1-19-7 敵は誰
地上では見られない姿形や、薄青く蛍光する植物がちらほらと茂る湖畔。
水の中で光が乱反射して仄かな灯りが増幅された湖面が、周囲から浮き上がる様に幻想的な姿を見せる。
ファンタジー映画の一場面を切り取ったかの様な場所。
「景色だけを見る分には綺麗な場所だよ、ここは」
「ええ、嫁と夜の散歩をしたいくらいには、綺麗です」
「弟や、妹達に見せてあげたい景色ではあります」
「「「奴等が出てこなければ」」」
この場所の嫌いな所は、幻想的に仄かに輝く湖、そのほとんどが奴等の住処ということ。
この場所の良いところは、自分達以外は敵だと単純明快なこと。
単に強行軍で降り続けた疲れを癒すためなのか、それとも心が折れたからなのか、昨日と同じ場所でまだ野営している。
野営するくらいなら、上に戻るという発想はないのか?
薄暮がやってきた、2日目の夜が来る。
「あまり水辺に近づくな。引きずり込まれて一巻の終わりだぞ?」
この場所の水深は、岸から数メートルまでは腰程度、それを過ぎると一気に奈落の底に落ち込むように深くなる。
ゆっくり見てみ見れば、奈落の底が見えるかもしれないが、腰まで水につかった状態で、奴等が潜んでいるかもしれない底を覗きこむなんて自殺行為そのものだ。
特急列車で、この世からおさらばなんていう、そんな未来は戴けない。
「居眠りしていやがった、だぁ?!」
危機意識が剥落している集団は怖い。自分達だけが危機に陥ってくれるならまだしも、必ず周囲を巻き込む。この場合、周囲ってのは俺達の事だ。洒落にもなりゃしない。
何か変な気がして、大隊本部を見いかせてみれば、途中、居眠りしている見張りが多数いたと。
曰く、昨夜の薄暮の時間に休憩をとれなかったので、今は許可を得て、休憩している。回廊に居る部隊が、警戒しているから大丈夫と言われたと。
馬鹿なのか?馬鹿だな。此処をどこだと思っているんだ?こっちはさっきから、首の後ろがピリピリしてるっていうのに。
「小隊長。何か来ます。本部は此方の警戒に耳を貸しません」
「もう、本部は良いさ。ところで、何か来るんだね?」
「何か来ます。勘ですが」」
「分かった。あの側坑に移動する準備は?」
「それは、抜かりなく」
小隊長が、やたらと冷静だ。こりゃぁ、本当に何か禄でもないのが、やって来るぞ。
「タケシ。小隊の奴等に準備しろって、伝えてこい」
最初は水の音だったか?それとも大隊本部の方から聞こえた悲鳴だったのか?気づけば大隊本部の咆哮からは、発砲音に爆発音そして、奴等の咆哮と誰かの悲鳴が聞こえてくる。
「誰か!いぎゃっ」
だから岸辺に近づくなって言ったろう!またひとり、水の中に引きずり込まれて消えちまった。
『本部に集結!本部に集結!外周部隊は本部に集結しろ!』
「岸辺に何個か、手榴弾を掘りこめ!奴等を陸に上げるな!」
何やら、本部が助けに来いと叫んでいるが、無理を言われても困る。こちらも、タイミングを合わせた様な奴等の襲撃を受け、本部側同様にそれどころじゃない。自分達が生き残るだけで精一杯だ。
「こち……第……中隊、良く聞こえない。ほ…んぶ!良く聞こ…」
すまんな、無線の調子が悪くて返事もマトモにできない状態でね。
ええい、畜生!小川から、何匹ものトカゲモドキが這いあがって来る。何匹居やがる?キリがないぞ、これは!
「キャス!戻れ!」
「軍曹。側坑へ後退するぞ!」
「野郎共!側坑に移動だ!動け!動け!動け!周りに注意しろ!側坑へ急げ!」
「ヘンリク!トムソン!急げ!早くこっちに来い!」
「2分隊ヘンリクとトムソンを援護!奴等を2人に近づけさせるな!」
「アネッサ!コーディ!側坑の安全を確認!行け!」
「糞!後から逃げてくる奴が邪魔で、トラップを起動できない!」
うちが逃げ込み始めると、目端の利く奴等も同じように側坑に逃げてきた。そこまでは、予想の範囲内だったんだが、なし崩し的にうちの小隊が、殿になるのは想定外だった。
「畜生!後ろで何回も手榴弾投げるんじゃねぇよっ!危ないだろうが!」
側坑に繋がる別の側坑から、奴等やVOAが現れるたびに、先行する部隊の奴等がパニックになって、弾をばらまく、手榴弾が乱れ飛ぶ。少し離れた、殿で良かったかもしれない。
「グレネード!」
「脚がぁ!脚がぁぎゃぁ! 誰がっ!だれっ……」
「撃て!誰かあいつを撃て!喰われる前に撃ってやれ!」
「もうダメだ!こっちの側坑に逃げるぞ!」
「行け!行け!その側坑に逃げろ!」
馬鹿やろう!そっちは虫が死ぬほどいる坑道だ!……って、行っちまったか。何で自分から地獄に飛び込む?
「ヘンリク、ほっとけ。俺達が生きて還る事が優先だ」
「軍曹、後ろの本道の安全確認!ヘンリク!前側を崩落させるぞ!トラップ起動準備!」
「了解!アディ!小隊長を護衛しろ! トムソン来い!退路を確認するぞ」
「勝手に先に走るな!側坑本道と言ったって単独で動くと狩られるぞ!」
エネルギーパックの残数が減るのに比例して、余裕を無くす奴が増えそして、狩られ、消えていく奴が増えていく。
何度注意しても、弾切れ寸前になって、余裕のなくなった奴等が我先に地上を目指し本道を走って行く。
「そっちに行くな!そっちは本道じゃない!」
「う・うるさい!こっちの方が近道なんだ!お前ら俺達がここを過ぎてから、コッチに逃げるつもりだろう!だからそんなに落ち着いているんだろう!?そうはいくか!俺が先に逃げてやる!」
勝手に邪推して、側坑の方が近道だと言い張り、何人もが別の側坑に消えていった。俺達が余裕がある様に見えるのは、エネルギーパックを規定量以上に持っているからだ。そもそも、規定量以上に弾薬食料を確保するのは、下士官の務めだろうに?お前の部隊の下士官は何をやっていたんだ?
後ろを何度も人為的に崩落させて、奴等の送り狼を防ぎつつ、1層へ出られる場所にやっと来たが、この濃密な血の匂いはなんだ?
「あの先が1層中ほどに出るはずです。後少しです」
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ!
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ!
なんだ、この軽い音は?何の音だあれは?
「エネルギー弾?」
「そうかぁ?エネルギー弾の音はどちらかというと、ジャッ!って感じゃねぇか?」
「タケシ!エイダを連れて安全確認!見るだけだぞ!危ないと分かったら直ぐに逃げてこい」
ここまで来て、誰かが還れなかったなんてのは、御免被る。何が何でも全員で、地上に戻ってやる。
「軍曹、最後の小休止をする。全員軽く何か食って、水を必ず飲ませろ」
最初の頃は血の匂いで真っ青になっていたのに、今じゃ血の匂いのする中で平気で飲食しろときますか?小隊長、此処に入る前と今じゃ、別人ですねぇ?いや、良い顔になりましたな。
アディ?何を当然の様な顔をして、小隊長の横で周辺警戒しているわけだ?まぁ良いけどな?親鳥か何かかお前は?
「なんじゃぁ……。ありゃぁ……」
「あんなの、ありかよ」
「国の偉いさん達が、敵対しないのを祈るばかりだよ」
側坑から出て、眺め渡した1層は赤と黒の世界だった。殆ど原形を留めていない何かの血肉で赤黒くなった地面にVOAが蠢いて居た。
正直、この瞬間に全員で生きて還る事を諦めかけた。誰かが死ぬ、誰かがあの血肉の仲間入りになるのだと諦めた。
うちの小隊の奴等は、見かけはどうかとして家族に仕送りをしている奴等や、妻子持ちも居る。どうやら、死ぬのは独身貴族の務めかと、還る夢は叶わないのかと諦めかけた時、彼が現れた。
軽い射撃音を出しながら、ほんの10人程度のARISが現れあっという間にVOAを駆逐していった。
いとも簡単に、まるでゲームの様に。機械の様にVOAを射線に捉え、撃ち倒し一掃してしまった。
そのあと、血肉を踏むグチャグチャと言う音さえなければ、出口までは奴等もVOAも現れず、遠足のようなものだった。
「なんかあったんか?」
「いや、写真が落ちてた」
「写真?」
「あ……なんだな、赤ん坊抱いた女の写真だから、誰か落としたんじゃないか?」
「仕方ねぇなぁ、ここに張り付けとけば良いんじゃね?」
「だな、ってそろそろ出発だな、曹長が周りを見まわし始めたぜ」
「さてさて、行きますかね」
「倒した数によって、報奨金が出るらしいけど、何体倒せるか楽しみだな」
「だよなぁ!報奨金で何買うかな?」
疲れ切って、ボロボロの俺達を訝し気に見ながら、次の部隊、迷宮に入っていく部隊の奴等が前を通り過ぎて行く。夢を語りながら歩いていく。
やぁ、君達。下は地獄だぞ?頑張れよ?
そういえば、ARISが、船団や設備の警備部門要員を募集していたな、実戦経験があると優遇されると言うし、募集するか。少なくともうちは同盟国だ、排除されることは無いだろう。
迷宮が最悪なのは、中は奴等やVOAの世界であること。
迷宮の良いところは、迷宮の出入り口さえ抑えておけば、奴等やVOAが地上を溢れ出るのを抑え込めること。
「小隊長、出てこられた全員分の離任用の揚陸艇を確保出来ました。台湾……行ですね、これは」
「軍曹、申し訳ないが、うちの小隊は輸送部隊の後だ」
「輸送とうちが最後で、一番大きな揚陸艇にしてあります。他の奴等はそれより前に、他の揚陸艇に分散させて移動させています」
「話が早くて、助かる。ああっと皆の食事は……ああ、タケシが既に手に入れて配ってるか」
ふむ。チャウダーか。迷宮から命からがら出てきて、最初に飲むスープが白色のチャウダーなのは合格だな。それ以外、例えば、赤色のミネストローネだったら……、吐く奴等が大量発生して阿鼻叫喚だったろうな。
「ああ、食べながらで良いんだけどな、嫌な話を小耳にはさんでね」
この場所が嫌いなのは、同盟・非同盟の関係がいつ崩れるか分からないこと、いつ自分達以外、友人の様な態度で近づいてきた非同盟諸国が、襲い掛かってくるか分からないこと。
人はVOAよりも恐ろしい。
「この国の軍隊、人民解放軍が嫌に増強されているらしいんだ。まぁ、離任する私達には関係のない話だけどね」




