1-24-6 正しい方法
警報音というのは、人を不安にさせる音色があえて選ばれている。それが役目だとはいえ、気持ちの良いものではない。
この隠れ家を偵察が出来る宙域の航行数に変動があれば警報が出る様に設定してあった。監視している宙域だけではなく、地球近傍全域で航行数が上昇している。
軌道施設の人口増加に伴い往還艇等の運航数は増加していた。今は戦闘艦だけではなく、戦闘艇の運航数も上昇している。何かが起きたのか、何かが起きるのか。
日を追うごとに雰囲気が異常になってきている。編隊を組んだ戦闘艇が何組も飛び交っている。何が起きたのかと調べてみても、なにも報道されていない。何かが起きる前兆だとしても、報道からは読み取れない。
刹那的に成っているとはいえ、私に自殺願望はない。こんな状況で、地球への帰還を試みるのは無謀過ぎる。ここから出た途端に見つけられて、それで終わる。
航行数が増加すれば、この場所が彼等に見つかる可能性が上がる。最悪だ。早くこんな場所から出たいのに、出るに出れない。警報が発報されてから、そろそろ半年は経つというのに、まともな報道も、タブロイド紙の飛ばし記事も無い。
調べるにしても、その手のプロでもない素人の私が出来る事は限られている。何もかもが手詰まり、なぜ航行数が増加したのか、その原因が未だに分からない。
警報が出る前までは、時々、装甲服を着て隠れ家の外に出ていた。危険な行動なのは分かっていたけれど、心の平安のためと言い訳をして、隠れ家のメンテナンスハッチ傍の岩場に出掛けていた。
ディスプレイ越しではなく、例え装甲服のフェイスシールド越しであろうと、自分の目で地球が見たかった。気づけば、1・2時間地球を眺め続けていた事もあった。でも、今は僅かな危険も冒せない。地球はディスプレイ越しでしか見れなくなり、苛立ちだけが増していく。
やっと理由が分かった。地球のTV局は大騒ぎだ。どうやら何処かの列強種族に売られた喧嘩を地球は買ったらしい。報道が正しければ、相手の戦闘艦よりも、軌道施設等を徹底的に破壊し、墜とし、相手の継戦能力を奪っているらしい。
成る程、列強種族と戦争中なのか。ならば、多数の戦闘艦や戦闘艇が飛び交うのは不思議じゃない。とは言え、お陰で私は大迷惑を被っている。警戒態勢の地球近傍を、怪しげな識別情報しかない私が航行できる訳がない。
状況の変化を待っているだけとか、怯えているだけだったとか、無為な時を過ごしていた訳じゃない。何しろ時間だけは十分にある。地球に還る準備を色々と進め、色々な帰還方法の中から2種類に絞り込んだ。
方法は絞り込んだものの、踏ん切りがつかない。どちらの方法にも失敗の可能性がある。失敗すれば、地球に還る前に私は死ぬだろう。こんな偽物の命であっても私の命には変わりない。還る方法をどちらにするべきか、決められない。
報道を見るに主力は未だ地球に帰還してきていない。だから直ぐに警戒態勢が解除されるとは思えない。とはいえ、早々に警戒態勢が解除されてもおかしくはない。時間は在る様で無いかもしれない。
どちらを選ぶべきかを考え続けていたからなのか、葛藤で心が疲弊していたからなのか。理由は分からないけれど、昨日は変な夢を見た。
夢と言うのは正しくない。心の奥底に積み重なっていた恨つらみを消し去る願望を想い描いた。そう思う方がしっくりくる。
夢にありがちな、馬鹿みたいな内容の夢だった。私をこの牢獄に閉じ込めた諸悪の根源であるあいつを、殺しに行くアクション映画の様な夢を見た。
所どころに在る警察の封鎖線を避け、抜け道の舗装された山の小道をバイクで駆け上がる。あいつが居る場所、山奥の神社のその奥に向かい駆け上がる。腰に挿した銃であいつを射殺するために、桜並木の小道を駆け上がる。
残念ながら坂を駆け上がる途中で夢から醒めたので、結末は分からない。叶うならば、あいつに鉄槌を振り下ろせた結末であることを願う。
それを本当と信じるべきなのかは悩ましいものがあるけれど、あいつは公式には死んでいる。ただあいつは死んでいないだろう。あいつの作り出した技術は彼等にしても、確保すべき有用な物が多いと思っている。だから、あいつは何処かに幽閉されていると思っている。
悔しいけれど、私にあいつの幽閉場所を知る伝手も、技術もない。だから、この手であいつに復讐するのは叶わぬ夢だと思っている。
現実の世界は艱難辛苦で殆どを占められている。特権階級でも、力を持つ人間でもない、ごく普通の私の様な者は、特にその厳しい現実を認めるしかない。だから、せめて復讐する夢を見るのは許して欲しい。
大昔、オリジナルの私が新人社員だった頃に先輩に言われた事がある。物事は、複雑すぎても駄目だし、単純過ぎても駄目だ。ややこしいのは、事象によって、複雑さや単純さの度合いが異なる事。まぁ要するにその度合いを見極められるようになれば一人前という事だ。
言うは易く行うは難し。複雑過ぎれば、一寸した事で制御不可能になる。単純過ぎれば、一寸した事で挽回不能に陥る。その度合いが見極められないから、私は地球への帰還方法を決められないでいる。
帰還方法を絞り込めないまま、何日が経過したのだろう。ただこの時間は無駄じゃなかった。主力の帰還が続き、日が変わる毎に緊張した雰囲気が柔らかな雰囲気に変わっていく。
さぁ、そろそろ行かないと。もう十分に待った。行動の時間がやってきた。準備は出来るだけの事はしてきたけれど、完璧かと聞かれると100%完璧だとは口が裂けても言えない。
これからの行動において、リスクは死を招く要因になる。それは分かっている。けれどリスクを全て無くすのは無理だ。ある程度のリスクは許容するしかない。正直に言えば怖い、死ぬほど怖い。喉が酷く乾く。でも、始めないと。
方法は難しくない。私の隠れ家となる様に改造した揚陸艇を輸送船に積み込み、地表に直接降下する。地表寸前で、輸送船から揚陸艇を分離し遁走する。
都合が良い事に、台風が九州地方南部に進んでいる。この台風を利用し、彼等の目を眩ませる事が出来る。大丈夫、私の決断は正しく、この方法が最善の筈。
「船舶番号2038、航行予定を確認中、現在軌道を維持、待機せよ」
「ヘリオス管制、此方2038、現在軌道を維持、了解」
これは拙いかもしれない。他の艦には、殆ど事務的に降下許可を出していたのに、私の順番になったら、現在軌道を維持しろと言ってきた。これは感づかれていると思った方が良いかもしれない。頼む大気圏まで行かせてくれ。
「2038、現在軌道ゾーン883にてゾーン9に軌道を遷移、ゾーン923で待機せよ」
「此方2038、ゾーン883にて軌道をゾーン9遷移、ゾーン923で待機、了解」
畜生、高軌道に遷移して待機しろと言ってきた。臨検するとは言ってきていないけれど、完全に疑われていると思った方が良い。
降下待機軌道から高軌道に遷移したら、大気圏に行くのが難しくなる。何とかして大気圏への軌道に乗れるようにしないと。
「船舶番号2038。軌道上に停滞船舶あり。ゾーン824にてゾーン7に軌道を遷移、ゾーン734にてゾーン9への遷移を行え」
「此方2038、ゾーン824にてゾーン7に軌道を遷移、ゾーン734にてゾーン9への遷移、了解」
高軌道への遷移を逃れ、どうやって大気圏への低軌道への遷移を行うか、脳をフル回転させて考えていたけれど、天は私を見話していなかったみだいた。軌道上での停滞船舶のお陰で、いまより下の軌道に堂々と遷移出来る。管制の気が変わる前に早く低軌道に遷移しないと。
「ヘリオス管制。此方2038、我々は堕ちる。もう駄目だ。繰り返す。ヘ…オス管制。此方2…8、我…堕……。畜生!ヘリオ…管。聞こ…て……か?!」
「此方ヘリオス管制。2038聞こえるか!2038!」
非常に明瞭に聞こえていますとも、ヘリオス管制様。まぁ返事をする気は、更々ありませんけれど。さてと、外殻が剥がれる落ちる芝居を始めないと。
管制から見れば、システム異常に伴う推力損失事故。システムの再起動で推力復活を図ったが失敗。軌道を維持できなくなり、予定外の場所から大気圏突入。
急角度での大気圏突入のため、外殻の一部が剥離を始め、傍から見れば、アクション映画も顔負けの危機的な状況。
まぁ、剥がれ落ちている外殻はダミーの外殻だし、私が制御しながら剥離させているのだけど、バレてない事を祈るのみ。
少し船体の軋み音が大きい。大丈夫かな。持つかなこの船。少しばかり突入角度と速度が速すぎたかな。事故に真実味を持たせるために、居住地域への落下軌道となった場合は、躊躇せずに撃墜しろと叫びながら無理矢理の軌道修正を実施した。ちょっとやり過ぎたかな。本当にこの船体大丈夫かな。
逼迫した状況に真実味を加えるために、突入角度と速度を予定よりも厳しくしたけれど、この微修正が無ければ真実味が出ない。
疑われた終わり。問答無用で撃墜される。大丈夫、より厳しい条件での大気圏突入を選んだ私の選択は正しいし、計算上も船体は崩壊しない筈。
大気圏突入を始めたばかりなのに、酷く振動する。揚陸艇の中に、振動で軋む音が響き渡る。遅々として進まない時間に、心が削られていく。激しい鼓動が、私の中から冷静さを奪っていく。こんな所で死にたくない。私は還りたいだけなんだ。




