1-19-6 逃げ道
VOAが人を殺すために罠を張り巡らせた場所、それが迷宮だと言う奴等が居る。そう言いたくなる気持ちも、分からない訳じゃない。
迷宮の中と地上で、無線連絡は出来ない。流石に1階層目に入って直ぐなら通信もできる。しかし、少し奥にはいると、途端に通信不能となる。色々調べたらしいが、原因は分からないまま。
トランスポンダを設置すると、通話は可能になる。だが、設置したトランスポンダは、何処からともなく現れたVOAに破壊される。
無線通信用は破壊されるのに、バイタルシグナル用のトランスポンダ単独だと破壊されない。
無線用とバイタルシグナル用は、殆ど同じなのに、なぜかバイタルシグナル用のだけは破壊されない。理由は分からない。
だから噂がでてくる。俺達を地下深くに誘い込むため、わざとバイタルシグナル用のトランスポンダを破壊していない。
例えるなら、VOAは狙撃兵だ。狙撃された仲間を助けようとした者を狙撃し、その新たに撃たれた仲間助けようとする別の者を狙撃し、被害を拡大させていく様な優秀な狙撃兵。
そんな噂が、まことしやかに囁かれる。それを否定出来る様な、理路整然とした反論を私は知らない。
嵐の様な襲撃が終わり、回廊の中に、安否の確認や衛生兵を呼ぶ声が響いている。誰かがすすり泣く声は、負傷しているからだろうか?それとも仲間を失ったからだろうか?
「死んでない!まだ生きている!」
諦めろ、もう手遅れだと言われても、諦めきれないのだろう。仲間の胸を押さえながら、去ろうとする衛生兵を必死に引き留めようとしている者が居る。
「心臓の辺りで、背中まで突き抜ける大穴が開いている。殆ど即死だ。せめてもの慰めだな」
「……そんなっ!一緒に帰るって!一緒に帰るって約束したんだ!約束をしたんだ!」
気持ちは分からないでもないけれど、現実と言うのは厳しい。ARISと違って、この体だけしかない俺達は、死ねば終わりだ。
と言っても、死に戻るのも結構メンタルに来るものがあるらしいが。それでも、死んでしまって、はい、終わり。それよりは何万倍も良いだろうよ。
「早くこの、袋に入れろ。血の匂いで、奴等を呼び寄せる。奴等は死体も攫っていくぞ?友達の死体を持って行かれたくないだろう?」
普通なら、認識票だけ毟り取って、死体は簡易埋葬する。けれど、ここでそれはしない。可能な限り持って帰る。どんな影響があるか分からないからだ。もっともそれも、死体の絶対数が少ないから出来るだけ。
死体が残るだけ、ここでは十分にマシな方だ。殆どは、側坑の中や、此処ならば水の中に引きずり込まれて消えていく。バイタルシグナルが消え、戦死判定される。
滝の前の広場に繋がる2つの川に挟まれたこの回廊は、200m程度の幅がある。幅がある筈だが、深い方の川側の方は、虫やら、蜥蜴みたいな物の死骸だらけで足元が最悪だ。
目を見開き、表情を無くした幽鬼達が、徘徊している。
他の部隊にとって、この中は少し危険な場所。油断したら死者は出るが、油断していなければ、そこまでは危険な場所じゃなかった。
「おうぇっ!うげっ」
ああ……腕か脚だけが見つかったのか。遺体があって良かったじゃないか。殿で、送り狼を追い払い、途中からは先頭で奴等を追い払う、そんなことばかりをしてきた我々とは、感覚が違うのだろう。
ふむ……。犠牲者は出していないが、うちの小隊は何か大事なものを無くしてしまったのかもしれないな。
しかし、この死骸の数……。どれだけの数で襲って来たのか?
兎も角、また奴等が来る前に、死骸を片づけておかないと。ああ、やってられない。早く地上に還りたい。
僅かな時間で大量のバイタルシグナルが消え、今頃、地上は大騒ぎだろう。騒ぐだけで、助けなんて来やしないだろうけどな。
「……する。いや、コッチも助かる」
下士官仲間と情報交換していた軍曹が戻ってきたが、厳めしい顔が、さらに怖くなっているな。こりゃぁ、結構な数が殺られたなぁ。
「小隊は、全員無事です。他の部隊が、20人程度やられたみたいです。バイタルシグナルを外している馬鹿も多いので、正確な人数はわかりません」
疲れた顔に呆れ顔を混ぜ、報告してくる軍曹の気持ちは理解できる。唯一、仲間や地上に自分の生存を知らせることが出来るシグナルを外すなんて、自殺願望でもあるのか?それとも大馬鹿なのか?
「うちの奴等は、暑くても着けていますが、戦死と、重傷者の殆どは、暑いからといって、アーマーを外していたみたいですな」
ああ、大馬鹿者ばっかりだったか。付き合いきれないなぁ……。何でまたそんな馬鹿なことをするのか?
「馬鹿の考えは理解できませんから、想像しても無駄と思いますよ?」
呆れてしまった顔が知らずうちに出てしまっていたのか、先に言われてしまったけれど、そりゃごもっとも、馬鹿だから馬鹿な行動を取る。
それはさておき、この回廊に散らばる死骸の掃除が先か……。やれやれ、死骸になっても邪魔してくれるとは、敵ながら天晴と誉めるべきなのか?
ああ……薄暮が始まる。
黒灰の雨雲が空の全てを覆ったまま午後の遅い時間帯になった様な、陰鬱で薄暗い時間がまたやってきた。
ああ……この場所に集結して1日が経ったということなのか。長いと言うべきか、短いと言うべきか。
撤退を考えるべきだろうが、上は聞く耳を持たないだろう。決めるべきことが出来ないまま、ずるずると引き延ばし、そして犠牲者が増えていく。
スペース的な問題で、滝の前の広場に居られるのは、大隊本部と一部の部隊だけ。その他の大多数の部隊は、回廊に居る。
大隊長の覚えも麗しい我が小隊は、回廊の一番湖に近い場所。所謂、殿という奴だ。もっとも私達は、殿で討死なんてする気はさらさらありはしない。
大隊本部で何かの論議がされているが見えるが、どうせ何も決まらない。安全な場所に居る自分達の状況を変える様な、そんな果断な決定を出す訳がない。
ここでは、空気の流れはあるが風音はしないし、鳥の鳴き声も、虫の鳴き声もない。虫が居ない訳じゃないが、鳴き声を出すような可愛いサイズの虫は居ない。最小で大型犬程度の大きさの肉食の奴等なら居る。
湖に流れ込む小川の細流、湖畔に打ち付ける波音。自分の、誰かの息遣いや、身動ぎしたときの音。途切れ途切れに漏れ聞こえる、誰かの会話。
それ以外の音は、狼、蜥蜴そして虫の動く音。此方に奴等が迫って来ている音。
薄暗いこの場所で、視界や、物音に頼るのは危険過ぎる。大事なのは、何かおかしい、何か変だと思う自分の勘。
静かな場所だが、余りに静かな戦場は、碌でもない事が起きる前兆。それが世の理。
何かがこちらを窺っている、そんな感じがする。首の後ろが、ピリピリする。背筋がゾワゾワする。
ヒュッという口笛の音がした方向を見れば、タケシが川を見つめながら左手を上げている。何匹来たんだか……。
「良く狙え、逃がすなよ?」
やっと薄暮が終わる。大山鳴動して鼠一匹。あの後は、1匹も来なかった。体が重い。疲れが取れない。このままでは拙い。疲れは注意散漫の原因になる。この場所で注意散漫になるのは、死と同じだ。
とは言え、上に還るための逃げ道は遥か彼方だ。
上への通路は、位置的には広場に食い込んだ湖の一部、底がはっきりと見えない深い亀裂の向こう側、湖の外周を丁度半周した所にある。今の状況では、遥か彼方にあるのと同じだ。
亀裂は30~40mの幅しかないが、泳いで渡るのは自殺行為だ。水の底に引きずり込まれて、この世から退場する羽目になる。
何人かは助かるじゃないか?全くもって、正しい意見だ。虫か蜥蜴の腹の中に入らなかったら、という前提条件が無ければだが。
じゃぁ、湖の外周を移動すればよい?至極ごもっともなご意見だ。いつ何時、虫や蜥蜴が湖から飛び出てくるか分からないこの状況を無視すればだが。
上に戻れる道に到着する前に、大隊の半分以上は水漬く屍、虫か蜥蜴の胃袋の中になってしまうだろう。
「軍曹。ちょっと良いかい?この薄暗い世界からとっとと還る方法を確認したいんだがね」
嘘は言っていない。聞かれなかったから、言っていない。だから嘘を言っていない。それが大人の世界の常識。
一度報告したことは、何度も繰り返さない。記録を取らない奴が悪い、忘れてしまった奴、記憶の自己管理が出来なかった奴が悪い。
これが、大人の世界の鉄則。
義理には義理で、裏切りには裏切りで。これも大人の世界。
情けは人の為ならず。情けをかければ、自分にその情けが戻ってくるという意味だが、今回の場合、我々に情けをかけた輸送部隊がそれにあたる。
今居る場所は、湖に一番近い碌でも無い場所だが、上に戻れる場所に一番近い場所でもある。それを知っているのは、うちの小隊を含めて極一部だけ。
「小隊長、ヘンリク達が戻ってきます」
浅い小川の向こうまで偵察に行っていた部下が、戻ってきた。向こう側に行くときは大荷物を背負っていたが、今は身軽な格好。どこをどう見ても、普通のパトロール帰りの格好にしか見えない。
「設置、終わりました。本部にはばれていません。輸送部隊には連絡済です。合図とともに逃げ込めます」
湖に続く回廊の最後の辺り、浅い小川の向こう側に少し行くと、緩やかな崖が始まる。その崖を数メートル登ると、側坑の入り口がある。上層階に繋がっている、側坑の入り口がある。
他の部隊にばれない様に、退路の安全確保に行っていたのだ。今まで散々虚仮にしてくれていた、他の部隊など助ける義理はないからな。
「他の部隊の奴等が、付いてきた場合はどうします?」
「別にどうもしないよ。付いてくるなら別にそのままさ。但し、待ちもしないけどね。あくまでも、小隊と輸送部隊が上に還るのが優先だよ。私の手は、そんなに長くないからね」




