1-20-2-2 理不尽な世界)大蜘蛛
弱肉強食。この世の掟。生存環境、生体組織の組成、何が異なり、何が同じでも、何処であろうと変わらない。弱いものは強いものに狩られ、その糧となる。
「川の水も、もう冷てぇなぁ……、少し遠くまで、来過ぎたかもな」
「それは、この鹿を仕留める前に言うべきことだな」
「馬鹿な話しをする前に、とっとと革剝ぎと、解体を済ませて移動するぞ。奴等が血の匂いに誘われてやって来ちまう」
「だな。ああ、内臓の一部は、夕食用に持って行く。見張りと、火の番を頼むぞ」
「あいよ」
人も獣も、短い秋が終わる前に冬支度を整え様と、大忙しだ。
日没前に鹿の解体を終わらせ様と、奮闘しているこの3人の猟師も御多分に漏れず、冬支度の為に村から離れた場所にある猟師小屋を拠点に狩を続けている。
急がなければならない。森は恵の場所であると共に、日中であっても人の命が簡単に奪い去らわれる場所。陽が暮れた後の森は、人が生き難い場所から、生き抜くのが困難な場所に、獣達の世界に変わる。
血の匂いに敏感な捕食者達がうろつく夜の森を、狩った獲物を持ちながら歩くなんてゾッとする未来しか想像出来ない。
群れている相手を襲うのは困難だが、僅かな間だけでも群れから離れたり、逸れたりする個体は居る。捕食者はその僅かな隙を見逃さない。
場所が変われば、常識も変わる。この惑星では、隙をみせれば捕食生物同士でも襲い、襲われる。捕食生物があたかも弱者の様に捕食生物も群れを作り、身を寄せ合わせ、助け合う。隙を見せてはいけない。周囲を警戒しないものは生き残れない。食物連鎖の頂点であろうと、弱っていれば、隙を見せれば捕食される。
獣達にとって、それはやり過ごし、身を潜ませ、逃げ去るべき対象だった。自分達の何倍もの大きさの淡く蒼く光る大蜘蛛、そんなものが何体も静寂に支配された森の中を、音も無く猟師小屋に向かって移動している。
「なぁ?今夜は遠吠えが聞こえないと思わないか?」
燻製小屋を併設した猟師小屋で留守番をしていた奴が気を利かせた小屋の外に焚火の灯りが無ければ、月夜とは言え、夜の闇が迫る森で猟師小屋を見つけるのは困難だったかもしれない。
慢心して、深追いをし過ぎるという在り得ない間違いを犯した。猟師小屋に無事に帰れたから良いものの、少しの間違いが、死を招くのが森だ。次に狩に行くときは、気を引き締めないといけない。そんな事を思っていた時、外に用を足しに行った奴が、小屋に入るなり変な事を言う。
しかし、言われてみれば、確かに遠吠えも、梟の鳴き声も聞こえない。くべた薪が爆ぜる音と、風の音しかしない。まぁ気のせいだろう。明日は恐らく荒れる。天候が悪くなるので、獣達も今夜は出てこないだけだろう。
昨夜も静かだったが、今朝もまだ森は静かだ。鳥の鳴き声すらしない。確かに晴れではないし、今にも雨が降りそうな黒雲に覆われているが、これは思った以上に早く天候が荒れる兆しに違いないと、薪の補充や、燻製の処理等を小屋の周りで行い、そろそろ飯でもと思った時に、奴等が現れた。
「なっ!何なんだよっ!あれはっ!」
「煩ぇっ!文句を言う暇ががあったら、走れ!」
薄曇りの今日は、見通しが悪くなる。小道があるとは言え、森の中なら尚更に見通しが悪い。俺達は今、淡い蒼い光を纏った大蜘蛛の魔物に追われている。見通しの悪い森の中を、魔物に追われ命がけで走っている。
獣ならまだいい、獣なら殺せるかもしれない。だが、俺は魔物の殺し方を知らない。だが追いつかれたら、俺達は死ぬだろうという事だけは分る。
「う・うぁぁぁぁっ!離せぇぇぇっ!うぐげぁっが!」
ああ……また、ひとり捕まっちまった。畜生、俺だけになっちまった。ああ……俺達に追われていた獲物は、こんな気分を味わっていたのか。こう言うのを、自業自得とか言うんだっけな。畜生……あの脚は避けられねぇ。
「対象3、捕獲時に右上腕部、骨格損傷。心拍数上昇中。鎮静剤投与。帰投開始」
「捕獲した標本は、対象生物の平均的な個体なのだろうか?」
生体標本は重要である。観察より、実物の検体を検分する方が理解を深め易い。これは真理だ。
問題は、捕獲した標本個体が、対象生物の平均的な個体だと言い切れない事だ。この種は、役割分担をしている節がある。ならば狩や、宿営地から遠く離れて移動する個体や、闘いに赴く個体は、特に優れた個体とも考えられる。または損耗し易い仕事は、下限値の個体が担うのかもしれない。
能力値を知るための生体標本、幅広く比較が行える纏まった数の生体標本、例えば小規模な群体の全てを生体標本として確保し、比較検討を行う必要がある。これは理論の帰結だ。
植生が乏しいとか、気候が厳しいからではなく、捕食、被捕食という意味で、この惑星の過酷な生存環境が理由なのかもれないが、この惑星の生物の反応速度は異様に早い。
対象生物は、昼行性の生物。夜行性の生物と異なり、夜目が効かない。更に夜の行動を控える性質がある。
闇夜に潜む彼等を狙う捕食生物を恐れて、夜空で輝く衛星が夜を薄く照らしていたとしても、夜に出歩くことは殆どない。今日の様な、三ケ月が早々に沈み、星空の淡い灯りだけの闇夜ならば尚更に出歩かない。
十分な準備をすれば、群体の全てを一気に捕獲する事は可能だ。
群体の集合地の外れ、地形的な理由で少しだけ集合地から突出した位置に、鬱蒼とした森の近くに、成体雄1、雌1、中間体雌1、幼体雄2の群体が、木材を主要な材料にした巣を住処にしている。
捕食生物に襲われる確率は、群れの中心から外縁部に近づくにつれて指数関数的に増加する。群れの外れに居る個体を狙う。これは、自然の摂理だ。
「... ......」
「.. ......」
人には聞えぬ声で、人に非ざる言葉を用い仲間同士で会話しているそれの姿を簡単に表せば、天から垂らした糸にぶら下がる脚を畳んだ状態の、艶消しの黒色の胴体に淡い蒼白の光を纏った人の2倍はあろうかという体長の大蜘蛛。
淡い蒼白の光を纏った大蜘蛛が、漂う様に森の中から現れ、群れの外れの巣を取り囲んだとしても、他の群体が気づくことはないし、邪魔もされない。
巣に襲い掛かった時に、巣の壊れる音や、獲物の悲鳴で少々騒々しくなろうとも、他の群体が騒ぎ出す前には全て捕獲し、離脱している。問題は無い。
「各ユニット正常稼働中。捕獲対象を確認。巣の内部に、成体雄1、雌1、中間体雌1、幼体雄2。予定捕獲数と一致。全捕獲対象休眠中。各ユニット襲撃発起位置まで移動を開始」
「中間体雌1排泄物処理中。巣上部の切除軸線外、捕獲に影響無し」
夏は、暑いし蚊も居るので嫌な部分もあるけれど、家族と抱き合って凍える寒さに耐えて寝るより良い。朝起きたら、弟達のどちらかが寒さで死んでいたらどうしようと思うより良い。
夜中に厠に行く時も凍えないで良いのは楽。だけど夏の夜は、真夜中に獣と出会う事がある。私は狸や狐、蝙蝠程度しか出会ったことはないけれど、極稀に熊や狼が人里に降りて来ることもあるらしい。
獣も怖いけれど、妖も怖い。最近は鬼火を見なくなったけれど、大蜘蛛が居るらしい。身の丈が、人の二回りも三回りも、大きい蜘蛛らしい。そんな物に出会ったら、私なんて直ぐに喰われて終わる。
馬鹿な事を考えていたら、怖くなってきた。早く用足しを終えて寝床に戻ろう。
「うぎゃぁぁsぁぁ!」
炭火に水が掛かった時の様な、ジャッ!という音がしたと思ったら。屋根が消えて、何匹もの大蜘蛛が、動転してしまって危険を知らせる声を上げる事も出来ない私の目の前で、寝床の母ちゃん達に襲い掛かっている。
悲鳴を上げる母ちゃん達を何本もの脚で抱え込む様にして、大蜘蛛が母ちゃん達を攫っている。
「なんじゃぁ?! ぐがぉぎゃっ!」
父ちゃんが変な声を出しながら、連れ去らていった。此処に居る私なんてどうでも良いとばかりに、全く無視されている。
うううん。無視なんかされていない。だって真横に気配があるもの。横を見ては駄目なのに、体が、首が勝手に動いて横を見ようとしている。
ああ……脚を、何本もの脚を広げた大蜘蛛が居る。喰われるんだったら、ひと思いが良いなぁ……。苦しいのや痛いのは嫌だなぁ……。今度生まれ変わったら、腹いっぱい飯が食えると良いなぁ。
月のない暗い星空の下、真夜中に上がった悲鳴に驚き駆け付けた村人の前には、切り取らた屋根と壁の一部を燻ぶらせる荒ら屋しかなかった。




