1-20-2-5 理不尽な世界)狂わしくも麗しい人生
「各抽出意識への生存付与条件の転写開始」
半成体を含めた捕獲対象は67の内、無事に捕獲出来たのは66。当初捕獲対象に対して損耗率は2%なので、十分な結果と言える。
その残余66の内、意識抽出が成功したのは59。抽出数に対する損耗率は、11%。この拠点の擬態生産数10に対して、約6倍の抽出意識。何事も起きなければ十分過ぎる数。
好事魔多し。良い事が続けば、悪い事がやって来る。十分過ぎる数と思っていたが、生存付与条件の転写。一定期間で同族の血肉のいずれかを採取しなければ生存できないという条件を抽出意識に埋め込む時に、原因不明のエラーが、それも抽出意識も破壊してしまうエラーが頻発した。
その結果、余裕があると思っていた抽出意識の大部分が使用不可能になり、結局は、使える抽出意識は10。初期生産ロット数と同じ数しか残らなかった。
「従属種意識転写、再実行。エラー。再実行。エラー。再実行。エラー。緊急コード実行。エラー。緊急コード再実行。エラー。転写意識レベル低下」
残念ながら、悪い事が起きるときは、悪い事が連続する。異星の機械であろうと、それは変わらない。それが世の常というものだ。
調整体と同数しかなった抽出意識は、問題なく疑似脳髄への転写に成功したが、従属意識、母星種族への絶対服従意識の転写で問題が発生した。
全ての疑似脳髄が、母星種族への絶対服従意識の転写を拒むのだ。拒むだけではなく、緊急コードを用いて更に強制的に転写しようとしたところ、意識レベルが低下する個体も出てきた。
「疑似生体転写意識低下レベル危険値。疑似生体生成ユニット緊急開放。1号開放、2号エラー。3号開放、4号開放、5号エラー、6号開放、7号エラー、8号エラー、9号開放、10号エラー。2号、5号、7号、8号、10号再実行。エラー。再実行。2号開放、5号開放、7号開放、8号開放、10号開放」
意識レベルが下がり過ぎると転写意識が消滅、即ち死が訪れる。このままでは、折角、捕獲して抽出した意識が消滅してしまう。
だからと言って、絶対服従意識のない尖兵というのは、接触式信管の安全装置が解除された核爆弾を路上に放置する様なものだ。本来の健全なシステムであれば、どの様な結果になろうとも母星種族への絶対服従意識が刷り込まれていない尖兵は、処分されることはあれど、起動されることは無い。
正常であれば、絶対服従意識の転写に失敗した調整体は、転写された意識共々に処分される。生憎、船本体と同様に正常では無かった拠点ユニットの管理システムは、疑似脳髄の転写意識消滅前に調整体を緊急起動し、転写意識の消滅を回避する方法を躊躇なく実行した。
「2号、5号、7号、8号、10号転写意識レベル低下継続。転写意識バックアップを転写。エラー。転写機構に重大な不具合発生。2号、5号、7号、8号、10号転写意識消滅。2号、5項、7号、8号、10号疑似生体活動完全停止」
壁に並んだ筒状の生成ユニットの蓋が開く。ゆっくとした開き方に我慢できないとでも言う様に、開きつつある蓋とユニットの隙間から粘性の液体が噴き出し、足元の排水口に流れ込んでいく。
結局のところ、緊急起動は間に合ったとも、間に合わなかったとも言える。元より転写意識レベルが高い個体は緊急起動により転写意識は消滅しなかったが、転写意識レベルが低い個体は、転送意識の消滅を回避することは出来なかった。
「1号、3号、4号、6号、9号、意識レベル正常。拘束帯解除。完全開放」
水の中に居た様な感覚から目覚めた時、何かにもたれ掛かったまま、何かを吐き出していた。ただ妙な事に吐き出しているのに、何の息苦さも感じていなかった。
暫くして、寝起きの様に働いていなかった頭がはっきりしてくると、どうやら自分が全裸で、そして何か粘液みたいな物で全身が濡れているのに気づいた。
拭き取る取る布もないので、とりあえず体の粘液を手で拭っていると、ボソボソとした声が聞こえるのに気づいた。声のする方向に顔を向けてみれば、綺麗な女の人が私と同じ様に裸で、そして身体に付いた粘液を手で拭い払っていた。
粘液を拭いながら、周りを良く見まわしてみれば、私と同じ様に粘液を拭っている女の人以外にもうひとり女の人と、同じ様に端正な男の人がふたり、同じ様に粘液を拭っていた。彼等以外には、まだ気を失っているのだろうか、何人かの男女が筒の中で崩れる様に倒れて動かない。
大蜘蛛に襲われたのは覚えている。でも、なぜこんな場所で私は他の人達と同じ様に全裸で粘液塗れなのか、その理由は分からない。
はっきりしている事はある。私は此処の人達を知らない。けれど私はこの場所の部屋の配置や意味、見た事も触ったことも無い様な道具の使い方を知っている。
粘液を拭っている時に薄々は気づいてはいたけれど、ようやく体に力が入ってきたので立ち上がった時に確信した、今この瞬間も粘液を拭っているこの身体を私は知らない。少なくとも私の肌は、こんなに白くなかった。指先に至るまで、こんな玉の肌じゃなかった。自分で言うのも何だけど、慎ましかった胸が、美しい胸になっている。そして多分、背丈も高くなっている。
粘液をシャワーで洗い流したい。人は皆、同じことを考えるものなのだろう、又は軽い現実逃避だったのかもしれない。この粘液を洗い流すためにシャワーボックスに向かうと、奥のシャワーボックスに女の人が入っていくのが見えた。
手前の3つの入口を除いて全てが鏡張りの様になっているシャワーボックスの中には既に、女の人がひとりと男の人がふたり居た。みんな一様に、シャワーボックスの中で自分達の身体を弄っている。何も猥褻な事をしているんじゃない。自分達の身体を、ゆっくり確かめる様に触っている。
私より少し先にシャワーボックスの中に入った女の人のシャワーボックスの前を通り過ぎると、他の3人と同じ様に、鏡張りのシャワーボックスの中で、自分の身体を確かめる様に触っていた。
自分も同じ仕草をするのは分っていた。だから、鏡張りのシャワーボックスの中に映る自分の姿を見るのが怖くて、入るのを躊躇してしまった。
目を閉じて入る訳にもいかず、俯いて入っては見たものの、床も鏡の様になっていたので、無駄な足搔きだった。結局のところ、好奇心に負けた私はマジマジと自分の身体を見る事にした。鏡の中に、年の頃は17・8歳、色白で玉の肌、首から下には体毛が無いが、艶めかしくも均整の取れた肢体の女性が居た。
「あっ……あっ……」
シャワーを浴びていると、周りのシャワーボックスから呻き声とも、嗚咽ともとれる声が聞えて来た。何だろうと思いつつ、身体を洗い流していると電撃の様な衝撃が私の中を駆け巡った。
自分が今、どの様な存在になったのかを思い出した。元の身体の魂を移植した傀儡。人に非ざる存在。軽い怪我であれば、早回しの様に治癒してしまう。酷い怪我であっても、この拠点に戻れば完全治癒できる。寿命はこの拠点で定期的に保守を続ければ、何百年も何千年も生きる。
酷い事が起きるときは、それが連続する。傀儡に変えられただけでも十分なのに、私は心まで人に非ざる存在に変えられてしまったのかもしれない。
心の中に恐ろしい考えが浮かぶ、一定期間で人の血か肉を摂取しなければ死ぬ。今までなら吐き気を催す程の邪悪な行いなのに、それを渇望している私が居る。
血を啜りたい!啜れないのならば死肉でも良いから喰らいたい!心の奥底で、それでは悪鬼の類と同じだと分かっている。でも、もし目の前に贄や獲物を差し出されたら、私は、その者達の首すじに喰らいつく衝動をきっと抑えられない。
「う……あ、うあうあ……」
彼等は何処まで理不尽で残酷。もうお前は人に非ざる存在なのだと、目の前に居る魂の抜け殻が、逃げきれない現実を叩きつけてくる。
世間様に冷酷無常に理不尽をばら撒く存在に成り果てた私への罰だとでも言うのだろうか。罰ならば、私を悪鬼の類にした存在が負うべきではないのか。それとも単に自分の傀儡を甚振り楽しんでいるだけなのか。
私達が入っていた筒は全部で10本即ち、10人が目覚める予定だった。けれど生きていたのは私を含めた5人。残りの5人は筒の中で幸運にも死んでいた。幸運と不幸が逆ではと思うかもしれない。でも逆じゃない、煉獄の様な後の人生を考えれば、死んでしまっていた方が良かったと思う。
「あひひゃひゃ」
私達の目の前には、私達を傀儡にするために魂を抜かれた抜け殻が居る。目の焦点は合わず、涎を流しながら意味不明の声を出す、自分自身が居る。彼等はその抜け殻の血を啜り殺すか、殺して肉を喰らえと言う。
普通ならそんな事が出来る訳が無い。けれど血を渇望していた私達はそれを抑える事が出来なかった。気づけば私の瞳の色は緋色に変わり、先程まで普通の形だった歯が、血を啜り、肉を引き裂き喰らうに適した尖った歯に変化し、元自分の首すじに喰らいつき、血を啜っていた。
あの日私達は、自分自身の血を啜り、自分自身を殺した。あの日、人に非ざる存在としての狂わしくも麗しい人生を自らの意思で選んだ。




