1-16-4 柔らかな唇
「中身は大丈夫なんですが、こりゃ駄目ですねぇ。薬が切れて途中で確実に目を覚ましますね」
「それは駄目だね。仕方ない、分子分解処理を選択する」
「了解。分子分解処理シーケンス開始します」
あれだけ苦労して、最後は分子分解処理。ああ本当に嫌になる。分子分解処理をするのだったら最初から爆撃でもして、吹き飛ばした方が早かったったろうに。
現物を見なければ分からないじゃないかって?言いたいことは分かる。けどねぇ、無駄仕事をさせられた私達にそれを言う?
新人なんて座り込んじゃってるんだけどね?これ明日から使い物にならなくなってても知らんよ?
まぁこの世界、ARIS の世界は意地でも使い物にされるから、頑張れ新人!としか言えないけどね。
さてさて、骨折り損のくたびれ儲けとはこの事だよ。やれやれ……とっとと撤収しますか。
「ん?どうした?」
「外の班から連絡です。人が集まってきていると。えー、あー、送致者達ですねこれは」
「攻撃的?」
「いえ、攻撃的ではない模様です」
「そう……ギリギリまで丁寧に扱って。但し纏わりつこうとしたら、射殺を躊躇しない様に」
安全装置を解除して定められた手順を踏まなければならない分子分解処理は、どんなに急いでも30分はかかる。
終わる事にはVOAの活動活発時間になり、撤収が命懸けになるのに、更に、下手をすればこの地域の奴等に加えて送致者達もパーティに参加だなんて、最悪だ、悪夢だ。
この地域の奴等は全てがそうだとは言わないけれど、VOAが活性化すると此方がVOAの対処を優先するのを知っていて、VOAの活性時間帯になると隙を見て襲ってくる。
自分達もVOAに襲われるリスクがあるのに、此方を襲撃してくる。
我々の武器が欲しいとか、装甲服を装着したら、回収ポイントに行けて、この地域から脱出出来るかもしれないと思っているんだろうとは思う。
搭乗前の最終チェックではねられるから無理なんだけどね。でも、そう信じている人達に何を言っても無駄だしね。結局のところ躊躇なく実力行使しかなくなる。
躊躇なく実力行使……ね、昔の自分が見れば慄く程に変わってしまったな。
「おい、何で私達の救助を優先しないんだ!」
嗚呼……鬱陶しい。もう撃って良いかなぁ?
分子分解処理を確認した後、最上階から地上に降りる間に盛大に開催された大殺戮パーティ2部終えて、地上に到着。
さぁ今から大殺戮パーティ第3部だ!と思っていたら、珍しくこの地域の奴等は居らず、送致者の集団だけだった。
やってられない……まだ現地人の暴徒の欲望全開の行動の方が理解出来る。
私のフェイスプレートに投影されているのは、蒼い骸骨ではなくて私の自顔。それも優しく微笑みながら、意識的に柔らかい抑揚で話しかける私が映っている。
御しやすいとでも思っているのか、恫喝すれば日和るとでも思っているのか、舐めているのか。
埋め込みチップの情報によると……ふむふむ昔は一部上場の部長職だったけれど、母船乗船から排除されてそれに激高してARIS になった社員にパワハラ?!
うわぁ……所謂転職の時に「部長やってました」と言うけど、やってた仕事内容が言えない馬鹿だこれ……。このおじさんは、私を舐めているんだと思う。優しく対応して損した……。
「おい!聞いているのか!だから若いやつとか女は!」
ああ、本気で撃とうかなこいつ……。
「この人達を、要救助対象者として回収しませんか?」
何故、新人には一定数の馬鹿が混じるんだろう?優しいからこんなことを言うんだって?馬鹿を言ってもらっては困る。本当に優しい人ならこんな事は言わない。
というか、君、結構メンタル強いな。さっきまで死んでなかったか?
本当に優しい人は、現実の残酷さを承知している。優しいからこそ、優しさの欠片すら見せない様にする。
下手に優しくして相手に期待させるだけさせたのに、結局何もしてあげられなかったら、それこそ残酷だ。
「……」
「何を!笑っているんだ!聞いているのか!と言っているんだ!」
笑顔の下には悪魔が居る。私だって何時も優しくしてあげたい。けれども現実は残酷。何もしない事が、最大の優しさの時がある。
新人は理解してくれないだろうな。新人同士や友人達との飲み会で、冷酷無常の桜マークが居てとか言いながら貶すんだろうなぁ
でも君達も半年もすれば、私の行動を理解する様になるよ。君達の中に潜んでいる悪魔の囁きに抗えなくなるから。
「この人達を……」
「本部。貨物の分子分解処理を完了。繰り返す、貨物の分子分解処理を完了。今より撤収を開始する」
「え?!でも、あの……この人達は?」
うん。君は未だ夢の世界の人なんだね。早く此方側に来ないと、心が壊れるよ?
「人?何処に人が居るの?あなた頭、大丈夫?」
「え?! で・でもっ!」
「撤収準備!5分後に回収ポイントに移動を開始する!周囲警戒!」
「あ・あの!」
「纏わりつこうとする者は排除せよ!排除にあたって射殺を躊躇するな。繰り返す。排除にあたって射殺を躊躇するな」
君が人だという者達は、封鎖地域に追放された無国籍者達。自分の考えに固執し、それを他人に強要しようとし、それに反対されると暴動紛いの行いをした革命家気取りの馬鹿者達。
彼等の理念を叶えて上げるために、国費とARIS の費用で、この地に移住した者達。あれ程までに、彼等が忌避していた場所からこの地に連れて来てあげた私達は、感謝こそされ、批判される筋合いは無いと思う。
同情する気は欠片も無い。彼等は我々の生存を脅かしたのだ、自業自得だ。
「おい!聞いているのか!?私達を連れて帰れと言っているんだ!」
纏わりつこうとしているこいつ等は、母国に害を為すとして追放された者達。
自分の思想信条が絶対であり、反論するものは差別主義者と糾弾する反社会的思想者、組織に与えられた職位と権力を自分の力と誤解し、誰もが自分を敬うと勘違いした馬鹿者達。
人類がこの弱肉強食の銀河で生存していくにあたって、獅子身中の虫にしかならないと判断された者達。
自分達の思想信条のためには平気で人類の敵対勢力と内通するであろう、未来の裏切り者達。
被害者ビジネスの首魁に見せられた甘い汁に踊らされ、蜥蜴の尻尾切りの如く使い捨てにされた社会の寄生虫達
何故、ごみ塵屑以下の君達を我々が気にしないといけないのだ?
「撤収!撤収!撤収!」
ARIS になった時、人生が変わった。単純に優しい人を演じ続けられる贅沢な時間は消え去り、本当に優しい人を演じるしかなくなった。
私は、何処で、道を間違えてしまったのだろう?
今更、自分が如何にも可哀そうな人間の様に自問自答しても無意味だよね。あの時に薄々感づいてはいた。ただで得られる特権なんてあるわけがないと。
「そこの新人!動け!動け!動け!」
私は人で居たい。理性を持った人で居たい。本能のみで生きる原生生物には成りたくない。だから本当に優しい人を演じる。言い訳だ?そんなのは分かってる。言い訳くらいしても良いじゃないか。
「で・でもっ!あの人達が!?」
「新人!動くか、装甲服と武装を回収され、生身で此処に残されるか!どちらかを5秒以内に選べ!」
新人の向こう側で、何かが喚いている気がするけれど、どうでも良い。私には関係の無い者達だ。彼等は何があろうと封鎖地域から出られない。
連れて行って貰えると思わせる方が残酷だ。だから私は演じる。本当に優しい人を演じて、連れ還るそぶりすら見せない。
「動け!動け!動け!この地域は、大型種の出没情報が出ている!新人達には荷が重過ぎる!VOAが完全に活性化する前に、此処を出るぞ!動け!動け!動け!」
動き出した私達に、オリジナル達は反応速度で追随出来ない。連れ還ってくれない事に気づき、慌てて伸ばした手が空を掴む。
廃墟の何処に潜んでいたのか、何人もの者達が縋りつこうと手を伸ばす。蒼い死神に手を伸ばす。
「纏わりついてくる者には射殺を躊躇するな!纏わりついてくる者には射殺を躊躇するな!撤収!撤収!撤収!」
纏わり付こうとして撃たれ、着弾の衝撃で跳ね飛ばされ、地面を転がっていく物が視界の隅に見える。今では人扱いされない、かつて人だった物が見える。
何て屑みたいな世界なんだろう、現実の世界というのは。
ああ、家族とかにこんな楽しい事はやらせる訳にはいかないな。天国に行く資格のない私達にピッタリな仕事を他人に渡す訳にはいかない。
「新人!離れるな!動け!動け!動け!VOAが来るぞ!動け!動け!動け!」
廃墟の中を蒼い死神が駆け抜ける。死を巻き散らしながら駆け抜ける。
薄暮の中を、一般人の知人達が知らない蒼い死神になった私が駆け抜ける。
好きで死神になっているわけじゃない。私だって普通の人間なのだ。例え人の紛い物であっても人として生きているんだ。
愛情ある生活の記憶があるから、私はまだ人なんだ。死神なんかじゃない。私に愛情をくれる人が居るんだ。私には愛情を与える人が居るんだ。
帰ったら、この死神は封印するんだ。家族には絶対に見せないんだ。私は普通になるんだ。普通の人に戻るんだ。
「おまじないをしてあげるよ」
壁にもたれかかる様にしゃがみ込み、荒れた目で見上げ返した私の目を、そう言って塞いだ手の温もりを覚えている。そして唇にふれた優しい唇の感触を今でも覚えている。
早く帰りたい、こんな地獄から帰りたい。




