1-21-12 スレクラ(桜の季節に逢おう)
「テラだね……」
「本物は映像より蒼いねぇ……帰って来たねぇ……」
目の前には数十年ぶりのテラが、いや、ちきゅうが見える。
帰りたくても、帰れなかった。誰かの記念撮影の背景に映り込んでしまう万が一の可能性すら恐れ、太陽系内にすら入れなかった。遠目で地球を見ることすら叶わなかった。
この星を出るときに、今度ここに戻ってくるときは、桜の季節に会おうと約束した仲間の何人かはここに居ない。今まさに、こっちに来ようとしているのかもしれない。そう思いたいだけなのは分っている。諦めなければならないとは分っていても、諦めきれない。
何隻も、何人ものARISや一般兵が行方不明のままだ。中には、活動休止状態にして生き延びている者達も居るかもしれない。誰かに見つけられることを祈って、宇宙を漂っているのかもしれない。
だからまだ死んでないのかもしれない。けれどそんな事は、言葉を話し相互理解が出来るVOAと友人となれるくらいに確率は低い。
「一緒に還ると約束したじゃないか……」
私達は数十年前に戦死した。正確にはMIA(Missing in Action)戦闘中行方不明という事にされていた。
私達のMIAを知らされた家族も、今の私と同じ様な気持ちだったのだろうか?私達の生還を諦めたのだろうか?
テランARISには3種類居る。第1世代と言われる長命化処理をしたARIS、第2世代と言われる長命化処理をしていないARIS、そして、簡易的な強化だけをした簡易版のARIS(ARIS Abstraction)
VOAだけではなく、他の星間種族達の侵略に対抗するために、第1世代ARISで調整するしかなかった。仮に我々第1世代ARISが居なければ、VOAに疲弊した地球は列強に侵略されていただろう。
仕方なかったのだと、頭では理解している。長命化処理をされていない家族や友人達と、第1世代ARISの時間軸の乖離は、刻々と広がっていく。
年を取らないというのは、ゲームや漫画の世界では良くある設定だ。空想の世界の話だから、気にした事も無かった。現実は残酷で、気も狂わんばかりの残酷な時間軸の乖離を突きつけられた。
ほんの数年で、最初は気づかなかった違和感に気付かされることになった。我々第1世代は歳を取らないし見かけも変わらず若々しいままなのに、家族や友人が老けていく姿を目にしなければならなかった。
どの方法を取るのかは個人の自由だが、地獄から抜け出すには3つの手段がある。
ひとつ目、家族にも長命化処理をする。だがこれは、自分が味わうべき時間軸の乖離という地獄を、家族に押し付けるだけの愚策だ。
ふたつ目、家族が寿命を迎える頃に、自分の長命化処理を停止させる処理を受ける。停止処理を受ければ数日で、死に至る。
けれど容姿は死ぬまで今同様の若いままだ。それでは家族との時間軸の乖離の問題は、全く解決されていない。家族と一緒に死ねるという自己満足なだけで、家族にとっては地獄だ。
みっつ目、自分が家族の下から去る。単なる行方不明ではなくて、家族が次の人生に進める様な去り方でなければならない。それが課題だったが、スレクラ戦役が勃発した。
スレクラ戦役は、我々第1世代にとって絶好の機会だった。MIAとして家族の元から時間軸の乖離が致命的になる前に去るのだ。
我々が去った後に家族が困窮しない様に、MIAと共に資産が家族に引き渡される処理をして去るのだ。
既にスレクラ戦役より前に、探査中又は護衛中の行方不明を理由にして家族や友人達の下から去っていた者達も居たが、私は未だ耐えていた。
しかし、スレクラ戦役が始まる頃、私は限界に達していた。このままでは、子供が自分より先に老い、そして死んでいくのを目にしなければならない。
そんな未来を迎える事に耐えられる訳がない。桜の季節、スレクラ戦役が始まる少し前、私は彼等の下から去ることを決めた。
スレクラ戦役が契機になった訳ではない。スレクラ戦役以後も何人もの第1世代テランARISが家族の下を立ち去り、我々ゴーストに合流してきた。スレクラ戦役の時に行方不明を選択して、合流してきた者達が多かっただけだ。
スレクラ戦役で、何人かは本当に戦死した。その後も、何人も、何隻も国に還ることなく途中で斃れた。致し方ない。家族に資産が渡せただけで、良しとしなければならない。
スレクラ戦役が終わった後も、還りたい心を押し殺し、家族との時間の乖離が広がり、家族があちらの世界に先に旅立つまで宇宙を飛び回り、次の戦役や、次の紛争と数十年以上活動した。
他人から見れば禄でなしなのだろうが、私にはその方法しか考えつかなかった。
「そういえば、フェイスガード捨てた?私は捨てたけど」
「もちろん捨てたよ。顔を見せない様にフェイスガードが義務だったけど、もうしないで良いもの」
「巷では、決して顔を見せないノーフェース。ゴーストと双璧を成す特殊部隊とか言われていたからねぇ」
「ゴーストとノーフェースが同一だって報道されて、いま大騒ぎらしいよ?」
「あの時、左翼テロリストを鎮圧したノーフェースは、どのゴーストだとか、色々とネットワークもお祭り状態になっているみたいね」
「あの列強の艦隊がひとつ行方不明になったのはゴーストのせいだったんだとか、あの軌道港墜落事件はとか、あの暗殺事件はとか、まぁ鋭い考察で合っているのもあれば、とんでも陰謀論もあるけどね」
「あらあら、何十年たってもその部分は変わらないのね~」
「街の姿は凄く変わってしまっているので、私達はみんなお上りさんだけどね~」
「じゃぁ、高いビルを見て、うぉぉぉとか、最新型の車を見て、ひえぇぇ高そうな車ぁ、とか言わないと」
地上に降りたら、先に逝ってしまった仲間達のモニュメントに帰還したぞと報告に行って、それから家族の墓にお参りして謝ったら孫に会いに行こう。
「どんな顔をして会えばよいのかな?」
「……だよね。でもさ、会えるだけで幸せじゃない。逝ってしまった人達に比べれば、幸せだよ」
感情のある家族の顔は、最後に家族から去る前に撮った写真や動画でしか知らない。覗き見ることができた公的資料から、子供達は結婚して家族が居たことも知っている。
けれど、その顔写真は、顔写真といっても公的書類に残された証明写真だから、笑顔の写真は知らない。
証明写真しか手に入れられなかったけれど、私には宝物だった。
正直、孫だろうか?ひ孫だろうか?どんな顔をして会えばよいのかも分からないし、会うのが怖い。
公的記録から何処に住んでいたか住所は知ってはいるけれど、どんな風な場所なのかとか、どんな風に暮らしていたのかとかは分からない。
どんな風に私のことを言っていたのか、嫌われていたのか、そうでなかったのか、そういうことは全く分からない。
家族からすれば、突然戦死して居なくなったのだ、罵られるか、罵倒されていても不思議じゃない。だから孫かひ孫にもどんな風に言われるのかは分からない。
でも、会えるだけで幸せだ。感情の無い証明写真じゃなくて、声を聞けて感情のある表情を見られるだけで幸せだ。
もし許してくれているのなら、子供達の写真や動画を見させてもらおう。写真や動画をコピーさせてもらおう。
機動衛星に植樹された桜は何度も見たが、この星の、この国の桜は何年ぶりだろう。りんご飴まだ売っているのかな?子供達と桜を見に行くと、必ず買ったな。
丸ごとだと歯が立たなくて、結局、私が半分に切ったのを手づかみで食べていたっけ。お墓には、りんご飴を持って行こうかな。管理人に怒られるかな?
正直に白状すれば、この話が一番最初に出来た話しでした。
他のスレクラの話は、この話をどうやってつなげるかを考えた本末転倒で御座います。




