1-24-10 罪過
善悪だけで言えば、我々は基本的に善だ。彼女の件に係わった者達という条件で絞れば、善だと言うのは難しい。そして私は彼女の件に係わっている。
組織は、彼女の事を可能な限り隠蔽したい。端的に言えば、見なかった事にしたい。当然の如く、その一構成員である私の行動もそれに倣う。
本当は彼女を優しく扱いたい。けれど、組織の決定には従わなければならない。自分の意志ではない。だから私は悪くない。そんなのは嘘だ。言い訳に過ぎない。
我々の汚点である彼女の事を知る者は少ない。けれどそれを別の視点で見てみれば、機密保持のために処分される者達が限定されている事を意味する。
下手に関われば、処分されてしまう面倒事。余程の自殺願望でもない限り、そんな面倒事には関わらない様にする。それが普通の感性だと思う。
組織に所属している以上、若干ドラマチックな人生になるのは致し方ないものの、私は平穏無事な普通の人生を過ごしたいと思っている。
人生にドラマは求めていない。だから彼女とは関わりたくない。しかし、私は彼女の事を知り過ぎている。何事も無く逃げ出すには遅すぎる。
彼女の事は恨んではいない。どちらかと言えば、彼女の状況に同情を覚える。でも、彼女が居なくなれば、私はこの泥沼から抜け出す事が出来る。彼女が自滅して消え去ってくれないか。心の奥底でそれを願っている自分が居る。
彼女は不憫だと思う。彼女の時間軸では数年しか経っていない。けれど実際の時間軸では四半世紀以上経過している。年月が経過したのは、事故でもなく、彼女のせいでもない。彼女は、犯罪の被害者だ。彼女に罪はない。
彼女の伴侶、彼女の子供達は既に鬼籍に入っている。彼女の家族は、この世界には存在していない。しかし子孫は居る。それを幸せと感じるか否かは別の話しだが、その孫や曾孫、玄孫は居る。
彼女は我々の恥が体現された存在。だから、彼女は放置できない。彼女を自由にすることも出来ない。彼女の事が表沙汰になるのも望まない。
彼女には済まないと思う。しかし、我々に選択肢は無く、彼女に選択出来る道はない。残念な事に、世の中はハッピーエンドばかりじゃない。
彼女の存在を我々は知っていた。最初から知っていた訳ではない。本来なら、彼女の事を知る事はなかった。彼女にとっては不幸な事に、我々にとっては幸運な事に、いや、不幸だな、些細な偶然の積み重なりの結果、彼女を知る事になった。
彼女の存在が確認された時、我々の中は大揉めに揉めた。一部では殴り合いにも発展したらしいが、まぁこれは眉唾物の噂話だろう。
結論を言えば、我々は非常に傍迷惑な物、いや物ではないな、非常に取り扱いに困る人を発見してしまった。
彼女の噂が無かった訳じゃない。よく言う都市伝説というやつだ。彼女は都市伝説として酒宴や、食事会などで話に上る対象だった。
人と言う生き物は、環境が変わろうとも、噂話が好きだ。笑い、妬み、僻み、怒り、そして恐怖を覚える怪談話、種類や程度に差は在れど噂話が大好きだ。
都市伝説というのは何処にでも在る。この月にだって数々の都市伝説がある。彼女はそのひとつだった。
ここ数年で広まった都市伝説のひとつに、この月の何処かに不老不死のお姫様が居る。かぐや姫の二次創作小説じゃあるまいしという話しがあった。
証拠があるのかと聞いてみれば、やれ友人に聞いた、友人の知人に聞いたのだと出所の怪しい話ばかり。眉唾物の怪談話、それが都市伝説と言う物だし、皆それを分かりながら酒の肴として楽しんでいた。誰も面倒事を抱え込む気は無かった。
ただ、彼女の都市伝説は珍しく出所の確かな話が発端になっている。そのため、他の都市伝説より真実味があった。だから他の都市伝説が生まれては直ぐに消えていくのに、彼女の話だけは残り続けていた。
桜マークの初期ARISが事件を起こした。仲間が櫛の歯が欠けた様に消えていくのに、ひとり生き残り続けるのに耐え切れなくなった。彼なりに考えた方法が人の道を外れた物であり、間違いだった。その事件の発覚が、彼女の話の始まりだ。
運が悪かった。ひと言で言えばそうなる。普通ならば、彼の事件は発覚しなかっただろう。だが、我々の恥とも言える事件ではある事に変わりはない。
月軌道を周回中の着床待ちの輸送船の積荷が爆発した。幸いにも破片の落下予定地は施設も何もない場所。監視シフトの者達もそう思っていた。彼の施設の拠点防衛システムが直撃落下コースの破片を弾き飛ばすまでは。
騒動になった。何も無いとされている場所で拠点防衛システムが起動したのだから。リストに漏れているか、それとも見てはいけない施設を見てしまったのか。どちらにしろ禄な結果は連れて来ない。
ひと騒ぎの後、本当に何も無い筈の場所であることが確認された。それは、それでまた別の騒動を引き起こした。じゃぁ、何の施設なのだと。そして実地調査が行われる事になり、この施設が発見された。
白を基調とした整理整頓された清潔な場所。生活感が全く無い、何と言えば良いのか、病院の様な、博物館の様な場所。ドラマや映画でありがちな、薄暗くて乱雑な場所ではない。どの通路も明るく照らされ、整然としている。
通路は部屋が白一色なのは、基本資材をそのまま使っているからだが、それにしても他の色の資材を混ぜても良いだろうに。通路の先の大扉まで白色だ。
大扉の向こうは、倉庫と言っても良い程の大部屋だった。これが薄暗い部屋であれば、未だ耐えられた。そう愚痴をこぼした者が居たが、私はそれに同意する。
明るく照らされた白い部屋の中には、5列5段に等間隔で整然と設置された、これもまた側面が白色の休眠ポッドが設置されていた。一時は、要救助者を発見したかと騒然となったが、今は誰も喋らない。みな厳しい顔をしている。
それは、休眠ポッドではなかった。棺桶なら未だ良い、それは棺桶ですらなかった。ポッドには番号が振られ、その中には、急速生成クローンの遺体が、愛情のある安置ではなく、研究対象として整然と番号順に保管されていた。
若い番号のグループは、急速生成に失敗した遺体。急速生成の一部に何かしらの不具合を生じた遺体。急速生成が制御不能になり、生成を強制中断したと思われる遺体。まともな遺体は一つも無かった。
肉体的な失敗だ。ホラー映画でもこの様なシーンがある。記録映像も大した事は記録されていない。精神的なダメージが無いとは言わないが、未だ耐えられる。
番号が大きくなるにつれて、不具合は肉体的なものから内面的なものに移行していったのだろう。どの遺体も見かけだけならば、普通の姿だ。
不謹慎ではあるが、綺麗な容姿の少女だと思う。恐らくこの番号の辺りで肉体の急速生成技術が確立されたのだろう。
綺麗な容姿とはいえ、それが何体も遺体として並ぶとなると、不気味を通り越して怖気を覚える。ただし、遺体の死に顔に何か違和感を覚える。何と言って良いのか分からないが、安らかな表情とは何かが違う。
違和感の原因は、記録映像から判明した。大きな番号での研究課題は、如何にして、知識や記憶の転写を短縮が出来るかであった。シミュレーションが上手くいっても現実では上手くいかない事は多々ある。だから実地で何度も限界点を探る。問題は、彼が限界点を探ると、何人もが犠牲になるという事だ。
何人ものクローンが急激な転写に耐えきれなかった。知恵熱どころか文字通り脳が焼き切れ死んでいった。20番台以降は何とか生き残りはするものの、心が壊れてしまったので処分したと記録されていた。処分て何だ?物か?!人だろう?!
最後の25番の記録で、転写速度に光明が見えたとあったが、幸いにも彼の研究は此処で終わりだ。これ以上の犠牲者を出さずに済んだ。それだけが幸いだ。
違法な急速生成クローンの製作、これだけでも十分に我々の汚点ではあるが、知識と記憶の急速転写における実験。25の遺体とその研究記録の存在が、我々をして、この事件を恥と言う理由だ。あれは……白の煉獄だ。目的は理解できる。その気持ちも分る。だからと言って、この手段を用いたのは間違いだ。
人は苦しみから眼を逸らせたい時に馬鹿な話をして気を逸せる場合がある。彼女達の遺体を見つけて少しPTSD気味になった捜査班も、何か別の話しをして気を逸らせたかった。それを責めるつもりはないし、私もその話に乗った同類なので責める権利はない。
誰かが言い出した。25体の失敗した遺体だけがあるのはおかしくないか。この場所は製造と安置場所はあるけれど、人が生活するにはおかしくないかと。生きている26体目が何処かにいるのではないかと。
嘘に真実を混ぜると、その嘘は真実として広まり易い。困った事に、同じ容姿の少女の遺体が多数在り、容姿も声質も推定可能。野火が広がる様に噂は広まった。
ただし、彼女の話は、酒の肴の域から出る事はなく、言われれば思い出す程度の話。それ以外の何物でもなかった。
彼の施設は捨てるには惜しく、我々の休眠施設として管理されている。定常業務で施設周辺を探査していた者が、施設を覗うレーザー通信式のカメラを発見した。
他の部署が付けたのかとも思ったが、設置記録が何処にも無い。報道機関にばれたとのかと思えば、そうでもなく。犯罪者達かと思えば、そうでもない。
騒ぎにする訳にもいかないが、無視する訳にもいかない。先ずは密に重要施設の周辺を調査したが、カメラは存在しない。そうこうしているうちに、月の観光施設を覗い見れる丘の上にも、似たようなカメラが発見された。
カメラを監視しているカメラが在るかもしれない。気づかれてしまえば、カメラの持ち主が地下に潜ってしまい、下手をしたら逃げられてしまう。だから、何処に送信されているのかを実機を調査し確認出来ない。別の方法を取るしかない。
監視映像から概略の方向を掴み、概略の方向をしらみつぶしに探査。正直、気が遠くなる様な観測と推測の積み重ねで、カメラの送信先を絞り込んだ。そして我々は、新たな悩みの種を抱える事になった。
送信先には、何かの施設があった。何の施設かは分からない。彼の施設と同様に何の記録もないからだ。この時点で、彼女の都市伝説を想い出し、26体目じゃないのかという意見も出たが、余りの与太話だと一笑に付されていた。
正直に言えば、一笑に付す事で、彼女が居ない事を祈っていた。彼女を探さなかった訳ではないが、そこまで真剣に探していなかった。どちらかと言えば、我々は彼女が居ない事を祈っていた。残念な事に、大概にして、その手の祈りは聞き届けられない。
彼女は、生き続け様と藻掻いていた。26体目の急速生成クローンにして実験の被害者。素直に生存を生存を喜ぶ事の出来ない、実験体唯一の生存者。
抹消する事が出来得るのであれば、今直ぐに消去すべき我々の汚点。しかし、決して消す事の出来ない、我々の重い罪過。
彼女を見守るだけで何もしない。彼女を助け出そうともしない。1日が過ぎる毎に、私の罪が重くなっていく。心の奥底で、彼女が居なくなって欲しいと願う気持ちが大きくなっていく。そして、私はそれを止められない。




