1-20-2-9 理不尽な世界)小さなお願い
「お気遣いいただきありがとうございます。でも大丈夫ですから」
全く無かったとは言わないけれど、東京に憧れていたから東京に出てきた訳じゃない。同い年の従兄が居る、何かにつけて一家総出でマウントを取ろうとしてくる親族の粘ついた作り笑顔を、これ以上見たくなかった。
大学合格後の薔薇色の世界は、従兄が東京の私立に進学すると聞いた時に曇り空にはなったけれど、雨模様にはならなかった。
大学でマウントを取れないとなると、流石に大人しくなると思っていたけれど、私は彼等の後ろ向きのメンタルを舐めていた。
大学が駄目ならば、住む場所でとばかりに、引っ越し準備の時から煩かった。何が、あら貴女の東京のお住まいはアパートなの?うちの息子は同じ東京でマンションなの、気軽に遊びに来なさいだ。
舐め廻す様に私の身体をみている従兄の家に行けば何をされるか分かったものじゃない。危なくて行ける訳が無い。これはうちの両親も同じ意見。住所を絶対に従兄に知られない様にと言われた。
「折角、俺が誘ってやっている合コンに来ないのかよ?、俺の顔を潰す気かよ?」
「いや、バイトだし、そもそも、あんたは、彼氏でも何でもない。只の従兄」
高校デビューならぬ、大学デビューとでも言えば良いのか、従兄は、大学入学早々(そうそう)に知り合った友人達と、放課後は楽しく遊び歩いている。
「はぁ?バイト何てどうでも良いじゃん。みんなもそう思うよね?」
「勝手に私の知り合いに声かけんな。あ、こいつの居るのあのサークルだから」
「うわぁ……それは無いわ。うちの大学に来るのですら無いのに」
最近の新入生は、いや新入生だからこそ、やりサーとかの危ないサークルをちゃんと調べている。馬鹿が誘って来ているのは、他大学の私でも知っている有名なやりサー。誰がそんな合コンに行くものか。というより、あんた自分の大学より上位校のうちに、良くもまぁ来れるね?凄い根性だよ。
そう言えば、私が学生の定番のバイトを始めたと聞いた従兄の母親が、お金が厳しいならうちの息子のマンションに一緒に住めば良いのにと、にやついた笑顔で言ってきてたなぁ。
私は本気でこいつの一家の正常性を疑ったね。大学デビューではっちゃけ、性欲魔神に成り下がったお宅の息子の巣に行ける訳がないでしょう?
別に、バイトをしなくても大丈夫だけれど、もともと興味があって覗いてみたかった音楽系の業界。だからライブハウスでのバイトを始めた。そんな背景を説明をしても、どうせ聞く耳を持たないだろうから、言わない。
「ああ、あの娘ね」
バイトの日に必ず見かける綺麗な娘が居る。バイト先の先輩曰く、開演日なら必ず見かける常連さん。あの娘が、他の常連さんや古参のバイトなら知っている孤高の幽霊少女だよと言われた。
孤高の幽霊少女って何?!と思ったけれど、何の事はない、隠し撮りが巧く出来ない。写真や動画を撮ろうとしてもピンボケしていたり、前髪で目の部分が隠れていたり。隠し撮りの時点でアウトなんだけれど、それはさておき誰もマトモな写真を撮れない。だから幽霊。
話しかけ様にも、近寄り難く。誰も、まともに会話を出来た者が居ない。微笑む顔を見た事はあれど、笑顔を見た事のある者は居ない。だから孤高の少女。そんな事からあの娘に付けられた失礼極まる綽名が、孤高の幽霊少女。
そんな綽名を聞いたからかもしれないけれど、その娘が居ると、失礼にならない程度に目で追う様になっていた。
あの娘は、常連なのに馴れ馴れしくは無く、そして何時もひとりだった。ひとりで来るから、ひとりは当たり前だろうではなくて、あの娘は、楽し気な周囲の雰囲気から浮いていた。
あの娘は、他の人が言う様に孤高の少女等ではない。他の人は気づいていないみたいだけれど、会場で楽し気に友人や顔見知りと会話する人達を見るあの娘が、ほんのひと時だけ、とても寂しそうな眼差しを見せていた。
この娘は人と交わりたいのに交われない、不器用な娘なんだ。そう気づいてしまった。そうなると、もう駄目。ひとりでライブハウスに来るあの娘が、気になって仕方が無い。
自分の勝手な思い込みかもしれないけれど、義務感ではなくて、なぜか友達にならないといけないと思った私は、この娘に声を掛けてしまった。
「あの……、少し良いですか?、私は慧と言います。良かったら名前を教えてくれないかな?」
「名……前?」
「そう!名前。勝手な思い込みかもしれないけど、同じ年齢かな?と思って。もし良かったら友達になれないかと思って」
「友達……。私は……焔」
思えば、無茶苦茶な事をしたものだけど、それが焔との初めての会話。周りには、良く会話が出来た、名前を聞き出せた、奇跡だと言われた。そして綽名は孤高の少女に変わった。ああ!何て周りの人間は、こうも勝手なのか!
「その赤のカラコン、茜色に見えて綺麗だねぇ」
「……ん」
慧は18・9歳だろうか?外見的には私の歳と変わらないから声を掛けてきたと言うが、私は彼女より何倍も年上だ。
人を殺め過ぎた私は、時の牢獄に囚われている。どれだけ年月を経ようとも、私の外見は10代終わり頃の少女の姿から変わらない。彼女が私を同世代と思っても、仕方が無い。
周囲との乖離が際出っていく私は、普通の世界から切り離され、人と長く交わる事が出来ない。家族や友人達と共に歩む平穏な人生。そんな物は夢を通り越して妄想の類と言える。
そんな私に声を掛けてきた彼女に対して最初に思った事は、驚愕と不思議な娘だなという思い。何時もなら、見られている段階で気づくし、話しかけられる前に気づいている。慧の場合は、違った。話しかけられるまで気付きもしなかった。
お陰で話しかけられた瞬間に、思わず戦闘準備状態に入ってしまい目の色が普通の黒茶から朱に変わってしまった。慧が勝手にカラコンと勘違いしてくれたので、問題は起きなかったけれど、もう少しでバレてしまうところだった、危なかった。
とは言え、怪我の功名とも言えなくもない。戦闘準備状態の時は、より高精度且つ広範囲に認識阻害を掛けられる。私に向けられる、隠しきれない零れだす殺気も察知し易い。戦闘準備状態で、気兼ねなく動けるのは悪い事じゃない。それに慧はこの朱を茜色の目だと言って気に入っていて、茜色のカラコンで来てとせがんで来る。ARISに発覚するリスクを自ら作り出し、愚かな行動だとは思う。だけど、この目を喜んでくれる慧を見ると悪い気はしない。
「定食屋さん行きたい!唐揚げがっ!唐揚げが私を呼ぶっ!」
「…ん。行く」
焔は、少し変わった。他の人は、焔が他人と話している姿を見て驚き、更にはその話し相手の私に微笑みではなくて、笑顔を見せているのを見て驚くと言う。
そこまで驚く事なのだろうか?相も変わらず、人より口数は少ないけれど、焔は普通に喋る。人は勝手に他人に付けた印象を、変えられないのだろう。
確かに初めの頃の焔は無口を通り越して、返事すら無言で頷くとか、仕草だけだった。私と喋るのは楽しくないのかと思うとそうではなく、嬉しそうな目で此方を見つめ返していた。
あの娘は、無口なんかじゃない。喋るのが苦手で、話し方が分からないだけ。孤高の少女なんかじゃない。単に人が怖くて笑わず、人を寄せ付けないだけ。あの茜色のカラコンも、他人に目から感情を読み取られない様にするためだと思う。でも、似合ってるんだよね、あの茜色のカラコン。
とっつきにくいとか、付き合いが悪い娘じゃない。今みたいに、バイト後の遅い私の夕飯に対する我儘に文句も言わずに付き合ってくれる。
焔の事はそれ程知らない。学校、年齢、家の場所等は知らない。分かっているのは、人を怖がる、無口、我儘の言い方を知らない。小食で、抜ける様な白い肌の同世代の少女。
何か理由があるんだろうなとは思っている。けれど、彼女が自分から喋っても良いと思う様になるまで、私から聞き出そうとは思わない。
「慧、もう少し周りを見なければ駄目。ああいう馬鹿は、離れた距離で見つけて回避しないと」
覆水盆に返らず。起きてしまった事は、覆せない。正直に認めよう。夜に限定されていたとしても、私は新しい友人と会うのを楽しみにしている。
慧は、自分の容姿に自覚が無い。彼女と歩いていると必ずナンパされる。別にナンパが悪い事とは言わないが、夜遅くにナンパしてくる相手の中には、強引と無理矢理を取り違えた馬鹿者達も居る。
普通の場慣れしていない女性であれば対応に苦慮するのだろうが、場慣れしている女性同様に私には関係ない。
悪目立ちしない程度に馬鹿の腕を引き離すのは苦労だけど、馬鹿男のナンパをあしらうのが私の仕事だ。でも、友人を守るという事が、こんなにも楽しく嬉しい事だったのかと再認識出来るので、嫌じゃない。
「焔と居るから、気を抜いちゃって」
バイト帰りの夜遅くの繁華街には、善良な酔っ払いの男女以外に、自分はイケていると勘違いしている馬鹿なナンパ男も多い。
前までなら、まだ遠くはなれた段階で察知して回避していたけれど、どうも焔と居るとそれを忘れる。それもこれも、彼女があしらってくれると信じているから。
ところで、なぜ馬鹿なナンパ男達は、主目的の焔ではなくて、付属物の私を最初に狙うのだろうか?将を射んと欲すれば先ず馬を射よ?私は馬か?
焔は、貴女が主目的だと言うけれど、それは違う。彼女は馬鹿男達が焔を目的にしていることや、自分の容姿を理解してない。
よくもまあ、今まで焔が無事だったものだと思うけれど、焔は、あの容姿からは想像出来ない程に、強い。あれだけ強ければ、問題無いのかもしれない。
彼女は、こつを掴めば誰でも出来ると言うけれど、それは違う。強引に私達の腕を掴もうとした、自分より体格の良い男性の腕を捩じりあげるなんて出来ない。
「警察に駆け込む様な野暮なことをしたら、見つけ出して殺す」
彼女が強いと言っても、あの容姿だから信じてくれはしないと思う。けれど、彼女は喧嘩が、信じられないくらいに強い。
この前もそうだった。危ないとは知っていたけど焔と一緒なので気が緩み、街燈はあるけれど防犯カメラがない、ガード下のトンネルで、数人の男達に前後を挟まれ、進退窮まった時、彼女は凄かった。
一緒に良い所に行こうよと、にやつきながら迫って来る彼等に、最悪の未来を想像し泣きそうになった時、焔が、壁際に張り付いていてと言いながら、彼女の背に庇われた私を壁際に押しやった。
その後の事は、あっと言う間だった。私も理解が追い付かなかったけれど、男達も訳が分からなかったと思う。
くぐもった鈍い音がしたと思えば、にやつつきながら焔に近づいて来ていた男が地面に倒れ唸っていた。何が起きたか分からずに呆然としていた他の男達が罵り声を上げた時、焔は2人目の男を地面に叩きつけていた。
アクション映画のワンシーンの様な光景に呆然としていた私が我に返った時、男達の中で立っている者は誰ひとりも居なかった。
地面に倒れ、唸っているリーダの前にしゃがみ込むと、無造作に彼の頭を掴み上げ、その目を覗き込みながら、焔が何か話していた。
私には頼もしく見えた彼女が彼にはなぜか怖かったらしく、怯えていた彼は、失禁してた。恐怖で失禁するって、本当にあるんだと妙に感心してしまった。
だけどね焔、助けてもらっている立場で何だけど、その姿勢だとリーダに貴女のスカートの中が丸見えだと思うの。いや、それが趣味なら止めはしないけどさ。
あとね、その物騒な物言いは、余り世間的に宜しくないし、何より貴女のその顔では似合わないかなぁって思う。
安全な場所に移動してから、焔に懇々と、お説教をされた。でも、この娘にとって、喧嘩をしてでも守るべき友達に成れたんだと思って、少し嬉しかった。言ったら、また怒られるから言わなかったけど。
あれだけ強いとなると、もしかして焔はARISなのかもしれない。元から女性ではなくて、元は男性だったのかもしれない。けれど、それもどうでも良い。今の私には、焔は、口下手で、人を怖がる、どうしようもない程に怖がりの同性の友人なのだから。
「慧?私の話を真面目に聞いている?何で微笑んでいるの?」
「ま・真面目に聞いてるよ!」
何とも世話の焼ける友人か……。でも嫌じゃない。
最後には、誠実な相手から去るか、裏切ったかつて友であった者を殺す羽目になるのに、馬鹿な事をしている実感はある。でも、少しだけ良いから、慧と同じ時を歩みたい。それが私の小さなお願い。




