1-24-11 住処(すみか)
彼女は、生存している事が罪になる。我々の、ある一部の者達にとっては、我々の罪が具現化した存在。ある一部の者達にとっては、我々が贖罪するべき相手。私はどちらの考えも否定しない。どちらの考えも理解できるから。
今の私はまだ彼女を守る側に組している。向こう側、彼女を滅しようとする側に組してしまう未来は否定できない。確かに私は、善なる者ではない。けれど、人の心まで失いたくない。だから、可能な限り此方側に踏み止まろうと思う。
彼女の存在が確認された時、我々の中では激論が交わされた。彼女をどうするのか、処分するか、保護するか、放置するか。処分派と保護派で意見は二分された。
処分派の意見は、彼女は、存在してはいけない存在なのだから、早々に処分するべきというもの。保護派の意見は、彼女は被害者であり、処分すると言う意見は、彼女を人ではなく、物として見ている彼の考えに同調するのも同然だというもの。
どちらの言い分もある意味正しい。どちらも相手に譲歩する気がなかった。これでは何年経とうと、意見が纏まる訳もない。結局の所、彼女を見守るという折衷案落ち着いた。玉虫色の決着、所謂、問題の先送りというやつだ。
彼女の姿、正確には彼女の顔を直接見た物はいない。けれど彼女の容姿、声質は分かっている。何しろ25体もの急速生成クローンの遺体がある。推測するのは容易だ。ただし、彼女の性質や性格は分からない。こればかりは、実際に会ってみなければ無理だ。
彼女は時々だが装甲服を着て、施設近くの岩場に現れる。フェイスシールドの向きから、地球を見ていると思われている。かぐや姫は月に帰りたがったが、彼女はその逆だなと誰かが言った。言い得て妙だとは思ったが、少し彼女が不憫だとも思った。その頃だろうか、岩場の影から地球を眺める彼女の呼び方が、彼女から、月影のお姫様に変わった。
これは、とんでもない。彼女の施設の自立型無知性保守ロボットに擬態したマシナーが得た、彼女の施設情報を把握した、我々の素直な感想だ。あの馬鹿野郎、どれだけの施設を此処に作っていたのか。
それが、彼女にとって幸いと言って良いのかは少し疑問があるし、幽閉されている彼女に対して言い方は悪いが、この設備内容ならば、何不自由も無く暮らせる。
ただ、問題が無い訳でもない。格納庫や倉庫情報を見た我々は、頭を抱え、そして再び、彼女をどうするべきかの激しい議論が始まった。
格納庫の中には、大きくは輸送船、小さくても強襲降下ポッド。倉庫には各種の携行武器が保管されいた。そして困った事に、彼女は有り余った時間の一部を、戦闘訓練に割いている。何もせずに無害で、無力のままでいれば良いものを、なぜ自ら危険を呼び寄せるのか。
今はまだ素人に毛が生えた程度だが、彼女が本格的に戦闘能力を得る前に処分するべしと言う声が、日増しに大きくなっていく。
ひとまず、彼女は処分しない事で落ち着いた。戦闘訓練が進むにつれてその負荷が大きくなり、人によっては、訓練中に罵り声を上げるのは良くある。彼女も同じだった。そして罵り、憎しみをぶつける相手はあいつで、我々ではなかった。
そりゃそうだ、彼女をこんな目に遭わせたのはあいつであって、我々じゃない。当然、憎しみの向きはあいつになる。
とりあえず、我々の脅威にはならないという事で、現状維持となった。ただし一部の処分派が未だ文句を言っているので、彼等を観察しておかねばなるまい。
彼女が月から脱出する事を企図しているのは、分っている。輸送船や揚陸艇に物質転換装置や、各種衣類、補給品等を積み込めば、月から出ようとしているのは否が応でも分る。但し、その行先が分からないため、我々の中で、この脱出行をどうするべきかで意見が割れている。
普通に考えれば、単なる脱出だろう。行先は太陽系外かもしれないし、地球かもしれない。穿った見方をすれば、地球に攻撃、例えば輸送船に生物兵器や、反応兵器を搭載して大気圏で自爆。
現状は、生物兵器や反応兵器は搭載されていない事が確認されているので、単純な脱出だと判断されているが、それでも一部の馬鹿どもは、それは擬態であり、危険性がゼロ出ない限り、事前に処分するべしと煩い。
組織も大きくなると、どうしても馬鹿な者達が生じる。幸いな事に我々の中では、彼女を保護するべしとういのが絶対的多数。とは言え安心は出来ない。いつの世も、馬鹿は暴発する。
報道管制しながらの列強との戦争準備のお陰で、目が回る程に忙しい。地球近傍は戦闘艦やら哨戒中の襲撃機やらで溢れかえっている。その隙を突かれた。馬鹿が襲撃機を使って、彼女の施設を攻撃しようとしていた。幸いな事に未遂に終わったが、馬鹿が此処まで暴発するとは思わなかった。
そう言えば、襲撃機の哨戒が始まった頃からだろうか、彼女は岩場の影に出てこない。少し前に襲撃機の姿を気にしていた素振りがあったので、哨戒中の襲撃機に見つかる事を恐れているのだろう。
いや、貴女の事はもう知っているし、見ている。哨戒中の襲撃機が、貴女を見つける事はない。だから安心して岩場の影から地球を眺めてと教えてあげたいが、そうもいかない。何とも、もどかしい。
列強との戦争が終結し、戦闘部隊の地球への帰還もひと段落し始めた頃、やにわに彼女の動きが激しくなってきた。彼女は月を出るつもりだ。揚陸艇しか準備していないところから、彼女は地球に還るつもりだ。
最近、岩場の影から地球を眺める事を再開した彼女だが、前と異なる事があった。声が伝わる事はないし、装甲服のフェイスシールドで表情は読めないが、身体の動きからみて、泣きながら絶叫している様に見える。
個人的な意見だが、恐らく彼女は、もう限界なのだと思う。その気持ちも分る。いきなりこんな場所で目覚めて、還りたくても、地球は眺める事しか出来ない。普通ならもっと早くに限界が来ている。彼女は良くここまで持ったものだと思う。
まさかあんな無茶をするとは思っていなかった。素直に揚陸艇で地球に降りるのかと思えば、揚陸艇を破壊して強襲降下ポッドで降下するとは予想外だった。
揚陸艇が空中分解した時は騒然となった。還りたかった地球を目の前にして死ぬとは余りにも不憫だと、彼女の突然の死に涙した要員が多かった。もっとも、暫くして強襲降下ポッドが確認された時に、その嗚咽は歓声と共に「ふざけんな!」という罵声に変わったが。
まさか揚陸艇の破片に紛れて、強襲降下ポッドで海に向かって降下するとは、無茶苦茶をする。何処にそんな度胸があったのか。
やる事が無茶苦茶過ぎる。強襲降下ポッドが海に没したと思い、再び騒然となったが。微弱な重力変位を検知し海中を移動しているのが分かった。貴女の行動は我々の心臓にダメージを与え過ぎる。既にぐったりしている要員が何人か見える。頼む、もう少し自重してもらえると助かる。
お願いというのは、聞き届けられないものだ。何でポッドから降りるかなぁ?
今までの行動からしてやり兼ねない、彼女がポッドから降りる可能性は指摘されていた。けれど、秋口とは言え、山は真冬の寒さになる時もある。そして今は夜。
昔の彼女の経歴を見ても山歩きの経験は無いが、彼女は用意周到だ。山の寒さも、夜の山歩きの恐ろしさ調べている筈。だから、そんな彼女が夜の山中でポッドから降りる可能性は低い……筈だった。
途中の休憩施設に彼女が立ち寄ってくれれば、施設の監視カメラで彼女を検知できただろう。しかし山道そのものには、都心の繁華街でもあるまいし監視カメラが多数ある訳がない。ましてや、今は夜で更に見つけ難い。
その結果、彼女を見失った。彼女が何処に向かったのか、無事なのか、それとも遭難したのかすら分からない。不謹慎な話だが、彼女が車両窃盗でもしてくれれば、車両認識システムで探知出来るのにと、彼女が車両窃盗を切に願った。
そんな願いも空しく、彼女を見つけられぬまま、時間ばかりが無駄に経過していった。朝になり、恐らく彼女は遭難している、捜索隊を出すべきではないかという意見が多数を占め出した頃、彼女が少し離れた場所の駅に現れた。
「外貌、対象と一致」
まさか彼女が堂々と顔を隠しもせずに近隣の駅に現れるとは、誰も思っていなかった。あの時は、彼女の不注意に感謝したが、考えて見れば、彼女にとっては公共交通機関は安全な場所だったのだろう。
彼女の時代では、外貌認識によるテロリストや犯罪者達の捜査は広まりつつあったものの、そこまで一般的に知られていなかった。
今の時代、外貌認識システムが公共交通機関の出入り口に設置されているのは常識。だからテロリストや犯罪者達は公共交通機関を使うのを避ける。
幹線道路や高速道路、繁華街には、車両認識システムと外貌認識システムが併設されているのは常識。当然の如く、彼等犯罪者達はこれらの場所も避ける。
彼女の認識では、事前のセキュリティチェックが無い公共交通機関は安全だと認識していたのだろう。彼女の認識が古いままで助かった。
「対象、高尾山口駅で降車」
やれやれ、色々あったけれど、やっと住処の最寄り駅まで到着した。ここから再び予想外の行動開始は無いだろう。彼女は用心深い。現代の常識からすれば少々物足りない所はあるにせよ、彼女は慎重に行動する。
夜半の高尾山口駅から、徒歩で移動なんて目立つ行動は取らないだろう。彼女はタクシーで移動する筈。油断は禁物だが、彼女が向かう先はあの住処しかないと考えている。別の場所に移動だなんて勘弁して欲しい。このままタクシーで住処に何もなく移動してくれると本当に助かる。
「対象、タクシーに乗車、住処に移動中」
住処は、あの製造者の記憶捜査で見つけられたのではなく、別件のテロリスト達の捜査途上で偶然に発見された。四半世紀以上も誰が使っているか、近所の人も余り知らない。怪しげな管理された研究施設を確認しない訳がない。
怪しい研究施設が、製造者が秘匿していた彼女用の隠れ家と分かった時、我々は製造者の偏執的とも言える準備周到さに恐怖さえ覚えた。そして少し、製造者からその行動を予測され、逃げ切れない彼女に同情した。
この怪しげな研究施設は、隅から隅まで調べ尽くしてある。彼女は地球に還ってきて、自由とまでは言えずとも、不自由ではない生活拠点を得られたと思うかもしれない。残念な事に、彼女は形だけの自由を得るだけだ。
月の牢獄から、山中の牢獄に変わるだけ。人工の環境ではなく、本物の自然環境。それを味わえるだけマシと言われるかもしれないが、牢獄に変わりはない。同情しない訳でもないが、こればかりは、諦めて欲しいとしか言えない。
月とは違う所もある。彼女は自由に外出が出来る。この施設の設備を用いて何不自由も無く暮らせる。とはいえ、無法図に自由にさせる訳にもいかない。不用意な人物との接触は事前に防止しなければならない。
我々にとって彼女は、出来得る限り隠しておきたい恥でありながら、我々が護るべき被害者なのだから。つかず離れず、適度な距離を保ちながら監視が付くのは、勘弁してもらうしかない。
悪い事ばかりじゃない。特定の者達だけではなく、ある程度の階層の者達には彼女の事が知られる様になった。これで彼女が無かった事にされる未来はなくなった。そして、私も闇の向こうに堕ちず、処分されたであろう未来が無くなった。
少しばかり、私の方が彼女より良い事が多い気がするけれど、彼女には悪いが、これも勘弁してもらうしかない




