1-19-4 水辺
話順の並べ替です
声を潜め、憤りを混ぜながら話してくれた先任から聞いた大隊の状況は、碌なものじゃなかった。
「目を開き、耳を澄ませておけ。あいつ等は出世しか考えてない。俺達を捨て駒にしか思ってない、狂ってやがる」
出世欲に塗れた大隊長とその取り巻き達に苦言を述べたり、止めようとしたりする人間は、うちの小隊長の様に遠ざけられる。大隊長とその取り巻き士官共の暴走を止められる人間が居ない。
出世欲に塗れた馬鹿共のお陰で、全員、地獄へご招待とならなければ良いけどな。ただでさえ地獄に降りているのに、洒落にもなりゃしない。
上が馬鹿者揃いのところに、今回派兵された下士官を除いた、士官と兵の3割が新兵に近いときたもんだ。そりゃ、あんな苦り切った顔にもなる。
「あいつ等は、見通しの良さとか、戦場の雰囲気を全く理解しようとしないのか、馬鹿なのか……」
水場は近いが、側坑だらけ、柱だらけで見通しが悪く、襲ってくれと言わんばかりのこんな場所で野営?!正気の沙汰じゃない。
新人の奴等は、休憩が出来るだけで喜び、休憩前も、休憩中も警戒が疎かになっている。
こりゃあ、何か何処かが崩れたら、一気に戦線が崩れるな。隊に戻ったら、フレンドリーファイアに気を付ける様に、もう一度言っておかないと。
「お前のところの小隊長は、良いな。良い臆病者だ」
そうだろう?そうだろとも。うちの小隊長は、ちょいと自信がなさすぎるのが玉に瑕だが、下士官や兵の忠告を聞き入れる度量がある。
「死にたくないなら、下士官や兵の言うことを聞けと、実戦経験のある親父や、祖父に言われてねぇ」と恥ずかしそうに言い訳していたが、聞き入れる度量があるだけで俺達下士官や兵にとっては、ありがたい。
「臆病なのは、死にたくないからだよ。何しろ私は弱いからね?君達が居ないと、直ぐに戦死だ。だから君達に勝手に戦死されると、凄く困るんだ」とも言い訳していた。ああ、何て良い言い訳だろう。俺達下士官や兵にとって、その言い訳はどんな金銀財宝よりもありがたい。この小隊長は、俺達と生きて帰ることしか考えてない。そう思えるだけで、ありがたい。
それに比べて、先任に聞いた大隊長やその取り巻き士官共と言ったら……。いやいや、あんな馬鹿共と比較したら小隊長に失礼ってもんだ。ところで、うちの小隊の奴等は……どこ行きやがった?
「小隊長!軍曹!こっちです。ちょっと離れたところなんで、案内します」
また、こんな離れた場所にとも思ったが、他の小隊から適度に離れた、こんな場所をよく確保できたな、こいつら。
んで、テントは出してねぇな。ちゃんと空気読んで、壁を背中に半円状に、警戒ラインまで引いてやがる。
「壁に擬態しているのは居ません、確認済です」
「あ、軍曹、他の小隊の奴等ヤバイですよ。食い物の匂いさせまくりです。馬鹿なんですかね、あいつらは?」
「昨日、うちらが肉焼いていましたからね、今日は自分達って思っているんでしょう」
「馬鹿じゃないの?昨日と今日じゃ、全然雰囲気違うでしょうに!昨日より今日のこの場所の方が、やばい雰囲気あるでしょうに!」
「VOAが居ないもんで、気でも抜けておるんだろうよ。その点、うちは、小隊長を筆頭にみんなが臆病者だからな、安全だ」
「ですね。臆病じゃない上やら、仲間が居ると命が幾つあっても足りゃしない。ああ、あと水飲めます。小隊長と軍曹、水筒かしてください水を入れておきますから」
「ああ、ありがとう。ついでに帰りがけにあちらこちらで雑談でもして何か変なことが起きていないか聞いておいて欲しい。よろしく頼むね」
「了解です」
「ところで、今夜の楽しい夕飯は何だろうか?」
「少尉?それを聞きますか?聞きたいですか?」
「小隊長これ、すみませんね、今日は携行保存食だけです。肉は、無しです。流石に、ここは雰囲気がやばすぎます」
「ありがとう。仕方ないさ。今日は肉の匂いさせる訳いかないし。携行保存食はこのタイプの方が多く持ってこれらるからね」
「ですね。何があるかわからないから、多めに携行させています。他の部隊と比較しても、余裕あります」
食べ物の匂いは、捕食者を呼び寄せる。それはどこであろうと同じだ。
料理をするなとは言わない。携行保存食だけだと飽きるのも理解できる。ただし、時と場合を考えろと言いたい。
こんな危ない匂いがする場所で、盛大に食い物の匂いをまき散らす様に食事をする馬鹿達の傍なんて、危なくて居られない。
挙句にあいつら、警戒ラインも作っちゃいねぇ。文句を言うにも、厄介者の男女の寄せ集めの小隊の言うことなんて、聞きゃしないだろうな。
「飯食ったら、仮眠しろ!立哨の順番は知っているな?」
「靴は脱ぐな!背嚢にもたれて休め!銃を傍から離すな!」
「あー、小用の時とかは、手すきの者とペアで行動する様に、男女云々はあきらめろー」
「変な趣味の扉を開けてしまいそうなんですが?小隊長~」
「誰だあ?今のは?変な扉じゃなくて地獄の扉開けてやろうかぁ?」
「軍曹が言うと冗談に聞こえない……」
「少尉?何か仰いましたか? おらぁっ!お前ら早く飯食って、寝ろ!」
「小隊長、軍曹。水筒です。ところで、ヤバイです。あの湖に何か居ます」
水汲みの帰り、あちらこちらで雑談をしつつ、湖の水辺で確認した後、序でに近場の丘の様な場所から、湖の確認も行った奴等が、泡を喰った様に戻ってきた。
「でかい魚の群れでも居たか?」
「美味しく食べられそうな、魚の様なのも見えました。まぁ、この場所なので、怪しいですけど。で、それを狩っているのが居たんですよ」
「鮫みたいなのが居たのか?」
「それは、美味しく食べられる方です。私等が見たのは、どう見ても、こちらを水の外でも美味しく食べようとしてくるシルエットに見えました」
「小隊長?」
「無理だろう。特にあの隊、水辺に設営しているあの馬鹿達が、言うことを聞くとは思えない。あの場所は、風景だけを見れば幻想的で、絶景だからね」
絶景なのは認める。湖底の光を乱反射させた湖水が、湖を怪しく光らせるさまは幻想的だ。場所が場所なら、リゾートと言ってもいい。地獄の様な洞窟の中にある、天国の様な場所だ。
そんな場所を、警戒感の欠片もない、我々を小馬鹿にしている奴等が確保している。動くわけがない。
それどころか、忠告や助言は逆効果にしかならないだろう。
自分達が確保した絶景の場所を、我々が横取りしたい。だから、嘘を言って自分達を除かせようとしている。そう邪推して、意地でも動かないだろう。
「水浴びしている馬鹿が見えるね」
「ええ、愚か者なのか、よほど根性が座っているのか、どっちでしょうかね?」
「まぁ、この温度だし、薄暮になる前に水浴びをしたい気持ちも分からないではない、けれど軽率ではある。うちの小隊には、水浴びは諦めてもらうしかないね」
馬鹿は馬鹿なりに、一応は男女別に布で仕切ってはいる。だけど気にするのはそこじゃないだろう?何で水辺の直ぐ近くにテントを張る?何が居るか分からない湖の直ぐ傍で、寝ようとする?
「先ほどの、報告通りとするなら、湖には何か居ると想像できます。命が惜しいなら水浴びは諦めろと、徹底しておきます」
「それが良いだろうね。ところで水の中の何かだけど、夜行性というか薄暮性じゃないことを祈りたいよ」
ああ……畜生。走り回る奴等に、壁や天井に擬態に、今度は水の中から御登場かよ、気が休まる暇もない。
薄暮性か……、外の世界で言う夜行性みたいなもんだが、あり得るな。
「見張りのシフトを倍にしておきます」
「その方が、良いだろうねぇ……。はぁ……、早く地上に帰りたいねぇ、太陽いや、太陽じゃなくても、月とか星空を見たいねぇ」
畜生、薄暮が始まりやがる。
ああ、妙に静かだ。ただでさえ薄暮で見通しが悪いのに、この妙な雰囲気は……。何か見られている様な、この嫌な雰囲気は、何か来るな。
全員を起こす用意をするべきか?と思ったら、ほとんどの奴等が起き始めてやがる。まだ寝ている奴等は……、先に起きた奴等が起こしてやがる。
何てこった。起こされた方も、文句を言いつつ起きると思えば、音を立てない様に、黙って起きて、直ぐに周囲の状況を確認してやがる。
何が、役立たずの臆病者の士官様が率いる、厄介者の下士官と兵隊の塊なものか。生存本能の異常に高い、頼もしい仲間達じゃないか。
「少尉?」
「ああ、みんなは?」
「すでに起きて、準備を始めています」
「ちゃんと、休んだんだろうね?」
「目を閉じて、横になるだけでもさせましたんで。そういう少尉は?」
「ああ、何処かの鬼より怖い軍曹が教えてくれた通りに、寝れなくても目だけは閉じて休むようにしていたからね」
「それは、それは。士官様に意見をするなんて、恐ろしい軍曹が居たものですな」
「ところで、嫌な空気だね。最悪、とっとと逃げ戻ろうと思うんだけどね?」
「と、おっしゃるかと思いましてね。全員装備を装着再確認済です」
「それは、それは、流石、鬼軍曹、実戦経験が豊富で助かるよ」
「少尉、失礼します。装備の確認をしますので、動かないで下さい」
「ああ、すまないねアディ」
何が、要領が悪くて、臆病者の役立たずなもんか。うちの小隊長は、トラブルになればなるほど、冷静沈着、生きて帰ることを優先する。
兵にとっちゃぁ神様みたいな士官なんだが、出世しか考えてない奴等には分からんよなぁ。
「軍曹。あの隊の野営している側の湖面の光が、妙に揺らいで見えます」




