1-16-5 (1-21-11) じゃぁね
振り返ってはいけない。もう此処には戻れない。戻らないと決めた場所を懐かしんでどうする?
太陽の陽って、こんなにも輝いて見えるんだ。もうこれで見納めと思うと、余計に美しく見える。
頬を撫でる微風は、こんなにも心地が良いんだ。もし装甲服を着用していなかったら、異星の風もこんんな風に心地良く感じられるのかな?
何て女々しくて、馬鹿らしい事を考えているのだろう私は。因果応報、自業自得。今迄が、私の身には過ぎた幸せだっただけ。
何年も前におまじないで幸せになり、そして今、おまじないを自分で消して立ち去る。それだけの事。
「じゃあ、そろそろ出かけるね」
思い返せば、私の過ぎた幸せの始まりは、社会人になってからの貴方と出会いだったのだと思う。
高校1年生の大惨事を経て、私は誰とも付き合いもせず、デートもせず大学時代を過ごし、社会人になった。寂しい人生だ?ほっとけ。
このままでは流石に拙いと思い、社会人になって何とかしようと思うものの、毎日仕事に追われ、機会を求めて週末の飲み会に参加しても、平均より上ではあるけれど最上級ではない、そんな容姿の私が早々に良い相手を見けられる訳がない。
その焦りを見透かされ、そこに付け込まれたのかもしれない。暫くして同期と付き合い始めたのだが、新たな大惨事を呼び込んだだけだった。私には学習能力が無かったらしい。また二股かをかけられたのだ。
私にも落ち度はあった。理由は分からないけれど、手を握ろうとすると妙に緊張するし、体が近くに来ると嫌悪感を覚え、意識的に距離と取ったのは認める。愛情の眼差しではなく、観察する様に見ていたこともあったのは認める。だからと言ってデート2回目の段階で浮気、それも同僚と朝帰りは無いよね?
確かに相手は私より大人の雰囲気だよ。私が童顔なのも認めるけど、それは生まれつきでどうしようもない。どうしろと?整形でもしろと言うのだろうか?
人は見た目でコロっと行く。妖艶な、又は精悍な異性に出会うと、愛情等よりも欲望に忠実に生きてしまうのが人と言う存在だと、再び学んだ。
恋愛への諦めだけが強く残った私は、仮想世界に逃げ込んだ。単なる一時的な現実逃避が、更なる大惨事を呼び込んだ。
大勢の仲間達と同じ様に、空の遥か彼方に見える宇宙船によってもたらされたARIS化が、私の人生の道筋を捻じ曲げてしまった。
キャラの容姿を自撮り写真を用いて生成していた私は、確かに方向性が可愛い方に大きく偏りはしたが、元の面影を少し残していた。だからなのか、それとも妙に達観というか、冷静なところがあると言われる私の性格が理由なのか、当時の私は大きな動揺を覚えなかった。全く途方に暮れなかったとは言わない。とは言え、他の仲間達より早く現実を受けれ、人生を楽しみ始めた。
捻じ曲げられた新しい人生で、私は過去の経験を存分に生かすことにした。度重なる相手の浮気による破綻は、私に知識を与えてくれた。
人は微笑みに弱い。微笑んでいる相手の容姿が良ければ尚更に弱い。感情を伴わない見かけだけの優しい笑顔に、人はいとも簡単に篭絡される。
篭絡と言っても、私は仕事上で円滑な会話の為に使っただけ。流石に、人を弄びながら笑える元恋人達の様な下種には成り下がれなかった。
「よぉ?終わりか?遅れたけれど飲み会行こうぜ」
代わり映えのしない日々が続いていく。仕事に追われ、待ちに待った週末は友人達と飲食に出かける。普通の独身者の生活。
同じような毎日が続く。確かにあの日の前と、今では少しだけ人生は変わってしまったけれど、受け入れてしまえばそれほど悪いものでもない。
敢えて言えば、夜道が少し怖い。ARISとなった今、そこらの暴漢程度なら、撃退出来る自信はある。けれど怖い。何故だかわからないけれど。
会社を出て駅までの夜道を歩いている時に、いきなり横にスモークガラスの大型ワンボックスが停まると心臓が止まりそうになる。自意識過剰なのは分かっているけど、なぜだか怖い。
昼食時に、その事を愚痴ってから?あいつが一緒に駅まで帰宅するようになったのは?恋人みたい?ふざけないで欲しい。あいつは同期で、男時代からの友人。それ以上の関係になるわけがない。
「絶対、遊び人だって!じゃなければあんなに短期間で別れないもの!」
「大体、本当に人間かも怪しいよね」
お嬢さん方、トイレで人の噂話をするのは良いのですが、私が個室に居るんですけどね?ああ、わざとですか、そうですか。
妬み僻みは恐ろしいというけれど、本当だね。いつもの飲み会にきてみれば、これだ。彼女達が狙っていたあいつが、私と一緒に現れ、共に隅に座ったのが余程お気に召さないらしい。
知らないよ!って思い切り罵倒したいけど、余計に誹謗中傷されるだけ。それに人間かどうか怪しいという部分は、的外れとは言えない。
「何か用?」
彼女達がトイレから出て行ったのを見計らってから席に戻ろうとしたものの、何もかも嫌になって途中の廊下でしゃがみ込んでいたら、あいつが現れた。
「まぁ、気にするな。俺はお前の傍に居てやるから」
「はぁ?!何を恋人みたいな事を言ってるんだか……。あんたこそ、グループ企業の御曹司なんだから、玉の輿狙いの女に押し倒されて、既成事実を作られない様に注意しな」
「荒れてるなぁ」
「荒れてねぇよっ!」
何だこいつは。何でそんな、どうしようもない奴だなみたいな感じで見下ろされないといけないんだ?
何時からだろう、こいつを同期の男友達じゃなくて、同期の女性とみる様になってしまったのは。
何故だろう。壁にもたれかかる様にしゃがみ込んで、怒った顔なのに、泣きそうな目で此方を見上げるこいつを抱きしめたいと思うのは。
「仕方無いなぁ、落ち着くおまじないをしてやるよ。とりあえず目を閉じて」
「はぁ?何で目を閉じないといけないわけ?」
ああもう、面倒な奴だな。強制的に手で目を隠すか。
いきなり目を閉じろと言われたので、当然拒否した。そうすると、いきなり私の前にしゃがみ込んだこいつは、しゃがんだままの私の頭を壁に押し付ける様にして、右手で私の目を覆ってきた。何をするんだこいつは。
「だから落ち着けって。暴れるな。今から、気持ちが落ち着くおまじないをしてやるから」
おまじないってなんだよ?!あんた呪術師だっけ?それとも祈祷師?意味不明の呪文叫びながら踊るん?
ん?何か近づいてくる?え?何?え?!え?!唇に触れているのは何?!何をしてんの?!お前、何してくれてんの?!
ああ、一線を越えてしまった。でもこれで良いんだ。
確かにこいつは、最初は男だった。けれど今は女性になっている。だから俺がこいつを女性として見ている事に問題はない。
何よりもこいつを守ろうと決めた。だからこれで良いんだ。
ところで、目を真ん丸にして、しゃがんだまま此方を見上げフリーズしているのを、どうにかしないといけないな。
おい、席に戻るぞ?おい?って駄目だなこれは。もう手を引っ張って連れて行くしかないな。手を繋いで戻る?ああ、これは何とも良い手だ。こいつは俺の彼女だと周りに宣言できるじゃないか。
「ちょっと!どういう事!?いつから!?何で?!」
人は本当に驚くと記憶が飛ぶ、今の私の様に。
合コン中にトイレに行って、そこから記憶が無くなりそして、この席に戻って来ている。どうやって戻って来たのだろう?この人達は何を騒いでいるのだろう?
「ねぇ?!聞いているの?!どういう事?!」
何がどうい事なんだろう?
その前に、何でこいつは私の手を握ったまま隣に座っているの?
そういえば、何であんな事を!?もしかして馬鹿?元男って知ってるよね?!
うん、少し気づいてはいた。あなたの目を見て話す事が怖くなかった。瞳の中に嘘がなかったから。あなたの横に居ても嫌悪感を覚えたなかった。あなたから邪な匂いを感じなかったから。
私みたいな壊れた人間は、貴方の傍に居てはいけない。そう自分に言い聞かせていた。だから、やっと繋がった貴方と離れたくない。握られた手を放したくない。
手を繋いだのは、貴方の一瞬の気の迷い。どうせ一瞬の夢。でも一瞬であっても醒めないで欲しい。もう、冷静な独り身を演じるのは嫌、誰かの傍に居たい。
「申し訳ないけれど、今日から長距離護衛任務で2カ月ほど家を空けるから、子供達をよろしくね」
「ああ、分っている気をつけてな」
「あれ?ママ出かけるの今日からだっけ?」
「そうなの、今日から。パパの言う事ちゃんと聞いてね」
壁に押し付けられた頃、人が自分に向ける好意には必ず裏があると思い知らされていた私は、好意を向けられている自分自身を第三者視点で眺め、愛情表現はするものの、心からの愛情を出さない様にして自分を守っていた。
私は人を愛することも愛されることも諦めていた。そんな、愛する、愛されるという感情を忘れてしまった私と、よくもまぁ付き合い続け、結婚までしてくれるとは、本当に貴方は変わった人。
紆余曲折はあったけれど、あれよあれよと結婚、気付けば3人の子持ち。あの日、貴方に壁に押し付けたられた事で私は救われた。
ありがとう。だから今度は私が恩返しをする番。貴方は怒るかもしれない、下手なやり方かもしれないけれど、ごめんね、これが不器用な私の恩返し。
「ありがとう」
「何だ?藪から棒に?」
「……ん。何でもない」
私には過ぎた幸せだった。3人の子供に恵まれた、普通の家族としての生活を味わえた。そりゃぁ任務で不在になる場合もあるので、普通の人達とは違う生活だったけれども幸せだった。
私が居ない間の子供達の世話やら何やらを、一手に引き受けてくれいてた夫には感謝しきれない。
本来、私は産まれつき子供が持てない体だった。完全調整体のARISとなり、子供を持てる体となったとはいえ、私は紛い物でしかなかった。
私が紛い物と知っているのに、特異な経歴の私に浴びせられる嘲りの視線に負けず私と結婚し、支えてくれた夫には、言葉で表せない程に感謝している。
だからこそ、私は行かなければならない。このまま家族と一緒に生きていく事は出来ない。
人の紛い物である私達桜マークは、加齢が止まっている。不老不死?永遠の若さ?何て羨ましい?馬鹿を言われも困る。
初めは気づかない。暫くは、若く見られて嬉しさを覚える。時間がもう少し経つと違和感を覚える様になる。
更に時間が経つと、子供と変わらぬ年代層で止まっている自分に気づいてしまう。子供が自分より老いた姿に成っていく未来に気づいてしまう。
時の牢獄に囚われた自分が子供を看取る未来に気づき、絶望に叩き堕とされる。
家族も耐えられないと思う。老いない家族を、例え、人の紛い物と分かっていたとしても、それを見続けながら生活することに耐えられる筈がない。
「瀬野が長距離探査任務に志願したって」
「え?!瀬野は家族持ちでしょうに?!」
「耐えられなくなったって言ってたよ……」
変わらぬ自分と、変わる家族。時間が進むに従い、家族との時間軸の違いは顕著になっていく。
最近は、何かしら言い訳をしては任務ばかり行い、家族の元に戻らない桜マーク達が増えてきていると聞いている。
まるで死に急ぐ様に、危険な任務への志願者が増えていると聞く。その気持ちは、分かり過ぎる程、分かる。
ならばそれを利用して公式には存在しない裏部隊を作ろうとなるまで、長くは掛からなかった。
もはや避け得る事は不可避なスレクラ戦を利用した、桜マークの失踪計画「ゴースト」はこうして生まれた。
「ゴーストに志願します」
いち度志願したら、公的に存在が消えたら地球圏には数十年以上、下手をすれば100年近くは戻って来られない。
けれど、将来家族に地獄を味わさせるよりはマシ。だから私は死なければならない。公的な存在を消し去らなければならない。
紛い物の私に過ぎた幸せをくれた家族を守るため、私は消えなければならない。将来家族を苦しませる訳にはいかない。苦しむのは私一人で十分。
ごめんね、本当にごめんね。
「じゃぁ、そろそろ行くね」
もう、戻れない。
「あれ?今日はサングラスしていくの?珍しいね」
「おいおい、どうした?」
「うん、昨日調整してもらったのが強くなりすぎて、涙も止まらないのよ」
「早く、再調整してもらわないと」
「わかってる。今日してもらうから」
「あれ?もう行くの?」
「ん。ちょっと早く行かないといけないから。貴女達、夜更かしをし過ぎない様にね?あと、くれぐれも世間様に迷惑を掛けない様にね?」
もう、還れない。滲んだ視界に映る見送りの姿を目に焼き付けよう。もう二度と会えない家族の姿を心に刻み込もう。
ARISになった後、周囲の人間が、興味本位や打算で近づいて来る中、以前同様の友人関係で居てくれたのは貴方だけでした。
性別が変わってしまい途方に暮れていた私を、欲情ではなく、友情で支えてくれたのは貴方でした。
もっともその後に、何を間違ったのかは知らないけれど、人の紛い物の私と結婚までして子供まで作ってしまった粗忽者ですけれど、私には過ぎた夫でした。
少しばかり騒がしい3姉妹の相手をひとりでするのは大変かもしれないけれど、子供達をお願いします。
中学生の末っ子は少し難しい時期かもしれないけれど、お願いします。
戦闘中行方不明の通知を貰ったら、とっとと私は死んだと思って諦めて、そして忘れるんだよ。
早く私を忘れて再婚するんだよ?私が居なくなった後も、ずっと独り身なんて許さないからね?
我儘な私で本当にごめんなさい。本当に……、今まで本当にありがとう。
じゃぁね。




