1-20-2-1 理不尽な世界)鬼火
子供の頃、世界は輝きに満ちていた。性差、年齢層、仲間内の序列、社会階層、大人になるにつれて世界は不公平で成り立ち、理不尽がまかり通り、欲望が渦を巻く場所だと思い知らされる。
身勝手に命を奪っていく理不尽の権化の私が言っても真実味の欠片もないが、死だけは万人に平等に訪れる。
暗順応したとしても、眼下の街灯りで薄く灯される窓辺は薄暗く、窓から離れれば仄暗く、部屋の奥は人の眼では闇になる。私には関係ないけれど。
「ざsでrftいこlp!!」
この世には極悪人と、良識の有る存在と信じているその他大勢の悪人しか居ない。善人が居るのは御伽噺の中だけ。現実の世界は身勝手な悪人が幅を利かせる。優しさに付け込んで利用しようとしてくる輩ばかり。
貴方の常識は、貴方以外にとっては非常識。こんな終わり方は嫌だと、目を見開き、悲鳴を上げても誰にもその声は届かない。必死に藻掻いても、非力な貴方は私を振り解けない。だって、私は貴方にとっての非常識なんだから。
悪行に手を染めてでも昇りつめ、見下ろしていた世界より更に下の地獄に堕とされる気分は、どんな気分なのかしら?
非常識としか言い様のないARISと言う存在は、良くも悪くも私の生き方に大きな影響を与えた。
幾年が経とうとも老いない私を、周囲がARISの完全調整体だと誤解してくれるなら、その誤解を訂正する必要性は感じない。むしろ誤解してくれていてありがとうと言いたい。これは良い事。
ARISではない私が、老いない。何時かARISは、その事に気づくだろう。気づかれたら、私は目出度く似非一般人から、人類に仇を為す怪物として討伐対象にクラスチェンジ。何ともありがたい話し。
彼等は、私の言い訳なんて聞いてくれないだろう。どんな屑であろうとも、人は人。彼等のルール、社会の常識を踏みにじり、私は身勝手なルールで数え切れないほどの人を殺めてきた。社会の害悪である私を、生きるのに飽いたと嘆きながら、無様に生にしがみ付いている私を許すわけがない。
これは世間様には良い事。自業自得だけれど、私には悪い事。
別に清廉潔白だったと言うつもりはない。人である限り自分勝手、身勝手ではあったと思う。それは否定しない。けれど、元からここまで非常識な存在、人とは言えない存在だった訳じゃない。
比喩的な表現ではなく、事実として、私は人じゃない。私は数百年以上を老いる事もなく生きている。物の怪の類等と言われても差し支えない程に非常識な存在。その生き残り、それが私。
元から物の怪として生まれた訳じゃない。元々は、何処にでもあるような寒村の農民の子として、武士や、野盗達に狙われる立場の弱者としてこの世に産まれた。
数百年前、あの得体の知れない何かに、身勝手に不条理を撒き散らす非常識な存在に変えられるまで、私達は人だった。仮に貴方が私を誅する立場になったとしても、それだけば覚えておいて欲しい。
彼、いや彼女?ここは便宜上、彼としておこう。星明りの中に浮かぶ長さ25km、直系5kmの漆黒の何の面白味も無い円筒形の深宇宙探査船、それが彼。
遥か昔、気が遠くなる様な長期間の他の生命体を見つける為の探査航行航中でも、機器・補給品の製造や補修を自己完結で行える深宇宙探査船として、彼等は母星から四方八方に放たれた。
放たれた理由は、決して友好的な目的ではなく、その対極にある侵略の為。従属種として支配可能な未開種族を発見し、その一部を従属種支配の為の尖兵に改造し、事前支配構造を確立する。全く以って身勝手な彼の創造主種族達の目的を達成するため、彼は造られた。
母星から目的地の銀河系外環まで順風満帆だった彼の旅路は、外環に到着後にワープ駆動機関が停止。更には自己補修機構のプログラム欠損で、ワープ駆動機関の修理が出来ず、亜光速移動しか出来なくなった。
ワープ駆動機関の暴走で行方不明、他の恒星間航行種族に拿捕されないために自爆、自己補修機構の暴走で船体崩壊等の他の仲間達と比べれば幸運だと言える。
とは言え、彼の旅路が実りある物であったかと言うと、そこまで世の中は甘くない。ハビタブルゾーンに惑星があるからといって生命が、または従属種に適した高等生物が存在する訳では無い。
生きている何かすら見えない厚い雲の下には、連なる岩山しかない惑星。晴れ渡る空の下には、生命の欠片も無い乾ききった大地が広がる惑星。鬱蒼とした森林や野山が広がるが、小動物や昆虫の類しか居ない惑星。
彼の担当区域が悪いのかもしれないが、惑星をどれだけ綿密に調査しても徒労に終わる。彼に感情と言う物があれば、心が折れてしまう程の挫折を何度も味わいながら、長い旅路の果てに、この恒星系に辿り着いた。
だが彼は満身創痍だった。如何に自己補修機構を持つからと言え、無限に活動出来る訳ではない。補修箇所が余りに多く、活動に影響を与えない軽微な損傷は放置され、また構造体の歪みは早々に補正出来る域を越えていた。
次の恒星系に旅立てるかが微妙な状態。設備に不安があるから、手抜きをするつもりではない。急いては事をし損ずる。今までの旅路を考えれば、少し時間が増えた所でどうという事はない。
彼はじっくりと腰を落ち着かせて、漸くにこの恒星系の第3惑星で見つけた従属種に適した生命体、母星の種族同様の酸素呼吸系2足歩行の原生生物を、じっくりと観察する事にした。
彼等は、惑星上で覇者となり低度文明を築いていたが、呆れる程に攻撃的だった。彼が彼等を観測している期間は、彼が第3惑星の衛星の裏側に佇み始めてから1年程度でしかないが、その短い期間ですら彼等はこの惑星上の何処かで止むことなく同族同士、又は亜種を相手に殺し合いを繰り広げていた。
殺し合いを繰り広げながらも彼等の個体数は5億を越えており、尖兵に改造する素体は選り取り見取り、とはいかなかった。
どれが種族の本流なのかは、現状ではデータが不足していて判断が付かないが、気候や地域制で体形や容姿も異なれば、巣の形状、素材も異なる。多数の亜種に分岐しており且つ、言語形態まで異なっていた。
幸いにも、現在の文明程度から急激に発展する可能性は低い。だから、時間は十分に有る。彼は、焦らずに、ゆっくりと確実に尖兵の候補を絞り込むことにした。
尤も絞り込まれる側、被支配者側から見れば、迷惑千万でしかないが、被支配者側の事情や感情等というものは、彼の感知するところではなかった。
「フェーズ0開始。観察ユニット輸送ボッドの軌道上への展開完了。薄暮地域より順次降下開始」
雄だけが闘う種族、雄も雌も闘う種族、他に従属する事しか知らない種族。体格、文明の発展度、攻撃性、性質、どの種族を選んだとしても一長一短。
弱小種族を尖兵に改造しても意味がない。大陸の端にある大きな内海のある地域の森林側と砂漠側、その場所と大陸を挟んで反対側と、弧状列島に、先ずは各々の種族を至近で観察しするための観察ユニットを投入する事とした。
監察ユニットは言語解析ユニットも兼ねている。原生種の言語の解析等は、どうせ支配するのだから不要なのではないか。母星種族の言葉を、初めから刷り込んでしまった方が簡単だと思うかもしれない。だが、それは間違いというものだ。
低度文明とは言え、彼等は既に文化も言語も獲得している。言語は大事だ。言語があるからこそ意思疎通が出来る。文化も生まれる。言語の派生があったとしても、同じ生存環境を背景にし発生し、分岐してきた言語であれば、理解が出来るし、心にも響く。
母星種族の言語と彼等の言語は、異なる生存環境を背景に発展してきている。母星種族の言葉で、彼等の深層心理に、母星種族や尖兵達に対する畏怖の念を抱かせるのは無理だ。
将来の支配において、それが、抵抗が無意味という絶望感として刷り込まれている結果にせよ、被支配種族が従順であるのは重要だ。
母星種族に抵抗する機運を初めから折っておくためにも、彼等の言語で、彼等の深層心理に恐怖と絶望を沁み込ませる必要がある。だから、時間がかかったとしても、言語解析は確実に行わなければならない。
「観察ユニット起動。起動成功率98%。起動完了群から順次投下開始」
光学迷彩で隠しきれない重力フィールドの蒼白い微かな輝きを伴いながら、世界中にばら撒かれた観察ユニットが、各々に割り当てられた原生生物の巣に向けて動きだした。
「おい……。また鬼火が見えるぞ」
この辺りは、昼夜関係なく鬼火が見える。今日みたいな、どんよりとした曇りの日は、薄く蒼い鬼火が良く見える。
昔はそれは立派だったと聞く都も、今では戦や、流行病で多くの人が死に、荒れ果てていると聞く。恐らく、さっき見えた鬼火も成仏が出来ずに彷徨い歩いた魂が、こんな都から遥か離れた所まで迷い込んでしまったのだろう。それか、最近この辺りの戦で死んだ者達の魂かもしれない。
誰かが言うには晴れの日も、目を凝らせば居ると言う。何も好き好んで、無念の塊の鬼火なんて、見つけなくても良いだろうに。
「目を向けるな!付いてくるぞ?!祟られるぞ?!」
「つ・ついて来るなぁ!」
「話しかけるな!与作の時みたいに、家までついて来るぞ!」
余りじっくり見てはいけない。話しかけるなんて、もっての外。何時だったか与作が、自分に近づいてくる鬼火に肝を冷やして、話しかけてしまった。話しかけると鬼火が止まったので、その隙をついて、脇目も振らずに家に逃げ帰った。
その時は、何処かに去ったと思っていたら、いつの間にかの家の中に居ついていて大騒ぎになった。もうあんなことは御免だ。
支配する者達、尖兵達の疑似生体の容姿は、重要だ。幼体や、老体等は誰も崇めない。成体の一番脂の乗った年齢層が良い。
言語解析による彼等の会話から推測するに、彼等の現在の寿命は、惑星上の地域で若干の差があるにせよ40年程度。あれだけ同族同士の戦を繰り広げ、そして衛生状態や栄養状態も良くない割りには、長いとも言える。
支配層の美醜も重要だ。とは言え、神懸かった美麗さは要らない。ある程度の耳目を集める程度の美麗さで十分だ。
将来を見越して、今の環境による寿命とは違い、本来の原生生物の生命力としての寿命を見極めなければならない。また反応速度等も、彼等の殺し合いの観察である程度は判明しているが、これも本来の原生生物の能力としての反応速度を見極めなければならない。
寿命も、反応速度も観測だけでは推定でしかなく、限界がある。生体標本を基に見極める必要がある。
幸か不幸か、群れから外れて、昼なお暗い森の中、峻険な山並みを行動する個体や少数の群体はこと欠かない。捕食生物だらけのこの惑星では、居なくなったとしても不思議に思われない。




