1-1 空には艦、貴方には蒼い星
もし一か月前に戻れるなら、あなたは何を望むだろう?私は、言葉の意味、単語の間、行間、そこに隠された意味を見つけろと1か月前の自分に忠告したい。
忠告をしたとしても、その後の未来は今と然程変わらないのは分かっている。けれど、心構えが有れば、その後の恐怖や葛藤に余裕を持って対処できると思う。
もっとも、あの頃の私にそれを言っても忠告に耳を傾けるかどうかは分からない。まぁ信じないだろう、何を世迷い事を言っているのだとしか思わないだろう。それが普通だし、それがあの当時の常識だったから。
あの時の常識の中で、あの時の世界を普通に生きていた私が、「生き延びて」の意味が「心を死なせないで」という意味だなんて、想像できる訳がない。それに、例え気づいたとしても、あの日から「心を死なせる」暇は少しも無い。
―― D-dayマイナス32
私の息抜きの場所を会社の人間は知らない、あえて教える場所でもないし、お洒落なお店でもないし。
「Beyond of the Boundary~境界の彼方」。広大なネットの世界の片隅で見つけたオンラインゲームが、私の息抜きの場所。
人工的に強化統合され生み出された種族、ARIS(Artificially Reinforced and Integrated Species)となって、異形のVOA(Variant of Abyss)と戦うという、まぁ、良くあるScFiアクションオンラインゲーム。
個人情報保護のために、ボイスチャットの変声がデフォルト設定されている、少し変わったゲーム。
自分の趣味や、嗜好を露にしても誰にも気づかれない、文句も言われない。ささやかな息抜きが出来る場所。
オンラインゲーム、境界の彼方は、非常に自由度の高いゲームになっている。
キャラクターの種族、性別、容姿、職種(戦闘・支援・生産)の無限の組合せに始まり、エンジョイ層を満足させる、充実したコスチューム、ヘアスタイル、アクセサリーに、ルームグッズ。
アクションゲーム好きの層をがっちり捕まえる、戦闘艦、戦闘機、攻撃機、輸送機、着装型や搭乗型の機動歩兵、個人装備、チームの強襲艦、その母船、果ては母船を格納できる、巨大機動工廠の豊富な装備類と、無限に生産工程や、生産物の組み合わせが出きる、拡張性の高い生産設備。
それらを無課金であっても、大した制限もなく楽しめる。楽しみ方は、千差万別。現実の境界から遥か遠く、境界の彼方で思う存分、楽しめる。
例えば、生産に命を賭けている人。輸送船を手に入れて、星間輸送ゲームにしている人。単に宇宙船を乗り回し、恒星間旅行を楽しんでいる人。
服飾店を経営して、経営ゲームにしている人。ユーザ登録以後、一度も戦闘も生産もせず、アバター付きのチャットソフトとして利用しているだけの我が知人。
万人が思い思いの方法で、自分の時間を過ごす場所。
運営は曰く、境界の彼方は、500万ユーザの老舗オンラインゲームと言っている。けれど、実働10万人も居れば御の字のゲームだと思う。
そもそも、500万人もがネトゲに熱中していたら、それはそれで、家庭の、いや国家の危機だと思う。
境界の彼方の魅力に取り込まれた多数のユーザが居るのは確かだし、何をかいわんや、私もその中の一人だ。
興味本位でこのゲームを覗き見た私は、この多種多様の楽しみ方をしている人達や、その人達が作りだしている独特の雰囲気に引かれて、このゲームに常駐するようになってしまった。
常駐するといっても、1日に1~2時間程度で、1日中という訳じゃない。課金もひと月1000円以上はしない。
だから家族も、本心は呆れているのかもしれないけれど、ギャンブルや、酒に溺れるよりはマシだと黙認してくれている。
「各員、32日後に世界が変わります。出撃準備を、そして、お願い、生き延びて」
2か月くらい前から、このアナウンスがレイド前の事前アナウンスに混じりだした。運営が、自分達ではないと発表した時は、すわ、クラッキング!?と騒然となったけれど、そんな騒ぎも今は昔。
何度も流れるお陰で、注意しないと気づかなくなってしまった。段々と残り日数が減っているのは知っている。けれど今の所は何の害もない。今では、殆どBGM扱い。人の慣れというのは怖いなぁと思う。
「間もなく都市防衛クエストが開始されます。出撃準備を」
「ハード後2名募集」
「SH@3」
「行くなら、付き合うけど?」
「誰かハード連れてって下さい」
「そのコスチュームって、新作?」
「SH@2」
「課金して回した……」
さてさて、今日はクエストに行くべきか、何時もの通り、チャットでお茶を濁そうかな?
―― D-dayマイナス31
「各員、31日後に世界が変わります。出撃準備を、そして、お願い、生き延びて」
なぁにが生き延びてだ、所詮ゲームなのに、何を言っているのやら。死んでも死に戻りするから、余り意味ないよなぁ、あのアナウンス。
今の話題は、段々と減っている日数がゼロになった時、何のイベントが発表されるのかに集中している。
運営の公式発表が、このアナウンスは安全という意味不明な発表のままで止まっているのもあって、運営のヤラセという意見が、今では大勢を占めている。
そんなところだろうと思っている。本当にクラッキングなら、アイテム等の盗難とか、キャラクター乗っ取りとかが怖い。ただそんな話しは何処にも出てこない。
運営のヤラセなら、どんな大型アップデートをするつもりなのやら。早く、公開してくれないかな。
「各員に通達、31日後に作戦が開始されます。メールを読みなさい」
また、何とも命令口調な表示。流石にこの命令口調はないよね、というのが皆の反応。私も、ちょっとこの書き方は無いと思う。とはいえ今日は全員配信のメール付きとは、運営も手が込んでいる。中の人が変わったのだろうか?
――― ―――
From:---
送信日;20XX年XX月30日23時30分00秒
件名:作戦のお知らせ(対象者限定)
作戦開始日:本日より31日後、20XX年XX月1日
作戦地域:地球を含むこの宇宙の何処か
詳細は以下の通り。
(1)対象者
20XX年XX月1日00時30分までにユーザ及び、キャラクター登録を完了済の方
(2)特典
①倉庫アイテム数を5,000個/人まで拡大
②無課金でもショップ開店可能
③無料で容姿変更可能
④種族によって、無料で種族変更可能
⑤ゲーム内通貨1Cが100円/1Cで現実資産化されます
⑥対象者の2親等迄のご家族は無制限、ご友人は5名迄、優先乗船可能
(3)注意事項
①数キャラクターを持つ方は、キャラクターをひとつだけ選んで下さい
②キャラクターの性別は変更できません
③人類、ニューマンは、種族をこのふたつの種族の間でしか変更できません。
④人類、ニューマン以外は、人類又はニューマンへの変更が必須となります。
⑤ャラクターの容姿、レベル、スキルが現実化するので注意下さい。
⑥キャラクターの容姿は後でも変更可能です。
(4)その他
①クエスト正式開始前に、対象者は最低10回の実戦体験が課せられます。
②装備・所持・保管している武装、防具、アイテム等は現実に引き継がれます。
③揚陸艇、強襲艦、母船、機動工廠は現実に引き継がれます。
④死に戻りの際は、痛覚が反応します。
明日の朝、空には艦が、貴方に蒼い星が現れる。
滅びないために、滅ぼされないために出撃準備を、滅びないために誰を助け、誰を見捨て、何処を守り、何処を見捨て、感謝され、恨まれる。全てを助ける事は出来ない、助けられない。貴方達は、恨まれるだろう。それでも貴方は、選ばなければならない。貴方が、選ばなければならない。
私達を許して欲しい、恨んでくれても構わない。でも、お願い、生き延びて。
――― ―――
「ショップ経営の課金プレイヤー発狂だなー」
「うっしゃーっ!ゲーム内クレジットが実資産! 俺勝ち組!」
「次のクエストどうする?」
「生き延びてって、何だろうね?」
ここまで、手が込んでいると、絶対運営が絡んでいるよなぁ。これで、絡んでいないとなると、運営の中の人、今日は対策で帰れないねぇ……。
ま、私達ユーザは、サーバが落ちるまで関係ないけどね。
―― D-day
悲惨なニュースを見て思う事は、大抵の場合は、同情や憐憫を覚えるだけ。何故なら大事件の大半は、縁もゆかりも無い、遠い場所で起きた事だから。よほど近所で事件が起きない限り、気にしない。それが普通の反応だと思う。
もっとも気にしたとしても、自分の家族や知人がそれに巻き込まれないかと不安になる程度で、そして自分達がその事件の被害者ではない事に安堵する。
次の瞬間には、別のニュースで上書きされて忘れ去られていく。身近に影響を受けない限り慌てもしないし、何かの行動をする必然性すら感じないのが普通。人なんてのは、そんなもの。
決して褒められた事ではないけれど、ニュースの大半は所詮は他人事。気にするのはその日の天気予報か、株価か、それとも芸能スポーツニュースくらい。誰しも似た様なものだと思う。
我が麗しき母国の国民は、幼少期から災害に対する心構えを徹底的に叩き込まれる。それ故に、大抵の自然災害に対して異様なまでに耐性があり、冷静と言われる。私は今まさに、その国民的な耐性を全力発動している。
先ずは、軽く想像してみよう。朝起きて、天気予報を見るためにテレビを点けたら、お天気お姉さんの変わりに、不鮮明且つ、ぶれた映像の中で、夜の街を背景にした異形の化け物が暴れまわっている。
私の知っている限り、地球という惑星はもう少し大人しい惑星だったと思う。朝から、暴れまわる怪獣関係のニュースが流れるのが日常。そこまでワイルドな惑星じゃなかった筈だ。
従い、この今までの私の常識から導かれる答えは、ひとつしかない。朝一番で私が見ているこの映像は、何かのSF映画の番宣であって、ニュースではない。映っている異形の化け物が、自分が良くやっているオンラインゲームの中の異形、大型VOAとそっくりならば、尚更ニュースではない。
運営もなかなかやる。ゲーム内での通知に加えて、TVでもお金をかけた番宣か、何時の間にか、ゲームとコラボレーションしたハリウッド映画が作られていて、その宣伝なのだろう。そりゃ2か月前から前振りもしたくなる。
現実逃避?いや、現実逃避以前に、現実味を感じろという方が無理がある。ゲームの中身がリアルになるなんて事を信じろと?某放射性熱線を吐きまくる恐竜モドキが京都観光をしていますと言われた方が、まだ真実味がある。
頭の片隅で理性が現実逃避をそろそろ止めろと言っている。分かっている。CMなんて流さない、例え地の果てであろうが、警察署だろうが、視聴料を聴取しに来る某国営モドキ放送局、そこですら、同じ映像が流れている。
現実として認識しなければいけない。これは災害だと理性が言う。だけど、感情がそれを拒否している。感情が現実逃避を要求する。私の中で理性は、感情にぼろ負けしそうになっている。
何処のTVのアナウンサーも、顔を引きつらせながら、アナウンスしている。
「夜のソウルに巨大な怪獣と小型の怪獣というか、化け物がでた映像で……」
「初動が遅れた韓国軍は敗走し、米軍が応戦し撃退……」
「朝になると掻き消える様に消え……」
「同じく釜山にも出現した模様ですが、現在、現地では邦人の安否確認が……」
「邦人の安否確認が急がれていますが、連絡が取れない方々が多数いる模様……」
どのチャンネルでも、同じ様な内容で、同じ様なコメント。そして、何処の局のアナウンサーも、笑顔が消えた表情で、淡々とアナウンスしている。ネットも大荒れだし、世界各国のニュースも同じように大騒ぎしている。誰も、何処も、これが広告だ、番宣だと言ってくれない。お願いだ、誰か番宣だと言ってくれ。
「政府は米国と連携し、米軍基地経由での邦人救出準備に入りだして……」
「非公式な情報によると、平壌でも出現したという……」
「軌道上に所属不明の非常に大型の宇宙船が多数観測され、今回の件との関連性を……」
「軌道上の宇宙船に関連し、米露各国が戦闘配置についたという情報が……」
「政府は自衛隊の防衛出動を発動しました、本日午後には正式発……」
これは映画広告さ、絶対にそうさ。現実に有り得るわけ訳がないじゃないか。良くあるラノベじゃあるまいし、VOAが出るのはゲームの中だけの話、現実に出て来るわけがない。粗い映像の大型宇宙船が母船の姿に似ているのも偶然なだけさ。
百歩譲って本当に出現したとしよう。まだ日本には現れていないから、対岸の火事なだけさ。
世間は怪獣ニュースで大騒ぎ。ん?待てよ?そうなると……。ああ麗しき我が国の各旅客運送会社の運行管理、こんな状況でも平常運転……。なんてこった、会社を休めないじゃぁないか……。
他の国だったら会社を休むのだろうけど、なぜ日本人は出社するのだろう?
台風だろうが午後から台風なら出社するマゾな国民性だしね。他国の怪獣騒ぎ、そんなもの休みの理由に掠りもしないか。
私もその出社する、人達のひとりなんだけどね。あらま、いかんこんな時間だ遅刻してしまう、早く会社行かないと。
何か忘れている様な気がするけど、財布、スマホ、バッテリー、鍵、鞄。うん、全て持っている、忘れ物はなし。気のせいさ、現実逃避もしていない、大丈夫。
明日の朝、空には艦が、貴方には蒼い星が現れる。