1-24-9 隠れ家
電車を見た時は、これでやっと電車で移動ができると安堵した。でも、私の想像より少しだけ未来的過ぎる姿の車両に、流れ去ってしまった時間の長さ、取り戻す事の出来ない時間の流れを突きつけられた様で悲しかった。
そうであったとしても、この路線は今も廃線にもならずに住民の足として存続している。この路線が無かったら、途方に暮れるところだった。だから、まだ路線が存在している事には感謝しかない。
平日の地方路線、早朝と言うには少し早い時間。こんな時間に乗る人は殆ど居ないと思っていたけれど、ちらほらと乗客の姿が見える。
週に一度、早く出勤するために早朝の電車で通勤していたなと、ふと昔を思い出し、そして、もう戻れない世界を想って苦笑いが出てしまった。
乗り合わせた乗客と視線が合うのを避けるため、見るともなしに窓の外を見ている内に、徐々に乗客の数が増えてきた。どうやら朝の通学時間と重なる列車に乗っていたらしい。乗り合わせた学生達に何気に見られている気がする。
地元民ではない私が、この車内で浮いてしまうのは仕方がない。冬の観光シーズンとは言え、平日の昼間に少女が一人で電車に乗っていれば、目立ちたくなくても、目立ってしまう。
私はちゃんと一人旅の観光客に見えているだろうか。若干大きめのハードシェルバックパックの荷物を持った、眼鏡姿のヘッドホンを掛けた大人しそうな若い女性?いや少女?の旅行中の人に見えているだろうか。
調べた限りでは、この時代でもヘッドホンが普通に使用されている。だからヘッドホン姿でも、浮いて見えていない筈。服装や持ち物も、然程は場違いではない筈。少し荷物が目立つかもしれないけれど、問題は無いと思いたい。
予定で積み上げ在られた時間から離れ、暖房が程良く効いた心地良い車内から、窓に流れる景色を眺めている、日常から離れた緩やかな時間を過ごす旅行中の少女。そう、見えていれば良いのだけれど。
「ねぇ?芸能人かな?」
「分かんない。調べてみる」
私を注意深く観察してみれば、私は何か怪しい人間に見えてしまうだろう。彼等に見つかるのを恐れ、周囲を警戒し続ける私は、どう誤魔化そうとしても僅かな体の動きを隠せない。
更に良く観察してみれば、ヘッドホンを掛け周囲の音が聞こえないふりをして、周囲の人達と視線を合せない様にしている。まるで、人目を避ける芸能人の様に見える。いや、芸能人は言い過ぎか、警察の目を避ける逃亡者の方が正しいだろう。
先程から此方を見ている周りの学生達と視線が合ってしまうと、話しかけられそうな雰囲気がする。下手に車内を見ると、誰かと視線が合ってしまう。視線を合せない様に外を眺め続けていよう。
ところでヘッドホンと言っても、音楽を聴いてる訳じゃない。彼等の戦術通信を傍受している。眼鏡には近辺の彼等の車両や揚陸艇の位置が表示できる。
流石に秘匿情報は分からない。でも、何かおかしいと違和感を覚えられるだけで良い。そうすれば、何かあった時に数秒であろうとも時間を稼げる筈。
札幌までもう少し。札幌に到着さえすれば、リニアで首都圏へ一気に移動できる。あと少しだけ、詮索してくる周囲の眼差しに耐えよう。
在来線の学生達の直接的な視線ではなくて、何か伺い見る様な視線をリニアに乗り換える時やリニアの車内で浴びた気がしたけれど気のせいだろう。それ以外は特筆する事は何も起こらず、平穏な首都圏への旅だった。
変な話かもしれないけれど、東京でリニアから在来線に乗り換えている時の方が、注目されていた様な気がする。人が多いので、気のせいだとは思う。
または東京に到着し、隠れ家まであと僅かとなり、彼等に見つかり何もかもがお終いになる恐怖、彼等への恐れが作り出した偽の視線だろう。それが、違和感を覚える視線の正体。私が気にし過ぎているだけと思う。
覚悟はしていたし、自分でも理解していると思っていたけれど、実際に在来線に乗り、知っている駅名を聞き、車窓の外を見ると、現実を突きつけられ、心が事実に圧し潰されそうになる。
此の時間軸は私の時間軸じゃない。この時間軸に居る筈の無い存在が私。私と世界の時間軸は異なる。世界は私が居ない間に未来に進み、私は世界から何十年以上も遅れて歩いている。
気づいたのは、目覚めて暫くした頃に外の情報を確認している時。最初は何かの間違いだと思おうとした。けれど、現実は私に現実逃避を許してくれなかった。
冷静に考えれば、私の前に25体もの急速生成クローンが居た。だから、何十年も経っているのは当たり前。数か月の訳がない。只でさえ自分がクローンだと知って精神的に限界だったところに、この事実は重すぎた。
容姿や性別が変わっただけでも心理的重圧は大きいのに、貴女が目覚めたこの世界は、貴女が居たせかいより何十年も時間が経過している。それを平気な顔をして受け入れられる訳がない。
普通ならその様な事実に押し潰される。私も押し潰された。余りの事に何も考えられなくなり、ただ食べて寝るだけの日々を暫く過ごした。
普通なら心が壊れてしまい、元に戻らないのだろう。恐らく私の前の25体の何人かは、その様にして廃棄されたのではないかと思っている。
前の何人かとは異なり、私は心より先に感情が壊れてしまったのだろう。いや、元から壊れていた。本当の私が複製されたので、心が壊れなかったのだろう。
思い起こせば、私は感情の起伏、特に悲しさと言うものを感じ取れない。悲しみを演じる事は出来ても悲しみを理解できない。妻子にはそれを隠し通していた。
まぁそんな事はどうでも良い。恐らくそのおかげで私は立ち直り、此処に居る事ができる。深く考えても仕方がない。そういう事だと思う様にしている。
車窓から見える夜の東京の街並みは、記憶の中の光景から様変わりしていて何処に居るのか分からない。駅名が同じだから大体の場所は分かる。これで駅名が異なっていたら露頭に迷っていた。
浦島太郎に成った気分とはこの事を言うのだろう。冷静に考えてみれば、私があのテロに巻き込まれた時から相当な年月が経っている。街並みが変わっているのは当たり前と言えば、当たり前か。
嗚呼……この駅で降りたい。街並みも、駅の姿も私が知る姿ではない。でも名前が同じだから、この駅の筈。この駅で降りれば、家族を一目でも見れるかもしれない。でも、行ってはいけない。家族が生きている可能性は低い。
私の時間軸と、世間の時間軸は違う。ほんの数年しか経っていない。それが私の時間軸。けれど世間の時間軸では、ひと昔前どころか、その時代を生きていた人達が存命している訳が無い程の大昔。
オリジナルの私は、何年も前にこの世を去っている。子供達すら、鬼籍に入っていてもおかしくない。子供達の曾孫や、玄孫が居ても不思議じゃない。
そもそも私は複製。存在してはいけない複製。そんな存在が彼等の前に現れて良い訳ががない。私の存在は、家族に知られてはいけない。そんな事は分かっている。理性はそう理解していても、心が締め付けられる様に苦しい。
扉が……閉まる。この駅で降りれば、家に帰れるのに。たった数歩先の扉が、無限の彼方に在る様に見える。
この駅から車で暫く行った所に、隠れ家が在る。さて、こんなにも年月を経ているけれど、隠れ家は無事に存在しているんだろうか。無いと本当に困るんだけどな。そう思った所で、居てはいけない場所に居る私が、今更何を気にしているのだと、笑いがこみ上げてきた。
「高尾駅乗り換え口、外貌、対象と一致」
「対象、高尾山口駅で降車」
タクシーの運転手さんに行先を告げたら、怪訝な顔をされた。どうやら隠れ家は、近辺の人達には、何処の企業か所属かが不明な怪しい研究施設扱いされているらしい。今から研究ですかと言われたので、適当に話を合せておいた。
怪しいのは隠れ家じゃなくて、貴方のタクシーに乗っているこの私なのですがと言いそうになった。駄目だ、笑いがこみ上げそうになる。タクシーの運転手さんが変な目で此方を覗っている。気を付けないと。
人心地ついてから、隠れ家の庭に出てみた。手入れの行き届いた広い庭を、雨に濡れた樹木と土の匂いの夜風が渡り、頬を撫でる。家族に会う夢は叶えられなかったけれど、夢にまでみた地上の風の匂い。やっと……やっと地球に還ってきた。
隠れ家で暮らし始めて、そろそろ2週間が経つ。時間の経過と共に、あれ程までに強く思っていたあいつへの殺意が薄れてきたのが分かる。冷静になってきたという事だろうか。
ゆっくりと物事を考える事が出来るようになってから思う事がある。あいつが私を選んだのは偶然ではないのかもしれない。私を観察し、あいつの目的に適した人材として選ばれたのかもしれない。テロの実行犯はあいつで、私を得るためにテロを起こしたのかもしれない。私はあいつに狙われていたのかもしれない。
あいつが、隠れ家を残した理由は、私の為ではない。あいつ自身の為だ。何か在った時に、死と言う開放をあいつに与える手段として、私を安全に確保しておくための場所だろう。
あいつを始末した後に、彼等から逃げ切るのは先ず無理だ。私の手であいつを始末するのは、止めておくべきだろう。
彼等に始末されてしまえば、私と言う悪行の証拠を消滅させたいあいつの思う壺になる。ふざけるな、あいつの掌の上で踊らされるのは御免だ。




