1-24-4 月の牢獄
「君はオリジナルではない。だから心して聞いて欲しい。彼等に見つかるな。見つかれば処分されるだろう」
一心不乱に物事に取り組むとは、彼の事を言うのだろう。画面の中から私に語り掛ける彼は、方向性は間違えているにしても真摯だった。友人達が早く帰還できる手段、それが君だ。誠に申し訳ないと彼は言う。
何の罪悪感の欠片すら見せずに私に説明する画面の中の彼に対して、呆然としたし、取り乱し泣き喚いたし、怒りもぶつけた。ただし、生来の性格なのか、小一時間もすれば、動揺は残っているものの冷静になってはいた。泣いても問題は解決しないし、ここに居ない人間、録画された映像に文句を言っても無駄だからだ。
もしくは、私は重症を負ったものの、本来のオリジナルの私は既に退院し、ARISからの高額補償金と共に家族の下に戻っていると聞き、家族が路頭に迷っていないと分かったからなのかも知れない。
人の尊厳と言う物をどう思っていたのか、彼に聞いていみたい。素直に言えば、彼の様な自己中心的な人物が世に存在した事が許せない。もし彼が目の前に居たら、私は彼を殺そうとするだろう。
人は衝撃が余りに強いと、ごく短期間で冷静になれる。私の持論だが、間違いではないと思う。先ず、私は私自身ではない。私は名前を持っていたが、今の私に名前はない。持っていた名前はがオリジナルのであり、私自身の名前のではない。プロトタイプクローン26番、それが今の名前。
単純な記憶転写だけならば、医療行為としての実績も豊富にあり問題なく実施できる。しかし彼がクローンの私に求めた能力は、友人達の代替手段となり尖兵と成れる存在。そのために生来の記憶の他に、武器や兵器の使用・操縦方法に保守方法、医療情報等、ありとあらゆる情報を追加した。
製造期間を短くするために、どれだけ短期間で膨大な情報を、脳に過負荷を掛けずに転写できるか。またどの様な目覚めさせ方をすれば、意識が覚醒した後の情報の洪水に精神が耐えられるか。その見極めに26回必要だった。
私は今までに25回、過負荷に耐えられず目覚められなかったか、目覚めた後に膨大な情報に耐え切れず廃人となり処分された。私は25回の死を乗り越え、26回目にしてようやく普通に目覚めたという事だ。
人に謝罪する誠実さが彼にはあると思いもしたが、冷静に考えるとそうではない。画面の中の彼に、25人もの人間を処分した罪悪感が欠片も見えなかった。どれだけ彼が謝罪の言葉を並べようとも、彼にとっては私は人ではない。単なる兵器であり、物でしかない。
「この映像を見ているのであれば、君は無事の様だ。だが自分は処分されている。残念だが、世界に君を守ってくれる者は居ない。この施設を使ってひとりで生き延びて欲しい」
彼がいつ此処にやって来て私に何かするのではないかと、日々緊張した眠れぬ日々を過ごしていた或る日、彼から最新映像が突如届いた。
最新映像を見たからという訳ではないけれど、悲しい事に、私の心の一部は彼の行動原理を理解できる。
彼はこれ以上の孤独に耐えきれなかったのだろう。彼は私を兵器扱いする事で、罪悪感を打ち消そうとしたのだろう。だからと言って、道を踏み外した言い訳にはならないし、私を作った言い訳にならない。
悪には悪に成った理由がある。良く言われる言葉だが、それはその悪に被害を被った事のある人には言わない方が良い。残されたメッセージとこの施設等を見れば、彼が優秀であったことは認めよう。用意周到であったのも認めよう。だけど犯罪被害者の私から見れば、用意周到な、頭の良い犯罪者でしかない。
私を25回も処分してきた彼が、私より先に処分された。喜ばしい知らせの筈だが、私は嬉しいとは思わなかった。こんな場所に生れ落ち、幾日も過ごしていた私は、物事を素直に受け取れる純真さを無くしていた。
もし私が若者であれば、純真さが残っていれば、素直に信じたのかもしれない。しかしオリジナルの初老の私は、人生とは信頼と裏切りの連続だという事を知っている。裏切る人間は、裏切る前に優しくなる。嘘を言う人間は、自分の発言は本当だと言う。だから、最後の懺悔をしているこの男は、遠からず私を処分しに来る。
時間差はあるものの、この場所でも外界の報道番組を見る事が出来る。番組によれば、彼の違法行為は世間を驚愕させた様だ。そして彼は監獄惑星に送致される事が確実とも報道されている。
私を騙すための捏造放送ではないとすれば、彼は捕縛され処分されず、闇に葬られる事もない。恐らくは適切なタイミングで情報をリークし、世論を誘導したのだろう。自分自身は私を25回も闇に葬っておきながら、何たる身勝手な奴だ。
彼にとって私は、赤子の手をひねるより簡単な相手でしかない。私は、知識はあるが実体験はない。それに対して彼は、知識も実体験もある古参のARIS。どちらが強いのかは考えるまでもない。
恐らく、あの報道番組も捏造された映像でしかない。報道に安心し、気が緩んだ頃に、彼は私を処分しにやって来る。そう思っておくのが順当だろう。
だからと言って、無抵抗で処分されるのは嫌だ。例え無様であろうとも、最後まで抵抗してやる。最後の最後まで彼の眼を睨みつけてやろう。そう思い、寝る暇も惜しみ練習に励んだ。
来る日も来る日も鍛錬を続け、植え付けられた戦闘技術を身体と心に沁み込ませ、研ぎ澄まされた刃の様になっても、彼は来なかった。あの番組は本物だったのではないか。本当に彼は捕縛され、監獄惑星に送致済なのではないか。そうなれば彼は此処に来ることは無い。疑心暗鬼が半信半疑に変わり、小さな希望に変わる。
そして新たな不安が鎌首を持ち上げる。彼を尋問したARISが、私を知り、処分に来るかもしれない。新たな不安が私の瞳を覗き込む。
今日の目覚めは最悪だ。囮施設が発見された警報通知で叩き起こされた。如何に巧妙に隠蔽されているとはいえ、ここが彼等に見つかるのも時間の問題だろう。何時見つかるのかは、分からない。けれど、分かっている事はある。そう遠くない未来に、彼等は必ずここを見つける。
私をこの牢獄に閉じ込めてくれた彼は、優秀で且つ用意周到だった。正確には廃棄物置き場なのだが、彼はここと寸分も違わぬ囮施設を作っていた。ここの設備を更新する度に、ひとつ遅れの設備を囮施設に移設し、失敗作の私も保存された。
何か露見したとしても、最新作は露見しない様にしていた。その努力を別の方向に向けて欲しかったと思うが、その間違えた努力により私は生存している。感謝はしているが、彼を許すつもりは無い。
ところで、25体の同じ容姿のクローン兵の死体を見つけたARISは、彼の所業に怖気を覚え、処分された私達に憐憫の情を覚えてくれただろうか。それとも、ただ単に廃棄物を見つけただけと、淡々と処理したのだろうか。
囮施設は、彼が酔狂にも程があると言われながらも、頻繁にひとりでキャンプをしていた月の裏側のクレーターの奥にある。その場所から150km彼方、月の表と裏の境界線の近くに此処は在る。
私は単なる急速生成クローンではない。少しばかり生体能力が調整されている。仮に彼等が此処に来たとしても、実戦経験の少ない相手なら、隙を見て脱出する時間くらいは稼げるだろう。問題は、月には此処以外に隠れる場所が無い事。
囮施設が発見されてからは更に慎重に、猛獣が闊歩する森の中に閉じ込められた小動物の様に息をひそめ、目立たぬ様に暮らしてきた。
加齢防止処置をされている私には世間一般で言う所の寿命の概念が無い。不老不死の魔女の様に、この容姿のまま永遠の月の牢獄で生き続ける。
こんな場所に居続けたくない。ここに居るのは、もう飽きた。窓の向こうに見える地球に還りたい。こんな牢獄で彼等に追い詰められ、人知れず廃棄処分されるのは嫌だ。私は生きてるんだ。物じゃない。




