1-24-5 警報通知
残念な事に、此処は別荘じゃない。映画やドラマのセットの様な未来的な設備で統一された家の様にも見えるが家でもない。言うならば、牢獄の様な場所。そう、牢獄というのが、最も適切な表現かもしれない。
君達は未来的な牢獄と言われて、どんな部屋を想像しただろうか。家具に雑貨に食器、床や壁や天井、そして衣服も何もかもが白色で統一され、窓も無い。外の世界の事を知る手段も方法も無い。只々時間だけが過ぎていくだけ。何の変化も無い場所。想像するとしたら、そんな所だろうか。
もしこの牢獄がその様な場所であったなら、私の精神は確実に壊れている。幸いにもこの場所には色はある。基本的には白色で統一されているものの、各種の表示画面もあるから色が無い訳じゃない。それに窓もある。窓と言っても本当の窓ではなく、大型画面に外部映像が投影されているだけ。
大型画面の疑似的な窓は、大型ディスプレイとして色々な物を映しだせる。少し時間差はあるもののTVやネット放送も視聴できる。外の世界を知る手段がある。だから完全に世界から孤立しているという訳じゃない。
それと、高機能型物質転換機もある。だから好きな色の衣服も着用できるし、好きな食べ物も食べられる。望むだけの変化は得られないかもしれないが、少しも変わり映えのしない毎日という訳ではない。
完璧とは言えないし、ネットショッピングも出来ないが、ある程度の衣食を満たした生活を送っている。住居設備を見てみれば、昔の私では購入する事を考える事すら出来ないレベルの設備に、備品で溢れている夢の様な場所だ。
とは言えこの場所は、少しばかり立地条件等に難がある。家の近辺の治安は悪くないが、家の近所を散歩するのでさえ命懸けになる可能性が大きい。騒音の酷い場所ではない。ここは非常に静かな場所だ。他人の騒めきを聞く事は先ず無い。
この場所は私の家族、正確にはオリジナルの私の家族を、遠くから見守る事すら出来ない程に遠い。ここは地球から約38万Km彼方、月面に在る。気楽に家族の様子を見に行ける距離ではない。
ここに、監禁されている訳ではない。移動手段が無い訳でもない。ここには航宙船も有れば、揚陸艇も有る。少しばかり命懸けになるかもしれないが、出て行こうと思えば、何時でも出ていける。だから牢獄ではないとも言える。
此処に住むのは私だけ。自分が望んだ訳でもないのに、この場所で孤独に耐えて暮らさなければならない。だから、ここは牢獄だと言って良いと思う。
牢獄より酷いかもしれない。毎日が拷問を受けているのと同じ。出るに出られない場所に居ると言うのは、牢獄に居るよりも質が悪い。地球に必ず還るという目的がなければ、何年も前に私は壊れている。
本当は、もう既に壊れているのかもしれないが、未だ暴走はしていない。まだ少しの理性は残っているという事だろう。ただし、最近はそれもそろそろ限界かもしれないと思っている。
この場所はリアルタイムではないが、TV等の配信以外に監視映像を介しても外の様子が窺える。画面の中に、大勢の楽しそうな観光客で溢れる露の入江の観光施設が見える。観光客達を笑顔で案内しているARISの奴等が見える。
お前達の不手際のお陰で、私はこの場所に何年も閉じ込められているというのに、笑顔のお前等を見ると、無性に殺したい気持ちが沸きあがる。反応弾を撃ち込みたい気持ちになる。どうせ実行できないのだから、恨みの感情を覚えるくらいは許して欲しいものだ。
怒りに任せてこの場所を飛び出れば、私は数時間も生き延びられない。飛んで火にいる夏の虫になるだけ、彼等を喜ばせるだけになる。彼等は、彼等の汚点の証拠である私を長年探し続けていたが見つけられなかった。そんな私が自ら彼等の前に出れば、彼等にとって最も好ましい状況になるだけ。
喜色満面で私を迎え入れた彼等は、望外の幸運を授けてくれた神に感謝した後に、私を人目の少ない場所に連れて行き処分し、闇に葬るだろう。
そんな事はない、彼等は正義なのだから、きっと貴方に手を差し伸べ、助けてくれる筈だ?残念ながら組織の汚点は隠蔽される。人知れず処分されるか、自殺か、事故死。程度の差はあるにしても、それが人の世の常識。
映画やドラマの見過ぎだって?私の前の25人の犠牲者の事を、世の誰も知らない。ゴシップ紙はおろか、ネットワーク上の噂話ですら現れなかった。その理由は想像できるだろう?完全な情報統制と機密管理の結果、私を含めた26人の犠牲者はこの世界に存在しない。彼等にとって私は犠牲者のひとりではなく、隠蔽すべき証拠物でしかない。劇物の産業廃棄物は処分される。常世は甘くない。
私の時間軸での少し前まで、私と彼等との直接の関係は義弟がARISであるという部分のみ、私はARISではない。正直なところ彼等に恨みはない。
母船により技術は著しく発展し、人類は一足飛びに航宙種族への発展を遂げ、私達の生活は少しばかり便利になった。親族が彼等に属するお陰で母船に住居を持っている。これで恨みを持つ等は在り得ない。寧ろ、恩恵を受けられた感謝をすべきだと思っている。ただ今の私は、前の私とは異なり、彼等が少し怖い。
前の私は、少しばかり運が悪かったのだろう。あの日、地表に降りて来ていた義弟に用事がありARISのビルに入ろうとしたら自爆テロに巻き込まれた。
テロの理由は分からない。今は時間もあるので、調べ様と思えば、調べられるが、今更に調べる気もおきない。どうせくだらない理由だろうし、オリジナルのは私は家族の下に戻り、家族と幸せに暮らしている。それだけで十分。
今の私にとっても、テロの理由はどうでも良い。生き延びてこの場所から脱出する。それだけを考えるだけで精一杯。他の事を考えている余裕なんて無い。
地球に戻るには、地球の防空網を突破しなければならない。元々、地球の防空網は非常に厳しい。ドラマや映画の様に、軌道管制を無視して地球に降下などは無理だ。下手に降下しようとしたら、確実に撃墜される。
単純な方法が無い訳でもない。身体ひとつだけ、降下ポッドを用いた軌道降下だけなら出来る。だが、それで終わりだ。加齢防止処置がされているものの生物種の私には、衣食住が必須となる。
世知辛い事に、衣食住の確保のためにはお金が必要。今の世の中は銭が全て。お金を得る手段か、若しくはその代替手段を持たなければ、路頭に迷うだけ。
私を作った馬鹿者は、私に口座資産を残してはくれている。だけど、それを頼る訳にもいかない。それ以前に、未だ口座が残っていると思う方が可笑しいだろう。何年も前に休眠口座として抹消されている筈。
未だ口座が維持されているとすれば、彼等が私を見つけるために、あえて口座を残していると考えるのだが妥当だと思う。
何か自動的な方法が休眠口座化するのを防止する方法をあいつが設けているとしたら、あいつは信じられない程の天才と言える。ああ、そう言えば、あいつは天才だったか。やりかねないかもしれないな。
彼等が口座を監視していない等とは思わない。監視されていると思うべきだ。だからもし、私がその口座のを使えば、その瞬間に察知され、居場所を特定されて人生終了になるだろう。
だから口座は無いものとして、何かの代替手段で生き延びる方法を考えるべきだろう。だから私は、有り余る時間を使い代替手段を作る事にした。
そんな事が役に立つか否かは問題じゃない。そんな事でもしていなければ、気が狂ってしまう。だから何かをする。本当の理由はそんなところだけど、それを認めたくはない。
地表で暮らすためには、拠点が要る。映画やドラマの様に、裏社会に伝手は持っていない。だから地表に降りてから拠点を手に入れる事は不可能。野宿が嫌なら、拠点は持っていくしかない。
この施設にある小型揚陸艇に、追加の反応炉と高機能型物質転換機、そして少しばかりの家具を積み込み地表の仮住まいにする事にした。暇に飽かせて準備をした結果、少しばかり設備が充実し過ぎの感はあるが、何気に良い仮住まいが出来た。
この仮住まいに、問題が無い訳じゃない。小型揚陸艇と言いながら、その全長は数十mを超える。この大きさでは、隠密性の維持は難しい。恐らく、地表に降りて1・2週間で彼等に見つけられ、仮住まいから逃げ出す事になるだろう。
揚陸艇で地表に降りる手段が思いつかない。確かに、ひと昔前と比べると最近は往還艇の数も増えた。揚陸艇や往還艇は珍しいものではなくなった。とは言え、絶対数は少ない。何百、何千も飛んでいる訳じゃない。
私が降りたいのは日本だ。地表最大の彼等の拠点がある場所に降りるとなると確実に誰何され、場合によれば問答無用に撃墜される。
撃墜されるのを前提として、囮を大量に帯同して降下する。一見すると良い案に思えるが、囮じゃなくて、本丸の私が撃墜される可能性は、囮が撃墜される可能性と同じ。余り意味がない。
仮にこの方法を採用する場合、急速降下可能な中型以上の揚陸艇にする必要がある。中型以上の揚陸艇を作る資材も時間もあるが、私は目立ちたくないののだ。小型揚陸艇以上に目立つ中型以上の揚陸艇にするのは、本末転倒でしかない。
身元不明の多数の中型揚陸艇が、地球に目立たぬ様に近づく。そもそも論として、この方法は無理があり過ぎる。
単艦で近づけば、発覚する確率は低下する。問題は揚陸艇はそこまでの速度が出ない。ヨタヨタと地球に近づいている段階で、露見するだろう。ならば速度の速い単艦で近づけば良いとなるが、そうなれば艦形は大きくなる。大型艦に、降下後の隠密性を望むのは無茶だ。
降下後の隠密性の確保だけならば、解決手段はある。輸送艦で降下し、降下の後は揚陸艇を分離して、揚陸艇で逃げれば良い。方法としては有りだが、輸送艦を地表近辺にまで降下させる事が出来ない。
そもそも、地表と往還する大型艦は少ない。仮に軌道上まで無事に到達が出来ても、降下を開始した途端に見つかってしまい、それで終わりだ。
方法は有るのに、その方法を用いる事は自殺行為。二進も三進も行かず、画面に映る地球の姿に望郷の念を募らせている或る日、変化が起きた。地球近傍の運航数の異常上昇を告げる警報通知が表示された。




