1-20-2-7 理不尽な世界)あさましく、みっともなくも
「化物めっ!人の心が在るなら、血への渇望を抑えられる筈だっ!」
怖気が全身を駆け巡る程、己の底の浅い理想を他人に強要する台詞。物事を俯瞰して導いた結論と言いながら、その実は自分の好き嫌いで決めつけた狭い了見。
言うは易く行うは難し。人であろうが、妖であろうが、生きる為には何等かの糧を得なければならない。生き続けるために成すべき事を成す。死にたくない。妖であっても生き続けたいと思う事は罪なのだろうか。
「人の命を奪うくらいなら、死を選ぶ」
吐き気を催す程の自己陶酔。御立派な自分の行動は、他人が必ず賞賛すると妄信している正義の味方が、お約束の様に吐く台詞。
こう言う台詞を吐く奴ほど死を選ばない。お前が今から首を切り裂き死ななければ、通りを歩いている無関係の10人を殺す。5秒やるから、どちらかを選べ。そう言われて直ぐに自分の命を差し出す奴なんて居ない。グダグダと説得しようとしてくる。そして、自分の命は差し出さない。
あえて言い訳をさせて貰えば、身も心も人に非ざる存在と化している私と言え、未だ少しは人の心が残っている。襲うのを止めようとしたこともある。その試みが無駄だと悟った後は、むやみやたらに襲いはしないし、襲う相手も選んでいる。
血への渇望を限界まで我慢すると、意志の力がどうのこうのという次元を越える。我に返った時、足元に血を一気に失った死体と、口の周りを血塗れにした自分に絶望する。無駄な足搔きという言葉を身を以って体験するだけ。
妖にも三分の理、せめて襲う相手は無辜の民を避け様と、社会の爪弾きや、はみ出し者を襲う事にしている。例外を除いて、殺すために殺すのは控えている。
人を襲っている事には変わりはない。人殺しの自己肯定、血も涙もない化物の戯言。そんな事は、言われなくても分っている。挙句に今夜は、掟を破った者達を、糧を得る為ではなく、殺すために殺す。言い訳も出来やしない。
「なぁ?それってカラコン?赤色?」
空一面を覆う黒く厚い雨雲。雨の夜は闇が世界を支配する。何世代も前の人間にしてみれば、それが常識。でも今は、色とりどりの灯りを灯す夜の街が広がる。昔の人達が見れば、卒倒しかねない非常識な世界が、非常識な私の居場所。
見上げる様な大きな建物の中、喧騒の中でライブを楽しむ多数の男女。喧噪と混沌が広がる周囲の店。
混沌が広がる場所には、混沌を愛する非常識な者が集う。ライブを楽しむのではなく、刹那的な男女の出会いだけを目的にしている者。自分達は特別な階層だと妄信している愚者。そして今の時代の女衒の様な屑。
ライブ施設の近くのバーにひとりで来れば、九分九厘の確率で声を掛けられる。この店の客層は、はっきり言って悪い。贔屓目に見ても、大学入学を果たしたばかりの未成年。そんな見掛けの私の入店を許可して更には、お酒の類の注文に応じ、供する時点で、店自体も最悪の部類に近い。
どうみても、やっと舎弟を持った下っ端やくざが声を掛けて来る。いつもなら鬱陶しいだけだけれど、今日は違う。何故ならこいつが今日の目的なのだから。嗚呼!砂漠で水の匂いを嗅いだみたいに期待に胸が躍る。
「ふふ。そうカラコン。似合ってるでしょ?」
私が声を掛ける様に誘導していたのにも気付かないとは、何とも単純。何とも御しやすい馬鹿なのだろう。まぁ、馬鹿だから道を踏み外し、口座情報のコピーを作ってしまったのだろうが。
裏切者には、死を。付き合いのある裏社会に求めている鉄の掟。まぁ私がその掟を求めている本元だとは誰も知らない。だからこそ、この馬鹿は恐れも覚えず私を単に遊びを覚えたばかりの世間知らずの少女と思い声を掛けてきた。
何て酷い匂い。こいつの全身から性欲の匂いが漂ってくる。こいつは自分が弱い獲物から何もかもを奪い去る強者と信じているのだろう。おおよそ性交時に薬でも盛って、私を薬漬けにして離れられない様にしてから、最後には風俗にでも堕とそうと思っているのだろう。
甘いな、地獄に堕ちるのはお前。人は見かけに依らない。学校で習わなかった?
「少し静かな所に離れない?此処は人が多いし、音量も大きすぎるから……。あの雑居ビルの地下の改装中のライブハウスの鍵を持っているんだけど、どう?」
「なんで、そんな鍵を持ってんだ?」
「んふ、うちの親の持ちビル」
「なるほどな、じゃ、そうしようか。少し静かな場所に行こうか」
捕食獣が猛々しい姿をしている。そんなのは、獲物側の勝手な思い込み。自分が獲物を喰らう未来しか想像出来ず、か弱く見える獲物が、自分を喰らう捕食獣だなんて夢にも思っていない。
君は私の様に、もう少しお芝居を学んだ方が良い。金持ちの世間知らずの馬鹿娘を捕まえた、金蔓だと、あからさまに喜びに満ちた顔を、一瞬とは言え見せては駄目だよ。まぁ君の残り時間は少ない。学ぶ機会は訪れないと思うけどね。
「俺な、賢哉って言うんだ、君は?」
「ほらぁ、そんな事より早く部屋に入ろうよ?はい、お先にどうぞ」
ある日、大都会の中から、世間の暗黙の了解からはみ出した半端者や遊び人が消えても、誰も気にはしない。例え裏社会が気づいたとしても、それが裏切者であったと分かれば、死の理由と、その結果の恐ろしい死に様が警告として広まるだけ。
嗚呼、何て簡単。振り返った時に、少し俯き加減に、はにかんだ様に微笑めば、餌を貰える子犬の様に付いてくる。ほらほら、よそ見をしないで、離れない様に付いてくる来るんだよ?
お前が見ている女はね幻なんだ。認識阻害を掛けている私の姿は電磁的にも、光学的にも目の下からを覆う狐面の女としか記録されない。このお面の姿を見せたら、お前は失禁するかもね。
掟を忘れたとは言わせないよ?既に今向かっている目的地にはね、お前の唯一の家族の弟が待ってる。馬鹿な兄のお陰で、お前と共にに殺される弟が待っている。
人の血液量は成人男性で約5~7L、女性で4~6L。短時間で1L弱も失えば意識昏倒どころか失血性ショックで死亡する。跪いて弟の助命を乞うても無駄。ああ……でも、そんな事をする訳がないか。君は屑だからね、弟であろうと、自分が助かるためなら喜んで差し出すだろうね。
ならば余計に、先ずはお前の目の前で実の弟が、お前のせいで私に嬲り殺されるのを見せてあげる。お前の未来をじっくりと見せてあげる。お前はその後で、ゆっくりと地獄に送ってあげる。
「部屋の前の監視カメラには、狐面の女しか映ってませんでした」
「そうか……。おい、録画は消せ。良いな?そして、死にたくないなら、狐面の女ことは忘れろ。良いな?」
代理人の女から、賢哉の首を取りに来い、使った部屋を完璧に綺麗にしろと連絡が入った時に、この光景を見るとは思っていた。あいつは……馬鹿野郎が。
賢哉の巻き添えを喰らった、賢哉の弟もいい迷惑だ。あいつらは容赦が無い。掟を破った仲間であれば、女子供だろうが容赦しない。簡単な悪事に加担したと思って、巻き添え喰らった賢哉の弟は気の毒だが、自業自得……だな。
ふん……。ちゃんと処理をしているみたいね。これで暫くは掟破りが出ない様になるかな?
何も殺すこともないのでは?馬鹿な事を言ってもらっては困る。人が最も恐れる死で償わせるからこそ、効き目がある。
流石、血も涙もない妖だ?何を言うの?この世で最も欲深くて残酷な生き物は人、そんな事も知らないとは呆れ果てる。
人は自分が利用出来ると思えば、利用される側の意思等を無視して、骨の髄まで利用する。例えば女衒の類が女を売り飛ばし、または薬漬けにした女に身体を売らせて金を得る。社会のはみ出し者が良く行う話し、珍しくとも何ともない。
人は自分達と異なる物を恐れ、排除しようとする。その異形が利用出来ると思えば、どんな非人間的な行動ですら厭わない、無碍に扱う。例えばそれが人に非ざる存在であれば、尚更に無碍に扱うのは想像に難くない。
妖を捕らえた者達は、彼等の欲望を成就するために、嬉々としてあらゆる非人間的な生体実験を繰り返し、妖の秘密を暴き、その超人的な力を手に入れ様とするだろう。彼等には妖は人では無くて物なのだ、そこに、せめて優しさの欠片だけでもと望むのは、無理な願いと言うものだろう。
妖の私は、彼等に自分の存在を悟られる事も、捕らえられる事も避けなければならない。もし捕らえられてしまえば、人にとってくだらなく見える平凡な生活は消え去り、何年か後に確実に命は奪われる。それが嫌でたまらない自分勝手な人殺しの私は、徹頭徹尾、掟を守らせる。
散々に人の命を奪い続けておきながら、未だに私は、あさましく、みっともなく、自分勝手な理由であっても、生にしがみ付いていたいのだ。
あと何年、こんな外道な行いを続けて、あさましく生き続けるんだろうと、ふと思う時がある。掟に反した裏切者を処理した時や、年に一度、血の糧を得た時はそう思う気持ちが強くなり、悪行を止められない自分に少し哀しくなる。
でも……馬鹿みたいに聞えるかもしれないけれど、まだ人の心が少し残っているから罪悪感を覚えるのだと思うと、少し嬉しくもなる。




