ合った私達は、「病院に行こう」「病院に行きましょう」と同じタイミングで相手に話しかけていた。

 流石、長年連れ添った老夫婦、阿吽(あうん)の呼吸だと思わず笑ってしまった。


 病院では、最初は信じてくれなかった。質の悪い悪戯だと思われたのだ。それはそうだろう、老夫婦と自称する夫婦が、最近若く見える様になってきた。そんなことを早々信じる訳がない。

 しかし私達には証拠写真があった。もっともこれも質の悪いコラージュと思われたが、夫婦揃った必死の訴えかけに、流石におかしいと思ったのか「じゃぁ、来週もう一度見てみましょう。但し毎日写真を撮って下さい」となった。


 人とは変なもので、今まで散々に夫婦で裸体を撮影してきたというのに更に、それを既に証拠写真として見せたにもかかわらず、来週また見られる、そして写真も撮られるとなると、妙に恥ずかしくそして、体に変な部分がないか気になってしまった。

 写真を撮るときは、毎日買ってきた新聞を片手に撮影する事にした。どこの誘拐被害者だと笑いあってしまったが、結局撮影する度に毎夜お互いの体をチェックして…… そしてしてしまうという、猿か私達はという状態になってしまった。不安を隠すためにお互いが求めあった結果だったのかもしれない。


 翌週、私達を再診し、そして写真を見た女医さんの顔は見ものだった。その後はドタバタと色々サンプルを取られた後に週末に再診となった。

 週末に私達を見た女医さんは引きつっていた。そして翌週末、サンプルの結果が出る次の金曜日に再診となった。

 ここまで来ると流石に呑気な子無し老夫婦とはいえ、自分達が何かのっぴきならない状態になったのだと理解はしていた。


 会社での周囲の微妙な顔が浮かんだのもあるが、私達夫婦は休暇を取る事にした。会社も何か思うところがあったのか割とすんなりと、とういよりは急かされる様に休みを許可してきた。


「最初は、何か変だなと思っていたけど、明らかにおかしいです」

「若返った様に見えるけど、それは何かの理由があると思う」

「丸みを帯びてきたようにも見えるし、早く今の簡単な検査じゃなくて、精密検査した方が良いですって、絶対」

「1・2週間居なくたって、会社は何とかなります。何かあって手遅れになるのはもう見たくないです……」


 会社も私達も、私達が何か悪性の病気、例えば癌か何かにかかったのではないかと考えていた。後から言えば、容姿の変化に対して他に合理的な説明が出来なかっただけで、全くの誤解だったのだが。


 病院に行くと、何時もの女医さんではなく別の医者が来た。曰く自分が今度から担当になると。私達は2人揃って担当医の交代を拒否した。何か嫌な目つきだったのだ。

 これでも何年も民間企業に勤めてきたのだ。人の成果を自分の物にしようとする人間の目つきくらいは判る。交代させるのであれば別の病院に行くと言ったら、その医者が恫喝してきたが、私達はそれを無視して病室から出て行った。

 老い先短い老夫婦、失うものなど殆どないのだ。舐めてもらっては困る。

 取り敢えず、病院の支払いを待っていると、事務長だったかが飛んで来て、元の女医さんに戻すので、診察室に戻ってくれと懇願してきた。

 そりゃそうだろう、病院にとって私達夫婦の様な症例は失いたくないだろうからね。老夫婦を舐めて貰っては困るのだ。


「あの……ありがとうございます。あの人に全て取られるところでした」

「まぁ、また何か言って来たら私達に任せなさい。私達は老い先短いからね、怖い物なんてなんだよ」

「いや……その老い先短いというのは止めた方が良いと思います」

「老い先短いのはね、事実だから気にしていないのよ?」

「いえ、御夫婦ですが、どう考えても若返っているんです」

「先生、冗談はさておき、問題はなんでしょう?」

 夫婦揃って聞き返したのは、流石、長年連れ添った老夫婦、阿吽の呼吸だった。

 結局のところ、その日も含めて毎日写真を撮れないかと頼まれ、どうせ休暇も取っているので快諾したら、何度も頭を下げて感謝された。

 そこまで感謝されなくても良いのだが、珍しい症例だから、どれ程重要な検査かと力説されてしまった。どちらかと言えば医師とは言え、全裸写真を他人に撮られるのが中々に堪えた。何しろ夫婦の時は、正面と側面だけだったが、流石に検査ともなると、全て……そうあそこも、あれも全て。分娩台というのか検査台というのかに座らされて、まぁあれだ……。

 自分には露出みたいな趣味はないし、撮影する女医さんも純粋に学術的目的のオーラばしばしで撮影しているのは理解していたが、色々と来る物があった。

 初めてこの検査台に座り脚を広げ撮影された時は、思わず悟りの境地になっていたが、最後の時期に何故か感じた強烈な恥ずかしさに比べれば、何でもなかった。


「ただその現実を受け止めるだけで精一杯だった。後の事なんて思いつかなかった」

 良く言われることだ。私達も普通ならそうだったのだろう。私達が他の人達と異なるのは、宝くじに当たっていたこと。人生を何回も繰り返す事が出来る金額を得られた幸運。その絶対の安心感が私達夫婦を金銭面の不安から開放してくれていた。

 そして重要なのは、夫婦揃って変異したことで、お互いに支え合えた事、これが無ければ、どちらも持ち堪えられなかっただろう。


 私達老夫婦の変化、若返りの理由は、当時の自宅の傍にあった空き家にあったAbyss Coreを起点にした変異だった。私達は、知らぬ間に魔物の巣を覗き込み、魅入られていたのだ。

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