1-20-2-8 理不尽な世界)泡沫の夢
「ARIS欧州支部によると、昨夜パリ郊外の工場で発生した爆破事件は、ARIS欧州支部による人に擬態していた危険生物駆除の為の戦闘の結果との事です。戦闘の結果、複数名の民間人が軽傷を負いましたが、死者はいないとの事です。また、危険生物の駆除は完了しており、安全は確保されたと発表がありました」
世界レベルで報道管制が出来る相手に比べて、個人が出来ること等はたかが知れている。しかし、全てが巧く行くとは限らないが、動画配信サイト等を用いて世論の支持を得ているのであれば話は異なる。
世論から一定の支持を得ている相手を倒すのは、時間も労力も必要になる。だから、独裁国家であれ、自由主義国家であれ、官民問わず世論の形成を重要視する。
建前は、船団技術の民間への提供と船団及び彼等に対する親和性の向上。本音は、船団や彼等に有利な情報の拡散により、信用度及び精神的依存度を増加させる為。全国の主要都市の大きな繁華街等に設置されている空間型3D投影機器も、その為に設置されている。善意の欠片もありゃしない。
普段は3Dに対応したニュースや音楽等のPVや広告が投影され、老若男女問わず、待ち合わせ場所として人気の此処は、何か世論の賛同を形成しておきたい場合には、今の様な彼等の行動の正当性を強調した報道が流される。
誰かを待ちながら投影された3Dを食い入る様に眺める人達を見て、この様に世論は形成されていくのだと思う。
巨大な相手の力をまざまと見せつけられて、自分が如何に小さな存在か思い知らされ、蟷螂の斧とはこの事かと少し暗い気持ちになる。
情報は大事だ。だから3D投影を見るのを止めろとは言わない。虫の良いお願いをしているのは分っているけれど、情報に流されないで欲しい。
色眼鏡で見ないで欲しい。お願いだから誤解せずにちゃんと理解して欲しい。見聞きした物をそのまま信じるのではなく、自分で判断して欲しい。
ニュースが終わり、音楽PVが流れ華やいだ場所に戻っている筈なのに、私の心は暗いままだ。きょうもまたライブハウスに行き、時間を潰そうと思っていたけれど中止かな。ひとり……逝ってしまったのかな……。逝けた言うべき?どちらが正しいのかな。
私達は昨日までは世界に7人居た。最初に創られた時は日本に5人、欧州に10人。繰り返される人同士の戦に巻き込まれ、2日前迄は日本に2人、欧州に5人が残っていた。日本の私以外のひとりは、アメリカに拠点を作り移住してしまった。だから、正確には日本には私ひとりだけ。
ひとりだからといって、手は抜いていない。日本各地の大都市の周りに拠点を設けてある。東京近郊にはこの拠点と予備の拠点2カ所の計3か所ある。此処を含めて、使い捨ての場所なら20カ所ある。
ああでも、今日、あそこでタブレットでメッセージを読み込むとすると、あの場所はもう使えない。だから、残りは19カ所。
「こんな事をする暇があるなら……逃げなさいよ」
ネオンの灯りが照らす屋上で起動したタブレットの中に、時間が無かったのだろう、彼等に討伐された欧州組のひとりが、最後の一瞬に私達へ送った短い決別のメッセージが浮かぶ。馬鹿な奴、こんな事をする時間があれば逃げれば良いのに。本当に……馬鹿な奴。
昨日、私達は同胞をひとり失い、世界で6人だけになった。今日、もうひとり減り、明日には5人になるかもしれない。その消えるひとりには、なりたくない。
このタブレットも探知されたと考えた方が良いよね。深夜とは言え、彼等が危険生物である私を駆除しに急襲して来ると考えるのが無難。
彼等が証拠を確保する可能性を僅かでも下げるため、電子レンジにタブレットを放り込んだら、この場所から逃げないと。
逃げるといっても、このままこのビルの出入り口から馬鹿正直に逃げるなんて事はしない。人なら飛び越えられない路地向うのビルの屋上へも、私なら簡単に飛び移れる。危険生物の私に、この程度の距離は関係ない。
「周囲の防犯カメラの映像には怪しい人間は映っていません」
「周囲探知、何も居ません」
「畜生!見つけていたら俺が一発で殺してやるのに!」
欧州で目星を付けていた危険生物が、パリ郊外で死ぬ前にメッセージを送信していた。東京都心で、受信端末が出たと急ぎ駆け付けたが、ビルの屋上に残っていたのは、なぜか焼け焦げた電子レンジと、その中に同じく焼け焦げたタブレット。
恐らく我々が此処を急襲するのを見越して、タブレットを破壊して逃げたんだろう。勇ましい事をいっている馬鹿な新人が居るが、正直に言えば、逃げてくれていてホットしている。俺達では、下手すれば全滅する。
何しろパリでは、調整体ではない後期ARIS26人と調整体の中期ARISが4人が殺られた。丁度パリに居た、6名の標準調整体の中期ARISが加勢してそれだ。
生き残りは後期が6人、中期は2人。それだけの犠牲を払ってやっと倒せた相手だ。此処に居た日本の奴もパリに居た奴と同程度と考えれば、中期ARISが俺ともうひとりだけのこの班で斃せる訳が無い。
「さっき、大勢のARISがビルの周りに居たけど、何だろうな?」
「ヨーロッパの危険生物みたいのが日本でも出てたりしてな」
「人に擬態するらしいから、この辺り歩いてたりしてな」
「でも、美男美女らしいぜ?」
「たぁ~。美女なら会いてぇ」
大々的に報道してくれたお陰で、酔っ払い達の良い話しのネタになってる。君達には単なるネタだろうけれど、私には命の危機。彼等もやってくれる。こうやって追い詰められていくのか……。まぁ、捕まえられる気はしてないけれどね。
「付近のビルを家探ししましょう!絶対に隠れてますって!」
この馬鹿は、俺達が神か何かとでも思っているのだろうか?真夜中に捜査令状も、正当な理由も無く、一般人の所有物件に押し入っても問題が無いとでも思っているのだろうか?頼む、誰か説明してくれ。
そう言えば、確率の問題、ゼロも完璧も在り得ない、馬鹿は必ず発生する。同期がそんな事を言っていたな。目の前の馬鹿の様に、ARISになった事で自分が絶対的な権力を持つ正義の味方になったと勘違いする奴は皆無じゃない。
何も俺のグループにそんな愚か者が居なくても良いじゃないかとは思うが、愚痴を言っても始まらない。先ずはこの馬鹿を諌めるのが先だ。大体だな!顔も分からない相手をどうやって探す気なんだ、この馬鹿は。
そもそも、もう遠くに逃げている。証拠隠滅を冷静に行う奴が未だこの付近に居る訳が無い。反対に灯台下暗しを狙って、付近に潜伏している可能性は否めないが、馬鹿がこれだけ騒いでいれば、居たとしても簡単に避けて逃げらていれる。
「次は吉祥寺、右側のドアが開きます」
あの場所の近くで、彼等の右往左往を見ていても良かったけれど、そんな気分ではないので立ち去った。週末の夜の電車は、何時もより少し騒がしく、そして少しお酒の匂いがする。
自分達では小声と思いながらも少し大き目な声で楽し気に会話する男女問わずの酔っ払い達。スマホやタブレットを覗き込み、ゲームや動画に興じる人達。何か調べものをしている人達。色々な人達。
この車両に、人の姿に擬態した血塗れの妖が居ると知ったら、どうなるのだろう?ドアの横に立っているのがそれだと知ったら、皆、我先にドアから逃げ出すのだろうか?それとも、私の事などは知られていないので頭のイカレタ少女とでも思い、見つめられて終わりだろうか?
そんな事はない、私は情弱ではないので知っている。その様な事を言う人達は私の事を評して言う、お前は、発見即時討伐とするべき対象。血も涙もない人の姿に擬態した化物。世紀を跨いで生き続ける為に他人を殺め、その命を糧にする吸血鬼。身勝手に決めた掟を守らせる為に、裏切者を殺し続ける冷酷無常の闇の女王。迷惑千万な、死ぬ勇気も無い弱虫な妖。
ああ素晴らしい。貴方達は、胡乱な情報に流されずに自分で判断している。自分達を絶対正義と信じている貴方達の言い分は、何もかも正しい。
私は貴方達の様な正義の味方が大嫌い。貴方達が自己陶酔しながら声高に叫ぶ正義には虫唾が走る。ろくな武器も持たない無力な獲物でしかないのに私を批判する貴方達は、私を酷く苛つかせる。
「ねぇ?凄い綺麗な朱いカラコンだね。何処で降りるの?良かった次で降りて飲みに行かない?」
嗚呼……苛つく。この車両を血の海に変えてやろうか?
「絶対に、あの似顔絵の奴ですって!それ、ばら撒きましょうよ!」
もう、おれはこの新人が異星人に見えて来た。いや、本当に異星人かも?我々の弱体化を狙うために人に擬態した異星人じゃないのか、こいつは?
救いようの無い馬鹿だけとは思うが、こいつは似顔絵が何枚あるか分かって言っているのか?その似顔絵も信憑性が非常に低い物だと理解してるのか?
日本の奴は、繫華街に現れる事がある。これは正しい情報だが、顔が判明していない。一緒に写真や動画を撮ったと言う者も居るが、顔の部分だけが滲んだ様に歪んだ姿しか残っておらず、若い女性だという情報しかない。
記憶していると言い張る目撃者たちの記憶は、鼻、口、顎の形となると、まるで彼女がマスクを掛けていたかの如く、一様に曖昧になり、ぼやける。
人の脳と言うのは、いい加減なもので、見ている顔の一部が分からないと、勝手に自分好みの容姿に補正して記憶する。所謂、マスク美男美女というやつだ。
結果として残されたのは、何の役にも立たない、信憑性が非常に低い、自分好みの美少女の似顔絵集の出来上がり。
男と言うのは馬鹿な生き物だと言われるかもしれないが、欧州の男性に擬態していた奴等の似顔絵も似たような結果になっているのだから、馬鹿に男女差は無い。
「しっかし、危険生物なんて居るんだな」
「異星人が居るんだから、危険生物くらい居ても不思議ないだろう?」
酔っ払い達の雑談が、耳に纏わりつく。早く駅に着かないかな。駅に着いたら、何処にも寄り道せずに、家に帰ろう、このまま外に居ては駄目。
復讐したい!勝利の美酒に酔っている彼等や、ネットで彼等の行いを賛美している有象無象の輩を血の海に沈めたいという気持ちが沸き上がる。
分っている!彼等が正義であり、私達が絶対悪であることなんて分っている!ただの逆恨みだって分っている!けれど……気持ちが……身勝手な復讐心が沸き上がってくるのを抑えられない。
人の心を完全に捨てたくない……。今は未だ捨てたくない……。慧……助けて。
「撤収する」
「え?!家探ししましょう!絶対に潜伏してますって!」
「黙れ!撤収だ。分かったな?」
何時か彼女と、相まみえる事もあるだろうが、出来れば闘いではなく、平和裏に会いたいものだ。
「焔ぁ、今日も来るよね?今、何処?」
「慧ごめん、体調が悪くて今日は行けない」
「大丈夫?!」
「大丈夫、明日は行けると思う」
歯を食いしばり、何百、何千もの命を奪ってでも、慎重を期して守って来た自分の命。その命を危険に晒す様な馬鹿な事をしているのは分っている。
私の世界に慈愛の神様なんて居ない。もし神様が居たとしても、余りの罪深さに神様に許しを乞ことすら許されない。いつか裁きの使者、彼等がやって来る。
分不相応な望みだけれど、何故か今は、無性に、そして心の奥底から、今だけは、今だけは未だ、居ない筈の神様に縋ってでも、友と普通の時間を過ごしたい。こんなにも理不尽な世界の中で、泡沫の夢を見続けていたい。




