1-2a 人は間違いを起こす生物である
残念ながら、私は大賢者でも、勇者でも、聖女でもない。従って、未来を見通せるクリスタルオーブなんて当然持っていない。なので、何かを未然に防ぐ事も出来ないし、やってしまった事を元に戻す事も出来ない。
後悔先に立たず、覆水盆に返らず。 何で私は……、なぜ始発駅で乗るのに待たずに乗ろうなんて思ったのだろうか?なぜ1本待って座ろうと思わなかったのだろうか?30分前の私は、心底アホだったのだろう。ああ……問い詰めたい、30分前の私を心の底から問い詰めたい、正座させながら、問い詰めたい。
目の前に座っている人、次の駅でおりないかなぁ。次の駅で座れる幸運が来ないかなぁ。神様お願い。おじさんは、足が辛いです。
「まだ、1時間も経ってないし……」
「ん? 何か言いました?」
「いや、今日は時間が経つのが、遅いなぁって思ってね」
「そんな日も、ありますよ。体調悪いんじゃないですか?顔色も良くないし?」
「いや……、体調は大丈夫……と思うんだけねぇ」
書類をひとつ片付ける度に、時計を見ても、時間は殆ど進んでいない。もうひとつ書類を片付ければ時間が進む筈、そう思って新しい書類を片付けても、時間は殆ど変わらない。
まるで水の中を歩いているように、粘り気のある何かが時間に纏わりつき、酷くゆっくりとしか時間が進まない。
別に暇な訳じゃない。月末が近い今は、普段より承認する書類が多く、そちらを優先するために自分の仕事に支障が出てきている。
余りの多さに、書類毎に指さし呼称して確認しているけど、周りはほっていてくれる。そりゃそうだ、仕事が止まるからね。
いつも以上に、相談即決で割り振り、指示出ししているのに減りゃしない。ねぇ?君達、もしかして、いつも以上に机の上に置いてないよね?
昼休み、ネットでニュースを見て変な声を上げそうになった。しかし、なぜ、ネットでニュースを見ようなんて思ったのだろうね、私は……。
ニュースは、大中小のリアルすぎるVOAの写真、動画の嵐、これ一辺倒。何時もならうっとうしい程に上位に掲載される提灯記事すら駆逐される勢い。
そりゃそうだ、現実世界にあんな異形のモノ、怪獣が出現したからには、トップニュース扱いは当たり前だよ。
いつも以上に騒がしい昼休み、漏れ聞こえてくるのはVOAの話。今日ほど、何時もは読みもしない芸能人のゴシップニュースが恋しいと思ったことはない。
仕事の合間、ふと気づけば、今日は雑談が多い、立ち話をしている人もやけに多い。聞こえてくるのは、昼休みと同じ様に怪獣の話ばかり。
何度も、何個も雑談の輪が作られ、解散し、仕事が再開される。それが繰り返されている。
漏れ聞こえてくる「Beyond of the Boundaryというゲームの中身に似ている…」というフレーズが、私の心臓を鷲掴みにする。
「ニュースの怪獣って、何かゲームの怪獣に似ているらしいですよ?」
「そ・そうなんだ!?な・なんのゲーム?」
「えーと……。何とかアリス?っていうゲームって聞きました」
「そうなんだ(名前……カスってもいないよね、それ……)、不思議なこともあるよね。ま、偶然だろうと思うけど」
「ですよねぇ、あの怪獣が日本にも出たらどうしましょうね?」
「出るなら、家に帰ってからにして欲しいかな。帰宅難民は嫌だからねぇ」
ときおり振られてくる雑談に応じながら、仕事をこなす。
多分、私の顔は引きつっている筈だけど、雑談を振ってきた同僚の顔も同じ様なものだし、目立ちはしていないと思う。
「…明日の朝、空には艦が、貴方には蒼い星が…」
ラノベじゃあるまいし、私は物語の登場人物になる気は更々ない。現実世界で勇者や、聖女になる気は全くない。
成りたいという人が居ても止めはしないけど、私は、色々あるけれど今の生活で満足している。波乱万丈な人生は要らない。
「今日、家に帰ったら確認しよう、覚悟を決めるのは、それからだ」
「はい?何か言いました?」
「ん、いや、ところで、この部分なんだけど、技術部は何て言っているのかな?」
今日は、ベルダッシュしよう。定時まで後どれくらいだ?なんてこった、後2時間もある。長いなぁ、時間ってこんなにも進むのが遅かったっけ?
後、3駅……。今日はいつにもまして立っているのが辛い。精神的にもキツイ1日だったから、余計に疲れを感じる。
怪獣の話が振られる度に、気が気ではなかった。その度に「貴方には蒼い星」このフレーズが私の心を掻き乱した。
車窓に映り込んだ妙にやつれた顔が、もうお前は若くないのだと言って来る。分かってはいたけれど、年は取りたくないものだ。
車窓に映り込む他人の顔が、此方を見ている様に見える。
今朝、シャワーを浴びたときに十分確認した。会社でトイレに入ったとき、確認できる場所は可能な限り確認した。蒼い星なんて、体の何処にも現れていないと思っていたが、自分からは見えない場所に蒼い星が浮上がっているのだろうか。
何を馬鹿な事を考えているのだろうか私は。蒼い星は浮上がってはいないし、こんなくたびれた中年男性なんて誰も気にする訳もない。
何時にも増して駅間の距離が長く感じる。こんなにも駅間は長かったろうか、車窓の景色はこんなにもゆっくりと流れるものだったろうか?
ああ、早く降りる駅に着かないかな。帰宅したら、家族にばれない様にネットでニュース検索と、境界の彼方で情報を入手しよう。何もしないよりはマシな筈だ。
「ただいま。はぁ……、今日は疲れた」
「おかえりなさい。ごはん先に食べて。今日は野菜と鶏肉の蒸しものだからね。胡麻ダレか、ポン酢で食べてね」
扉を開けて見えたのは、何時もと変わらぬ団欒の風景。漏れ聞こえるバラエティ番組の音に、一寸安心する。いつもは鬱陶しいバラエティ番組も、今日ばかりはありがたい。
ニュースを見ていないのであれば、気づいてないのかもしれない。いや、気づいていないじゃなくて、気にもしていないが正しいのかもしれない。
そりゃそうだ、冷静に考えれば隣の国の話であって、この国で起きた訳じゃない。当たり前と言えば当たり前、この時点で気にするのは、あの映像に映っている怪獣がVOAと分かるのは境界の彼方のユーザ位だ。
まぁ、帰宅早々に騒がれても困るし、何も言われない方がありがたいけれど。
あ゛ー、食べ過ぎたー。野菜と鶏肉をポン酢で食べると、ご飯すすむのよねー。更に沢庵あったから、ちょっと食べ過ぎた、苦しい……。
さてと、居間ではバラエティ見ていますね。よしよし、ではこっちの部屋で何時ものように境界の彼方で遊ぶ振りをして画面をTVモードっと。
この毒々しいテロップに、大げさなBGM。コメンテータの無知なコメントと、全力全開の無責任発言。通常営業と言えばそれまでだけど、科学考証も何も無い陰謀論ばかり。もう少しまともなコメントを言えないのか?
「……から半島に流れてきた重篤な汚染大気が、怪獣を発生させた突然変異ではないかとの意見が……」
半島の大気汚染の原因は半島自身の問題と判明しているのに、大陸にその原因を擦り付けるのは、半島を庇うためとはいえ、如何に何でもやり過ぎじゃないかな?
「……日本陸軍の遺棄施設の遺棄化学兵器から流出した」
数十年以上も劣化しない化学兵器を配備していたとは、日本陸軍最強だな、何で第二次世界大戦に敗戦したのだろう? 世界の七不思議だな。
科学検証も何も無い荒唐無稽な話を、自身の信条のためなら、さもひとつの可能性の様に煽り放送を行うその姿勢に関心する。
「……を参考にした韓国軍の秘密兵器の暴走ではという噂もあり」
良かったなぁ半島、世界初の生体兵器だ。堂々と、起源が主張できるぞ。
着せられた濡れ衣は、謝罪と賠償を要求しても良いレベルと思うけど、あ……それか、それが狙いの報道か。将来うちの国のせいにするための、被害者ビジネスの前振り報道か。
「……米軍が持ち込んだ生物兵器」
エイリアンやプレデター等のハリウッド映画の見過ぎだ、ばかもの。まぁ、やりかねない国ではあるけどね。どちらかというと、赤い大陸とか、北の熊さんとかの方がやりそうだけどね。
「…Beyond of the Boundaryというオンラインゲームにそっくりで、その関連性が取り沙汰されています」
ああ、そっくりだよ、本当にそっくりだよ、嫌になるくらいにそっくりだよ。誰だよ、気づいた奴は。
頼むよ、現実じゃないって、誰か言ってくれよ。
まさか、売り込んだバカのお陰で、境界の彼方は、既存ユーザ、新規ユーザが入り乱れて大騒ぎになっていたのだが、私は知らなかった。
「あれ、既存ユーザじゃない?」
「え?何処?何処?」