1-13-5-7 手を繋いで
あなたと手を繋ぐ未来を夢見てた。
「綺麗な夜景だねぇ」
「おいおい、高所恐怖症じゃなかったか?大丈夫か?」
薄暗いラウンジで夜景を眺めるお前の横顔、頬をついた横顔が少し寂しそう見えるのは何故だろうな?
「大丈夫!ここまで高いと、もうどうでも良くなるから!」
楽しい想い出は、作っておきたいじゃない?
ねぇ?何故、今日の貴方の声は優しく聞こえるの?
現実は、残酷。過去も、現実も、未来も、いつもいつも、いつだって残酷。
貧富の差に基づく階級格差、教育機会の不平等、それが現実、世界の常識。外国よりあからさまじゃないだけで、のほほんとしたこの国にだって階層格差は在る。
富裕層は富裕層で、中流は中流で、そして下層は下層同士で、人は生まれた階層から抜け出せない。
いつか白馬の王子様がと思う気持ちは分からないでもないけど、化かし合いや遊びを除いて、階層違いのまともな深い付き合いなんてのは稀。
例え万にひとつの可能性で本当で、そして本人たちが良くても周りが許さない。それが現実。御伽噺は、夢の話だから御伽噺って言うの。
「あのね、話しておくことがあるの」
彼の家族は行動を起こし、全てではないだろうが彼は聞いている筈。だからこそ、私の口から言わなければならない。それが礼儀だし、お互いに踏ん切りは早いに越したことはないもの。
天涯孤独の何処の馬の骨とも分からぬ私と、彼が住む世界は違う。煌びやかな富裕層が、私のような人間と交わるなんて在り得ない。
資産が目当てで近づいたとか思われていたのかな?少し悲しい気持ちになるけど、それが現実。彼の家族は気が気じゃなかったろうな。
私は大丈夫、今までもひとりで頑張ってきた。だからひとりには慣れている。少し楽しい想い出が作れたと思えば何ともない。
頑張れ私。大丈夫、何ともない。こんなの簡単に耐えられる。
「奇遇だな、俺もあるんだ」
綾香の言う話とは、あの話の事だろう。
こいつは、他人が自分に向ける警戒感に対しては、勘が良いを通り越して、一瞬で察知する。
あの日、うちの家族が見せた警戒感。暫く続いた窺う様な視線と雰囲気。
こいつが、気付かない筈がない。うちの家族がこいつを調べている事も気づいたに違いない。
気づかれたとして、気付いたとして、どうとなる訳でもない。事実は、事実として調査され、報告され、決断される。
大企業グループ創業者一族の跡取り息子で、独身。そんな俺、いや資産を狙いの魑魅魍魎が俺の周りを跳梁跋扈する。
リスクは炙り出され、そして排除される。それがどんなに仲が良い様に見えていたとしても、それがどんなに長い付き合いであっても。
「そうなんだ……」
話とは、そうい事なんだろうな……。
この楽しい時間ともお別れかぁ……
「ああ、先にそっちからで良いよ」
なぁ綾香、何故だ?何故言わなかった?
いつも以上に視線を合わせない様にしながら、時々探る様に此方を見ている。俺がどう思っているのかを必死に読み取ろうとしている。
お前は何に気づき、何を言おうとしているんだ?
薄暗いラウンジのお陰で、お互いに目の中が見え難いが、俺が何を思っているのかを悟られないのは良い事かもしれない。
なぁ綾香?何故お前はそんなにも哀しそうな顔に見えるんだ?薄暗いラウンジの光の加減なのか?
「あ……、話の前に、今日……此処に連れて来てくれてありがとう」
「おう、いきなりなんだ。気持ち悪い奴だな」
経歴調査で分かるのは背景情報だけ、その人と成りは分からない。排除対象か否かを見極めるには、直接見て話しをして観察しなければ分からない。
うちの家に立ち寄らせている度に、こいつが見極められていたの気づいてたが、俺は何も言わなかった。越えなければならない壁だからだ。
階層差の出会いなんて大抵は、狐と狸の化かし合い。贅沢な生活を夢見て擦り寄って来る奴ばかり。現実は残酷だ、壁を乗り越えられる奴なんて滅多に居ない。
ずるずると先延ばし続けている俺は最低だ。もう潮時だ。
「私さ、大学1年からひとり暮らしというか、天涯孤独。あげくに中2からしか記憶がな……」
「ちょっと待て!」
家族の調査で天涯孤独は知っていたが、最近そうなったのかと思っていた。葬式に呼ばなかった事で、今日のお小言を開始しようと思っていたが、それ以前の問題だった。忘れていた。こいつは時折、壊滅的に馬鹿になるという事を。
そのままなし崩し的に、謝罪を含め、家族が勝手に綾香の調査をした事を話したが、綾香は怒るどころか、そりゃ当然でしょう?と反対に怒る俺を諫めてきた。
「貴方お金持ちなのよ?美人に言い寄られて直ぐに鼻の下を伸ばすじゃない?この前も巨乳タレントに抱き着かれて顔面崩壊してたもんね。はぁ……もしかして馬鹿?調べるでしょ普通?」
おい……、何気に古傷を切開した挙句に塩塗れの両腕を突っ込んで全力で広げるのは止めろ。
その前にお前は、うちの家に立ち寄る度に、妙にみんなが優しい事に気づいていないだろう?
母さんなんて、客間のひとつをお前専用部屋にしようと言い出してるんだからなこのポンコツめ、お前はとうの昔に壁を乗り越え部屋まで……
あれ?俺もしかして家族から掘りを埋められている?
「両親が死んだことは悲しいけど、引きずっては居ないよ?目が覚めてからしか記憶がないからさ、今の自分が本当の自分か知らないんだよね。毎日が映画みたいだなって思ってる」
このクールさも綾香の一部だとその時は思っていた。そうじゃない、寄る辺が無くて現実味を感じられず、自分を大切にしていないだけだった。
後日、ポンコツの行動を聞き、そして報道で見て、俺は腰が砕けそうになった。
目を付けていた雑貨屋さんに立ち寄ろうと歩道にバイクを止めヘルメットを脱いだ瞬間、少し向こうのガードレールに軽自動車がコツンと当たった。
車道に対して垂直、ガードレールにフロント部分を接するという、斬新な駐車方法の軽自動車から出てきたのは人語を介さない化外の生物だった。
この生物のせいで、私のゆったり午後を過ごすぞ計画は粉微塵に粉砕された。
「逃げろ!ナイフ持ってるぞこいつ!」
「オマ@あっ&k&!%ガキョ!」
「危ないぞ!警察!警察を呼べ!」
自身の惨めさや不甲斐なさを、育った環境や社会のせいにし、捕縛されると精神疾患や薬物摂取に依る責任能力の欠如を主張し、人権派弁護士とタッグを組んで罪を逃れようとする。
逆襲が怖いので、明らかに自分より弱い親の目の届かない所に居る小児や幼児、どうしても動きが鈍くなってしまう妊婦や老人しか襲わない。
ああ……、だから君はこっちに来ないで、あちらに行こうとするんだねぇ。
「このデッキブラシ借りますね」
「は!?はいっ?」
「あと、逃げて警察を呼んで下さい」
正直逃げたいけれど、逃げちゃいけないと何かが訴えるので逃げない。
柄じゃないのは分っている。世界は優しくない。誰かが困っていても家族や恋人でなければ簡単に見捨てられる。
『人に後ろ指を指されない生き方をしなさい』
約束は違えられない。何よりも、色々あったけれど私を受け入れてくれた人達を見捨てるというのは、何とも後味が悪いし。
「ふぅ……」
幼児を抱えた母親とその親子を守ろうとする祖母、彼等に狙いを定めた小汚い男を見て殺意は覚えるけど恐怖は感じない。
手には掃除中の花屋さんから借りたデッキブラシ。うん、なんとかなるでしょ。
「そこの!包丁持っている弱い者虐めしか出来ない、童貞!童貞のブサ男!年齢イコール彼女居ませんの包丁男!男ならこっち!来いやぁぁぁっ!」
「綾香は知っている」と言われた後に、綾香さんが来た時は気まずいものがあった。けれど、その後も短時間とはいえ何度も家で会っていると、そんな気まずい気持ちも薄れてた。
そういえば、今週末の母の誕生日に綾香さんも呼んだのよね。「家族の集まりに私が混じるのは……」とか遠慮しているらしいけど、遠慮も何も今更だとは思うんだけどなぁ?
雅史は、まだそこまでじゃないと言い張っているけど、全く信用してない。何年あなたの姉をやっていると思うの?騙せると思わないことね。
綾香さんを送るためだと家に立ち寄る度に距離感が短くなってるし。責任はちゃんと取らせないと。
そんなことを話ていた私達は、通り魔に気づくのが遅れた。通り魔から逃げ惑う人達に押されて倒れてしまった私と娘、それを起こそうと立ち止まった母。
私達と通り魔の間には誰も居なかった。この子だけでも!と母とふたりで立ちはだかろうとした時、聞き覚えのある声の雄叫びが聞こえ、通り魔が横を向いた。通り魔の向こうに見えたのは、え?!綾さん?!
あやま?周囲の人間の他の声には反応しなかったのに、この言葉に激高して此方に来るなんて……。図星?……えーと、生きてね?
「おmk&!%、くそ&@k&っ!」
ほら、みんな逃げて。お姉さんとお母さんも早く逃げて。
「うがぁぁぁ!」
右手で突いてきた通り魔の包丁をデッキブラシを左に振り凌ぎ、そのまま右に振り抜く。
避けた?!後ろに飛び退いた?!何気に運動神経良いじゃない、あんたぁっ!
「うあらぁっ!」
「っ!」
危なかった。咄嗟に右に振り下ろして防御しなかったら右腰辺りを刺されてた。こいつ両手を満遍なく使える?!でも、脚がお留守!
「がぁっ!!!」
右側にきていたデッキブラシを腰を支点にして振り回したもん。痛いよねぇ、掠っただけでも痛いよねぇ。ちぇっ……当たったと思ったのになぁ。
おぉ怖い。そんな目で見ないで?私は逃げないから。だから……ね?
「来いやぁぁぁっ!」
「こい……つは、何をしているんだ?!」
『綾香大乱闘!』の大見出しに釣られ、こいつはまた何をやらかしたのかと、Webニュースを見た。
先ず、姉と姪そして母が襲われそうになるシーンが映し出され顔面蒼白になり、通り魔が向きを変えて安堵し、足を引き摺りながら逃げ様とする姉達に通り魔が再び向きを変え心臓が破裂しそうになり、そして雄叫びと大乱闘で頭を抱えた。
『来いやぁぁぁっ!』
鼻から下がバフで覆われていても見る人間が見れば分かる、あの声は綾香だ。あの目は綾香だ。お陰でWebだけではなく、TV報道でも綾香が撃退したと大騒ぎになっている。
「なぜ、お前はそうなのだ?」
こいつには、もう少し自分を大切にするということを覚えさせなければならない。覚えるためには学習効果が必要なのだが、馬鹿なんだな?お前の脳には学習効果という文字は入ってないんだな。というか、頭に脳みそ入ってないだろ?
両手に持った包丁を振り回す通り魔と、通り魔から逃げる母達の間に立ちはだかり、一歩も引かず、通り魔をいなし、隙あらばデッキブラシで殴りかかる、鼻から下を骸骨模様のバフで覆った女性。
左手に続いて包丁を叩き落された右手を抑え、後ろに下がろうとする通り魔の左わき腹に「っらぁっ!」という声と共に、腰を支点にしたデッキブラシのフルスイングを叩き込み通り魔を沈める女性の姿でこの攻防戦は終わる。
駆け付けた警察官が割って入れない速度で繰り広げられる、映画の様な攻防戦。そのお陰で、フェイクだ、映画の宣伝だと言われたが、実際の事件映像、ロケ中のTV局が一部始終を撮影したこれは、タレントの綾香が通り魔を撃退した衝撃報道映像として何度も放映されている。
余談だが、乱闘相手の通り魔は船団関係者の家族に手を出そうとした上に、船団関係者と大乱闘を繰り広げたという事で船団が連れて行った。
今頃は何処かの惑星に着の身着のままで放置され、念願の誰にも比較されない惨めさを感じない生活を満喫しているに違いない。
「うひゃひゃひゃや。えおがっぱっ!」
壮大な誰かの黒歴史を何度も見せられるこっちの身にもなって欲しいが、お前の頭に学習効果という物を刷り込めないのだけは分かった。
やかましいわ。放映された瞬間に怒涛のラッセル車か何かのように無言で頬張ったと思えば、頬張り過ぎて喉を詰める。悪戯がばれた子供かっ?!なぜ日本酒のコップを水と間違えて一気のみする?いいから大人しく袖に腕を通せお前は。
「きゃー、りっかなのにえおがっぱぁ!」
ところで、なぜおれはこいつを俺一人で着替えさせてるんだ?愚姉は何処にいった愚姉は。
「エロガッパ?」
ベッドに叩き込んできて戻ってみれば、この暴言。黙れそこの愚姉、埋めるぞ?さてみんな揃って真面目な顔をしているが何かな?
「「雅史、話があります」」
母さん、姉ちゃんハモるなよ、怖いわ。
父さん義兄さんそして義弟よ、なぜ目を逸らして酒を飲む、ツマミを食うのだ?こっちに来いよ、裏切者共め。
何のことはない、どうするつもりだ?という事だけだ。回答は簡単、俺は綾香を嫁にする。誰がなんと言おうと、あいつの手を放す気はない。
「良かった。庭に貴方用の穴を作らなくて済みました」
母さん、慈母の微笑みを浮かべながら口に出す言葉じゃないと思うんだ。
「ところで、プロポーズは何て言ったんだ?」
「んだ、んだ」
黙れ裏切者共、お前らの恥ずかしい過去を白状させてやろうか?家族に「手を放す気がない」なんて言って公開処刑されたこの気持ちを味合わせてやろうか?
「なによぉ?減る物でもあるまいし、言いなさいよ」
黙れ愚姉、実家に入り浸り過ぎじゃないか?あん?
え?お前も実家に入り浸ってないかって?失礼ね、実家はスープが冷めない距離なのよ、近いの。
ちょっと帰宅中に孫の顔を見せに寄ったら、孫を空腹で帰せないっていう爺婆に配慮して夕飯をいつも一緒に食べているだけ。
親孝行よ!親孝行!何か異論でもある訳?え?料理下手で作らないだけじゃないか?愚弟よ、外で穴を貴方が掘りつつ、ゆっくりと話をしようか。
人生とは、何とかなるものかもしれない。ちょっとばかり前を見て冒険しなければならない時もある。今がそうなのか、違うのかはは私は分からない。
手を握ってくれる人が居る、手を握れる人が居る。でもそれだけで充分。
「えおがっぱ……」




