1-20-2-14 理不尽な世界)茜色
「罠の可能性もある。少しでも怪しいと思えば、撤退せよ。決して交戦するな」
人は同一性、親和性を尊ぶ。それが自身の思い込みであったとしても、それを周囲にも求め、異端を認めず、許さない。
人は自分の利益の為ならば、寸前まで仲間であっても簡単に裏切る。ましてや異端である者を裏切るのであれば、良心の呵責等を覚える事はない。
何故裏切ったのかと、裏切った相手を糾弾する気もないし、裏切られて驚愕もしない。突然に裏切る者等は居ない。裏切る奴は、最初から裏切っているだけだ。
決して短くはない人生経験に照らせば、人とはそういう生き物だ。私は彼等からすれば、異端の極み。推して知るべしの未来が来ただけの事。
淡い黒青の夜空に蒼白い満月が、下界を見下ろす女神の様に浮かんでいる。こんなにゆっくりと月を見上げるなんて、何年ぶりだろう。
視線を下に降ろせば、遠い街並みの橙色の灯りが見える。団欒の灯り、街路の灯り。思い浮かぶのは、雑踏の、車の、電車の音、人々の楽し気なざわめき。私には過ぎた願いの場所。望むことすら罪な場所。望む資格もない場所。声にならない哀願の悲鳴を作り出している私には、望むだけで罪になる場所。
蒼白い闇が広がる月夜は人には見通しが悪くても、人に非ざる私には十分明るい。緊張の中にも油断のない歩き方、緊張でガチガチの歩き方、恐怖でギコチナイ歩き方、谷川沿いの道を、身を屈め此方に向かって来る者達の色々な姿が見える。
固まらぬ様に、離れすぎない様に間隔を開けて歩く忍ばせた足音、押し殺した吐息。吐息?なるほど、探査が効かないから、バイザーを開けて五感を使っている訳ね。御免ね、でもまぁ、頑張って。
「以前として、探査・通信は不可能。目視および発声のみとなるが、無闇に声は出すな。敷地、建物内にトラップの類がある可能性もある。注意しろ」
彼女に探査・通信を妨害され、先進技術の塊の装甲服は単なるボディアーマーに成り下がった。今の俺達は、普通の人間より夜目が効く、ひと昔前のボディアーマーを装着した歩兵と同じだ。
我々が門の近くに来ると、門が開いた。彼女は我々の一挙手一投足を把握している。彼女側の監視システムは生きていて、我々の監視システムは死んでいる。
台風の夜から暫くして、彼女から裏切者の悪事の証拠を渡すから此処に来いと言われた。峻険な峰の上に乗せた様な、保養施設跡。昼間でも微妙な雰囲気を醸しだしているであろうこの場所は、夜の今、非常に不気味に見える。決して任務とは言え、こんな事をしている自分が嫌だからじゃない。
「必ずバディで行動しろ。下手に動くと同士打ちの危険がある、逸れたら無闇やたらに動くな。行くぞ」
彼女は裏切者には苛烈、且つ容赦が無いと聞く。叶うならば、彼女が苛烈になる前に、事を終えられればと思う。
彼等がターゲットマーカーをあちらこちらに振り向けながら、敷地の中に入って来る。人には不可視のその光も、私には見える。自分で店仕舞いにする勇気のない私に、死という安息を与えてくれる光の道が見える。
彼等は朱い眼で見つめ返す私を、どの様に見ていたのだろう?少女に擬態し、人を誑かす笑顔を浮かべた残忍な怪物?ふてぶてしい笑顔を浮かべた吸血鬼?
そんな事よりも、今度こそ終わりに出来るのだろうか。私をこの煉獄から開放してくれるのかな。その光の道で、私を闇の世界から解放してくれるのかな。
綺麗な月……。そう言えば、初めてあの場所から外に出た晩も、月夜だったな。なんでそんな嫌な事を思い出してしまうんだろう。それも、こんな時に。
「早々に逸れた……か」
逸れるなと言った先から、最後尾を歩いていた利彦が居ない。大声で呼び探すのは愚策だ。呼び寄せたく無いものが更に隠れ潜み、見つけ難くさせてしまう。
厄介事と言うものは、なぜ最短距離で結末まで進んで行くのだろう。
「本当に見かけ倒しの奴等だな……」
こんなに簡単に俺が姿を隠せるなんて、あいつ等って本当に前線帰りか?実は事務屋だったんじゃねぇか?
ま、そんな事はどうでも良いか。あの化物を殺し、証拠を隠滅してしまえば、俺の将来は安泰だ。
遊び仲間、誠二、幸樹、そして弟の聡、あいつ等が検挙され、誠二は抵抗したので射殺された。それを聞いた時は正直終わったと思ったが、俺が関わっていたという証拠は無く、監獄惑星行きの聡達には悪いが俺は助かったと思っていた。
ところが、あの化物が、俺達の誰が関わっているのかが分かる証拠を渡すと連絡してきた。逃げる事も考えたが、あいつ等からは逃げきれない。もう終わりだと思っていたら、情報回収の接触班に組み込まれた。神は俺を見放していなかった。
「ありがとうよっ!死ねやっ!」
他の奴等は、ビビり過ぎなんだよ。あんな華奢で、背丈の小さい女が、俺達より強い訳がないだろう。それが証拠に、断崖際の窓辺に居た化物は、俺に何発も撃たれて断崖の下に落ちていった。あれだけ撃ち込んだ挙句に断崖の下に落ちて行ったんだ、確実に死んでるな、あれは。
しかし何が、恐怖の化物だ。俺に銃を向けられると、怯えて後ずさる普通の女だったぞ?データを隊長に素直に渡さないとただで済まなくなるとか、TVドラマの台詞みたいな事を言い出して、無茶苦茶面白かったけどな。
撃ち殺した後に、データを確認したら、俺がしっかりと映っていた。やべぇ、首の皮一枚で命拾いしたぜ。
証拠は無くなって、後はあの化物が言っていたことだけ、それが真実と証明出来る奴は何処にも居ない。こう言うのを、死人に口なしと言うんだったけな。
さて……と、罠だったので撃ち殺しましたと報告に戻るか。そう言えば、俺は化物を殺した英雄様だ。くっくっくっ、手柄を立てられなかった仲間の悔しそうな顔を想像したら、凄ぇ楽しい。
「罠であった為、俺が射殺しました!」
「何故、他の隊員を呼ばなかった?!本当に射殺したのか?!」
「俺が撃った、あれ、絶対にもう、死んでますって。俺、射撃には自信あるんで!焦んないでも大丈夫ですって!」
「証拠と言っていた物は何か有ったか?」
「いえ!何もありませんでした!」
「そうか……残念だ。本当に残念だ。屑は何処にでも居るものだな」
「ええ!でも、その屑は俺がやっつけましたから」
手柄を取られたからって、ここまで慌てふためくのが哀れだねぇ。俺に手柄を持って行かれたのが相当堪えてんのな。秘匿回線で、誰かと話してやがる。
「ほら、飲み物だ」
「あ、すんません」
「ああ、銃は持っててやるから、ちゃんと飲み物を掴め」
英雄様になって、先輩から飲み物を貰うってのは、気持ち良いぜ。
さてと、これが終わってひと段落ついたら、また遊び仲間を見つけるか。そういや、幸樹の金持ち仲間の晃ってのが、幸樹みたいな遊びをしたがってたな。ふん……巧い事を言って遊び仲間に仕立て上げるか。
「お前には黙秘をする権利がある。供述は法廷で不利な証拠として用いられる場合がある。弁護人を付ける権利があり、もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護人を付けてもらう権利がある。まぁ個人的意見を言えば、黙秘何てしないでちゃんと供述する事を勧めるけどな」
「何を!言ってるか分かんねぇよっ!俺は化物を殺した英雄だぞ?!畜生!汚ぇぞっ!俺の手柄を横取りするつもりだな!手前らっ!訴えてやる!」
地面に引き摺り倒されているこいつは、自分の事を無辜の民を襲う悪辣な異星生物から救った英雄とでも思っているのだろうか。何故、自分が仲間に拘束され、武装解除されていくのか、その理由を全く理解出来ていない。
此処まで自分の行いを顧みない馬鹿だと、反対に清々しい。こんな馬鹿のお陰で、俺達は大恥をかく羽目になる。明日の報道内容を考えると頭が痛くなる。
渦中の馬鹿は、自分がその原因であることなど理解もしないだろう。畜生……こいつが監獄惑星に送られる前に2・3回半殺しにしても大丈夫だよな?
「やり過ぎだ、勘弁してくれ」
撃たれて窓際から断崖の下に落ちて行く迫真の演技を怒られた。寿命が縮んだ?そんな事を私に言われても困る。
それよりも、撃ち殺した筈の私が現れて、驚きで目を見開いて此方を見ている、その馬鹿を何とかした方が良いと思う。過呼吸か、心臓麻痺で死ぬよ?あれ。
彼等は私を今後どの様に使っていくつもりなのだろう?非正規戦の尖兵?暗殺要員?まぁそんなところが順当かな。
でもそれでも構わない、今日からは昇ってきている神々しい陽の光の下で堂々と暮らしていける。闇でしか生きられなかった私が、陽の光の下で生き続けられる。
それだけで、十分。どうせ、愚かしくも麗しい人生しか送れないのだから、難しい事を考えても仕方ない。
さて、取り敢えず慧に問題は解決したから、今日から遊べると連絡しないと。
「当たり前だろう?何を言っているのだ、君は」
裏切者を拘束している俺達の下に戻ってきた彼女は、少し残念そうな顔をしながら、本当に弱装レーザなのねと言った。
彼女は我々を何だと思っているのだろう、約束を直ぐに違える集団とでも思っているのだろうか。勘違いも甚だしい、安易に約束を破る等は我々の誇りに反する。
奴に渡してあった銃は、弱装レーザ。まかり間違っても彼女に危害を加えない様にしてあった。そもそも、彼女に危害を加えるとか、力押しでも斃せない可能性があり、失敗したら最後、虐殺の未来を運んでくる彼女を裏切る等と、そんな恐ろしい事が出来る訳がない。
「揚陸艇来ます」
早朝の朝を急降下してくる揚陸艇から視線を戻すと、茜色の朝焼けの中に、朝焼けの茜色より朱い瞳の彼女が、微笑ながら佇んでいた。
朝焼けの茜色が血の色に見えた。茜色の朝焼けを背にして微笑む彼女が、血の海の中で佇んでいる様に見える。
揚陸艇のエンジン音に驚き、明けきらぬ朝焼けの中を無数の鳥が乱れ飛ぶ。甲高いエンジン音に飛び交う鳥の鳴き声が混じり、魔物達の哄笑の様に聞こえる。
俺達は、何を解き放ってしまったのだろう。何を闇の世界から連れて来てしまったのだろう。彼女はなぜ微笑んでいるのだろう。あの微笑みは喜びの微笑みなのか、騙された俺達を嘲る微笑みなのか。益体の無い事が頭を過る。




