1-24-13 月影
人は同じ方向を指向できても、統一した意識は持てない。その大小に関わらず、人が集まれば様々な考えを持つ集団が出来上がる。その集団の中でさえも、例えば、穏健な者達、直情的に行動してしまう者達と、様々な集団に細分化される。
ひとつの考え方に凝り固まらず、臨機応変に、群の誰かが生き残れる様に。誰かの犠牲の上に、はたまた自分を犠牲して、群の誰かを生き延びさせ、過酷な生存競争を生き延びてきた。
他者の犠牲を厭わない冷酷さが私達の強みであり、自己を犠牲にしてでも他者を守ろうとするその思考が私達の弱みでもある。相反するふたつが、混じり合っているのが私達。少しばかり冷酷な側が強いけれど、私達の尖兵である、彼等も同じ。
私達の生存性に脅威を与えるか否か。少しでも脅威を与えると判断されれば、同族であっても排除される。些か過激な考え方ではあるけれど、この屑達の塊の様な銀河で生きるためには、受け入れるしかない現実でもある。
組織の汚点が、その脅威なのか否か。普通なら恥とは思うものの、脅威と考える者達は、皆無とは言えずとも、まず存在しない。
残念ながら狂信者と言う物は、どの集団にも少なからず生じてしまう。組織の汚点は抹殺するべきと考える者達も当然の様に生じる。
組織は秩序を好み、騒乱は好まない。だからこそ組織は、組織の中の跳ね返り者達を抑え込もうとする。残念な事に、何時の世も組織の中の過激派を、完全に抑え込む事は難しい。事の大小の差はあれど、それが世の理だと思うしかない。
汚点である対象者を抹殺しようとする狂信者達。自分自身が、抹殺対象にされている事を知らない主人公。対して狂信者達から対象者を人知れず守る者達。守護者経ちと狂信者達が繰り広げる暗闘。
娯楽作品で良く用いられる、ありきたいな筋書き。その主人公が自分自身でなければ、良くある話し程度の事でしかない。例えその主人公が自分自身だと気づいていたとしても、どうしようもない。片や武装集団の彼等、片やたった一人の私。どうしろと言うのだ。川の流れに身を任せるしかない。
私にとって幸運だったのは、狂信者とはいえ、彼等も彼等であった事。衆人監視の中で、私を拉致したり、狙撃等する手段を選ばなかった事。彼等の中に残っていた少しばかりの温情のお陰で、私は死なずに済んだ。
あの当時を思い返してみれば、誰かに見られていると思った事が度々あった。彼等に怯え過ぎた妄想かとも思っていたが、私は本当に彼等に関しされていた。人の居ない場所での襲撃を企図し、私を監視する狂信者達。その狂信者達から私を守るために、私を護衛する保護者達。
双方共に各々の理由で私を監視し、双方共に隙あらば相手の派閥を排除しようと、陰で牽制や、暗闘を繰り広げていた。
例えば、或る日バイクで行きつけの水素スタンドに行く道すがら、私の前に大型ワゴンが割り込んできた。何時もなら急に割り込んできた車に呪詛を吐きながら、そのまま水素スタンドに向かっていただろう。けれどあの時、私は急にUターンをして家に戻った。なぜそんな事をしたのか、私は覚えていない。
あの時は、あれで良かったのだと彼等に言われた。もしそのまま走っていたら、特に過激な集団に少し先の山道で拉致され、人知れず処分されていたらしい。あの時は本当に肝が冷えたと言われた。
その過激な集団はどうなったのかと聞いたところ、静かに微笑まれた。何事も要らぬ事は知らない方が身のためだ。
保護されて暫く経った頃、生き延びた貴女は運が良かった。本当なら死んでいても不思議ではなかったと言われた。私は首の皮一枚で生き延びた。その面だけを見れば、私は運が良かったと思う。それ以外の部分、総合的に考えて見て本当に運が良かったのかとか、本当にそう思えるのかと問われると、即答は出来ないけれど。
保護されたとは言え、不安が無い訳ではない。いつ彼等の態度が変わり、処分されるかも分からない。今の私は、薄氷を踏む様な人生を歩んでいる。羽よりも軽い命と言う言葉がある。それよりも、もっと命の軽い世界で私は生きている。
では、保護されずに逃げ延びれば良かったに?それは無理。既に監視されていた状態でどうやれと?ドラマじゃないんだから、個人が大きな組織と闘い勝利を得るのは無理。在り得ない話だから物語として語られる。
現実の世界は、特筆した個人の力量だけで、組織に勝てない。個人は、最後には組織の物量に押し流されてしまう。私は未だ生きている。存在そのものが無いとされていた部品が、存在する者として扱われている。新しい戸籍も得られた。陽の当たる場所で生きていられる。それだけで十分に幸運、そう思わないと。
彼等は優しかった。辛抱強く、色々な仕事を試させてくれた。そして分かった事がある。私に陽の光は眩し過ぎる。私は陽と影の境目の生き物だ。
彼等の私の担当官に謝罪された。貴女の人生を破壊してしまったと。そんなに哀しそうな眼で私も視なくても良いのに。大丈夫、自分でも薄々は気付いていたから。私は壊れてる。ううん、多分、元から壊れていただけだから、気にしないで。
昔、曾祖父に言われた事を思い出した。お前は軍や公安に行っては駄目だと真顔で言われた。彼は気付いていたのだと思う。孫が異質な人間だという事を。
まかり間違えば、私は凶悪犯になっていたかもしれない。世間にとって幸運な事に、私は誤った道に踏み出すのを思いとどまり、普通の人として生きていた。
でも、それは演技だったのだと思う。心の奥底の私は異質なままで、それを隠し通していただけ。月で暫くした頃、認めたくはないけれど、少し気づいていた。私は、ずっと昔から壊れている。
社会への共感能力が人より乏しい私に、陽の当たる世界は(まぶ)し過ぎる。でも、人は嫌いではない。少しは人と関わりたい。
あいつの事は許していない。許せる訳がない。どうせコピーの私を造るのであれば、過去の記憶、家族との記憶も消してくれれば良かった。そう思った事もあった。今は記憶を残してくれた事については感謝している。
家族を愛した、家族に愛された記憶があるから私は今を生きていける。それが複製された記憶であろうとも、私にとってはオリジナルの記憶。その記憶があるから、ギリギリ人で在り続ける事が出来る。
あいつに復讐をしたいと思わない事はない。しかし残念な事に、私はあいつに復讐する事が出来ない。あいつは、自殺したそうだ。勝手に人を生み出して、世の中に放り出して、必死に生きさせておいて、自分だけ先に逃げ去るとは、何て身勝手な奴なんだろう。
暗部に少しの間だけ所属した。最低規定年度で退役させてもらった。この世界に向いていると継続を誘われたが、丁寧に断った。これ以上あの場所に留まれば、人の道を踏み外す未来しか見えなかった。
始まりからして碌な事のない今の人生なのは分かっている。存在自体が闇の様な私が今更何を言うのだと思われるかもしれないけれど、私は闇の中から陽の当たる場所に逃げたかった。
人の世は世知辛い。生きるには糧が要る。とは言え、余り人との間に密接な関係を作るのは怖い。だから、人知れず行われる特殊戦絡みの支援関係の仕事を請け負う事にした。余り人と接触もせず、さりとて接触が皆無とは言えない丁度良い環境で、結構気に入っている。
何しろ対価も良い。十分過ぎると言っても良い。ひとつ仕事をすれば、贅沢や豪遊をしない限り、何年か生きていける。世捨て人まで一歩手前の私に丁度良い。
特殊戦が気にならないと言えば嘘になる。でも、好奇心は猫をも殺す。だから、深く詮索せず、それで良しとして流れるままに生き続けよう。
無責任だって?だから何だと言うのだろう。私は今の生き方に満足とまではいかないにしても、不満は無い。どちらかと言えば、悲しみを共感出来ない壊れた私には天職ではないかとも思う。
在るか無いか分からない程度の薄い大気、動植物の姿が皆無の一面に広がる砂礫の山野。地球の月ほどではないにしても、荒廃した場所というのは、この様な場所の事を言うのだろう。
この衛星に存在した設備の類は、我々が一切合財破壊した。この荒廃した衛星で生物が人工的な設備無しで生き延びるのは無理だ。生存者が居いたとしても、生き延びる事は無理だ。
この衛星にしてみれば、昔と同じ無の世界に戻るだけの事。どうという事はないのだろう。私にしてみれば、念のために潜んでいる洞窟に、誰かが来る可能性が無に近くなる。生存者が誰も居ない。新たに誰かが此処を訪れる可能性が殆ど無いのと言うのは、非常に都合が良い。
「段々と灰色の雲が多くなってきたねぇ」
暇に飽かせて、今日も潜んでいる洞窟の影から、この衛星の母星である惑星を見上げる。見上げた惑星の空は、噴煙が空を灰色に染め、灰色の雲が地表を覆い隠す部分が多くなってきた。
素人目にみても、気候は激しく変動し、世界は崩壊の予兆を見せ始めている。そんな世界であっても、生命は、頑張って生き様としている。残念な事に、何の助けもなければ、多くの生命が次の冬を越す事は無理だろう。
堂々と増援を引き連れた私が、何の妨害も無いままに彼等の惑星に到達し、そして何の障害もなく衛星に滞在している。この結果から導かれる結論は簡単だ。彼等に助けは来ない。彼等の母星はこの星系を見捨てた。
私達に喧嘩を売るからこんな事になる。君達は喧嘩を売る相手を間違えた。運が良ければ生き延びれるよ。多分ね。
「25、良い旅を」
「26、後を頼んだ。最後の奴等を必ず連れ帰ってくれ」
「25、任せて」
今の名前は与えられた名前。元々私に名前は無かった。あえて言うなら26番、それが私の最初の名前。今回の私のコールサインと同じなのは、単なる偶然。
今の職業はタクシードライバーの様な事をしている。少しばかり命の危険がある場所に、お客を届け、そして還ってくるお客を拾い上げて国に、地球に戻るだけの簡単なお仕事。
自殺願望が在るのではないかと言われる事がある。失礼な物言いだと思う。私が死ぬと言事は、お客を無事に届ける事が出来なかったか、お客が還る手段が無くなる事を意味する。そんなお客に対して無責任な事は出来ない。仕事を受けたからには、しっかりと仕事は完了させる。それが私のポリシー。
「降下ユニット、上昇中。回収高軌道到達まで270秒」
「投下ユニット、最終グループ投下準備。現在までの損耗率は、許容範囲内」
私を指名してくる常連のお客も居る。何でも私は幸運の女神なのだそうだ。私が送り届けたお客は、全員無事で帰還出来る。普通の事だと思っていたけれど、他の戦域では全滅等もあるらしい。
ただ、私は女神と呼ばれた事はない。理由は分からないけど、大昔の綽名を短くして呼ばれる事が多い。月影のお姫様、それが短くなって月影と呼ばれている。
目立たぬ様に緩やかに動き、怯えながら月の岩陰から地球を見ていた私は、注意深く静かに敵地に送り届け、脱兎の如く地球に連れ還る仕事をしている。
目覚めてからの年月は覚えるのも面倒なので、凡その年月しか覚えていない。はっきりしているのは、昔は家から1時間と少し程度の場所が職場だった。今は光年単位の遠くに出掛ける。こんなにも家から遠い場所で仕事をするなんて、昔の私は夢にも思わなかった。
「ユニット01,ユニット1752回収。残存ユニット無し。星系離脱可能」
「機動爆雷、休眠モードから活動モードに移行」
何時もの帰還行程ならば、船内は騒々しい。全員が無事であろうと、無かろうと、生きている事を感謝して騒がしい。そして私はその雰囲気が大好きだ。
今回の乗客は全てが量子脳だけで且つ、休眠状態になっている。だから誰も喋らないし、騒々しくもない。船内は作動音しかしなく、静寂に支配されている。
静寂を乱すのは、生活音を出す私しか居ない。静かな船内を歩いていると、月で目覚めたばかりの事を想い出してしまう。感傷的になっているのだと思う。
「内惑星系に敵影無し。星系に侵入する敵影無し。惑星公転軌道離脱」
今回の任務で私は、自分の人生に一区切りを付けるつもりだ。中継基地で、今まで長い間使っていたこの身体から離れ、寿命を設定した身体に移る事にした。
紛い物なのに、私は生きていたかった。そんな私を彼等は、生き続けさせてくれた。でももう、十分に生きたし、彼等への恩返しも出来たと思う。
設定した寿命を、悠々自適に過ごせる程度の蓄えもある。少しばかり長く生き続けた私が、人生に幕を引く準備を始めても誰にも文句を言われない筈だ。
さて、新しい人生を始めるために中継基地まで還りますか。
「26、星系離脱開始。目標、ルイテン789-6」




