1-20-2-6 理不尽な世界)身勝手な理由
生き延びる為には狩りをしなければならない。これは自然の摂理。例え捕食者が妖で、捕食されるのが人であってもそれは変わらない。
獲物を狩れるか否かは、狩場を何処にするかで決まる。例えば物語では、化物が森や街道であからさまに人を襲う。あれは頂けない。あんな物は寿命が短い化物がやる行動。私達みたいに寿命が無いに等しい化物は、もっと慎重に物事を進めなければならない。
いかに人に気づかれず人を襲うか。世間的に目を閉じて貰える襲撃対象は誰か。襲撃後に行方不明となっても世間的に騒がれない襲撃対象は誰か。むやみやたらに襲えば良いという物ではない。
狩の時は獲物が油断してくれているのが良い。先ずは見た目で警戒されない事が大事。その点で、私達の容姿は万人受けのする良い所取りの顔。
現代の基準ではそこまで掘りの深い顔ではなかったけれど、昔の日本の基準で言えば少しばかり掘りが深かったかもしれない。とは言えそこそこ、見目麗しい容姿であることに変わりはない。これで油断しない獲物は居なかった。
問題が無かった訳じゃない。現代ではそこそこだが、当時の基準で言えば相当に背丈があり且つ、脚が長いこの体形。そんな奴も居ると、男達は誤魔化せても、女達にとってこの体形は悪目立ちにしかならない。
更には私達は歳を取らない。これを如何に誤魔化すか。昼間から堂々と過ごす訳にはいかない。自然と私達は昼の世界を避け、夕闇や、昼なお暗い場所で生きる様になっていった。
徳川の時代が終わり、大正の終わりか、昭和の初め頃までだろうか、その頃までは、街道沿いでも少し人里離れた場所を狩場にしていた。
女衒をご存じだろうか。寒村の年端も行かぬ少女を言葉巧みに買い取り、女郎屋に売り飛ばす。要するに人買いだ。私達にとってこの女衒は美味しい獲物だった。
今の基準で言えば絶対悪だけれど、あの時代、貧し過ぎるあの当時の日本の基準で言えば必要悪だったと思う。とは言え、やはり人に好かれる者達では無いのは事実だし、何より人買いだけあって大金を持っている。
歳を取らない事と、戸籍を持たぬことで私は働けない。働けないが、この世はお金が無ければ、何も出来ない。お金を得る為には奪うしかないが、誰からでも奪うのは駄目だ。奪ってもお役人達が本気で捜査しない対象から奪わないと駄目なのだ。心置きなくお金を奪える相手として、女衒は美味しい獲物だった。
昭和の世も暫くすると、そんな生活も難しくなってきた。女衒の様な獲物が減って来たのもあるが、それ以上に戸籍や地所の管理が厳しくなり、田舎だと悪目立ちしてしまうのだ。
単なる偶然だったのかもしれないが、例えば寒い日は夕飯を鍋にしようとか、人が皆、同じことを考える様に、他の仲間達も同じ様に都会の近くに拠点を作り、都会を狩場にする様になっていた。
都会程、素晴らしい場所はない。突然ある日、人がひとり消えても誰も気にしない。何処かに引っ越したとか、田舎に逃げ帰ったとでも思われる程度。余程、親密な間柄でもない限り探されることはない。
昔は今よりも他人との距離が短くて、もう少し人情味が在ったかもしれない。それでも、相互監視と言う様な、あの田舎の濃密な人間関係に比べれば十分に希薄。
人の出入りが激しい都会は、余所者の私が入り込んでも気付かれ難い。木を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中。誰もが他人に無関心な都会は、身を隠し易い。その希薄さと無関心の世界が、狩場として最適だった。
都会を狩場にするために、都会の近くに滞在するのに野宿する訳にはいかない。おいおい宿屋やホテルに泊まる事になる。そうなると、金の問題とは別に流石に若い女性ひとりの連泊は目立つ。今の時代ではそこまで目立たないのだろうが、昔はそうはいかなかった。
悪目立ちを避けるには、都会近くの何処かに拠点を設けるのが手っ取り早い。但し、拠点を設けるとなると土地建物の所有登記とか、会社組織にする場合は法人登記等が必要になる。そうなると必然的に、戸籍やら、銀行口座等が必要になる。
まともな手段でそんな物が私に作れる訳が無い。必然、裏の手段を用いる事になる。都会の闇に蔓延る裏社会を頼る事になるが、普通なら脅されて生き血を吸われて終わる。けれど私には関係ない。脅してくれば、彼等が想像する以上の絶対的な恐怖で支配する。そうすれば彼等は裏切らない。便利な道具に過ぎない。
「あの狐の面の女、絶対!良い女ですよね?何処に住んでんですかね?」
「馬鹿野郎!生きていたかったら、詮索するな!」
賢哉を初めて荷物持ちで連れてきたが、もう一度しっかり説明しておかないと、俺の命もヤバイ。場合によっちゃ、俺が賢哉を半殺しにして差し出し、詫びを入れて許してもらうしかねぇ……。
確かに、あの目から下を覆う狐の面の女は良い女だと思う。だが……ヤバイんだよあれは。あの女は単なる代理人に過ぎない。その後ろの戦前から在る組織が底知れない。
口座や、戸籍を作っても、後で脅しのネタに使おうとして作った口座や戸籍の情報を記録しては駄目だ。そんな奴の場所には、必ず代々の狐の面の女が現れて血の海になる。俺達は裏の人間だけど、裏の人間だからこそ触れちゃいけない世界がある。それを賢哉には良く言って聞かせて、暫く見張っとくしかないか……。
賢哉……大人しくしてろよ。差し出された奴はな、みんな喉に何かに喰いつかれた跡を残し、恐怖で歪んだ顔の死体になって事務所に却って来るんだ。数年前に若頭補佐とその女、舎弟が死んだのは、火事のせいじゃねぇんだぞ……。あれは、全員の亡骸を見せつけられた後に、会長と組長と若頭と俺が燃やしたんだ……。
あれは人じゃない。あの時の代理人の女は、何かに喉を食い千切られ恐怖で歪んだ若頭補佐の頭を、野菜か何かの様に俺達の前で死体から引き千切り、お前の手で事故に見せかける様に処分しろって言いながら、会長に手渡しやがったんだぞっ!
「あぶないから、その道は行っては駄目!」
「まま?あのお祖母ちゃんなに?」
「良いから、目を合わせたら駄目、変な人だから」
都会といっても、まだまだ昔の長閑な田舎の名残を残す、大都会に隣接する新興都市。都市化が進む街の中に残る、昔の名残を強く残す丘がある。街の古老達が恐れて近づかないその丘の中腹に、その建物はある。
それが自分達の義務だと信じる古老達は、都市化が進み新しく移り住んで来た者達に、その場所に対する忠告とも脅しとも言える苦言を行う。だが、逆効果にしかなっていない。
「おい!その道は危ない!」
「うるせぇ!毎朝、毎朝っ!煩いんだよ!この、くそ爺っ!いい加減にしないと通報すんぞ!」
「な?!何を言っているんだ!お前達はここがどんなに危ない場所が知らないから、そんな事を言ってられるんだっ!」
「おい!もう、放っておこうぜ、遅刻するぞ?」
「ああ!糞っ、朝から不愉快だぁ!」
例えば、その丘や建物が荒れ果てていて、見るからに妖しい雰囲気を醸し出しているのならば、まだ理解出来る。しかし、そうではないのだ。
丘を通り抜けられる歩道も街燈もある誰でも通って良い幅広の私道が通る。歩道側とは柵で隔たれ入れないが、敷地は定期的に人の手が入り整備された疎らな低木と芝生で覆われ、中腹には瀟洒な住居なのか保養所なのかが建っている。
これで、この夜道の治安が悪ければ、古老達の言い分のひと欠片程度は納得出来る。しかし、丘向こうへの近道に使える街燈に明るく照らされたこの道は安全で、昼も夜も人通りが多い。
どう贔屓目に見ても危険な場所には見えない。古老達が何故その場所と建物を恐れるのかが理解出来ないし、古老達の苦言も、新しく来た者達には山の建物の住人へのやっかみとか、嫌がらせにしか聞こえない。
古老達、新参者達の言うことは、正しくもあり間違いでもある。危ない場所と言うのは正しい。けれど安全な場所と言うのも正しい。君達が真っ当な人間であれば、と言う条件は付くけれどね。魔物の住処と言うのは正しい、けれど本拠地ではないけどね。
郊外の瀟洒な家は、実は人を襲う魔物の隠れ家。ドラマやアニメ等で良くある設定だけれども、現実ではそんな馬鹿な事はしない。リスクが在り過ぎる。隠れ家というのは、人知れず存在するからこそ意味があるのであって、知られてしまったら意味がない。
田舎というのは、余所者には厳しい。見知らぬ人間が歩いていたら、直ぐに村中、街中に話が伝わり警戒され、出入りする場所を瞬く間に特定される。重要拠点をそんなリスクのある場所に置く訳が無い。
此処に在るのは、仮の住まい。都会の狩場に行くための狩猟小屋の様な物。痛くは無いと言えば嘘になるけれど、仮に無くなっても代替の効く場所に過ぎない。
この家のある場所が狩場じゃないのかって?そんな馬鹿な事をする訳がない。誰もが顔見知りの狭い世界で、誰かが居なくなれば直ぐに警戒される。そうすれば、たまにやってくる半分余所者に嫌疑が掛かるのは必定。
今でこそ警察だ何だで済むけれど、ひと昔前ならば討ち取ろうと襲われる。そうなったら此方も返り討ちにするし、口封じの為に村民や町民を皆殺しにしなければならない。仮の住まいとは言え、せっかく作った拠点をそんな馬鹿な事で失うのは惜しい。だから、狩場の中に拠点を作る事はしない。
狩と言うけれど、お前の獲物は人じゃないか!この妖がっ!という、私達への非難には、反論のしようがない。全く以って正しい。
私達は自分達が人に非ざる存在、文字通り血に飢えた妖であることを否定しない。定期的に襲って来る血への渇望を抑えられない。定期的に人の血か肉を取らなければ死んでしまう。
私達は生きるために定期的に人を襲う。酷く身勝手な理由に過ぎないことは重々承知している。けれど、動かし難い事実だ。




