不吉はどんな時でも
パラリ、と本がめくられる。ただ静かに、ロキはリディアと呼ばれた少女の読書を見守っていた。
話しかけるタイミングを一応伺ってみる。だが、一切そんな隙は見えなかった。
「ねぇ」
ロキが少し視線を外した瞬間だった。リディアが声をかけてきたのだ。
思わず「なんだ?」と返事をするロキ。するとリディアは本を閉じ、視線をロキへ向けた。
「しゃべれるんだ」
とても不思議そうな顔をして、リディアは見つめていた。
「人間だったからな。今はこんな見た目だが」
「ふーん。その感じだと、記憶は残っているみたいね」
ロキはその意味ありげな言葉に、思わず怪訝な顔をした。するとリディアは立ち上がり、ロキに近づいていく。
「人は、ううん魔法が使える生物は死ぬと魔石になる。それはわかるよね?」
「当たり前だ。我輩をなんだと思っている?」
「マギカドールは、その魔石をコアにしている。でも、魔石は元々死んだ生物。生前のそれとは違って、何かしらの障害が残るの。人の場合は、記憶障害が多い。でも、あなたはそれがあまりないように見える」
その話を聞いたロキは、まさかと考える。
何らかの障害。それはもしかすると、我輩と言ってしまうことではないだろうか、と。
「それにしても、変な口調ね。どこか偉そうというか、古風というか」
「気にするな。昔からだ」
決して障害のせいだとは言えない。なぜなら恥ずかしいから。
ロキはリディアから視線を外した。何気なく椅子に目を移すと、そこには一つの小説が置かれていた。
「リベレアの騎士、か」
そのタイトルはロキにとってとても懐かしいものだった。
幼い頃、たまたま父親がしまい忘れた本があった。それを覗いたロキは、時間を忘れて読みふけったのだ。
「いいものを読んでいるな。それは我輩も好きだぞ」
「ふーん、そう」
「魔王によって荒れ果てた世界。一人の賢者が何もかも未熟な騎士を育て、共に魔王を討つという物語だったな。我輩が幼い頃、よく読み返したものだ」
「それって、どのくらい前なの?」
「そうだな、だいたい二十年ほど前だ」
よく父親の本棚から持ち出しては、母親に見つかって怒られていた。取り上げられては泣いて、そんなロキを妹が慰めてくれていた。
懐かしい幸せな日々。もう戻ることもない時間に、ロキは思いふけっていた。
「結構前のものなんだ」
「お前、その小説は好きか?」
「嫌い。とても、ううん大っ嫌い」
それは思いもしない言葉だった。ロキは思わず「どうしてだ?」と訊ねてしまう。するとリディアは、その理由を口にし始めた。
「重なるの。この魔王と、お母さんが」
リディアはゆっくりと本に目を向ける。その嫌悪感を抱いたような目つきは、とても冷たいものだった。
「魔王は、みんなを幸せにしようとしていた。死んだ人を生き返らせて、幸せを取り戻そうとしていたの。でも、それをみんなが怖がった。考え方がおかしいって言って、魔王に仕立てられた。それが、とても嫌」
確かにリベレアの騎士に出てくる魔王は、人の幸せを望んでいた。だが、結果的に蘇生は失敗し、さらに世界を荒れ果てさせてしまった。
魔王が死ななければ、世界は戻らない。しかし、目的を遂げていない魔王は死ぬことを望まなかった。
「そうか。お前はまだ、途中までしか読んでないようだな」
だが、ロキはその先を知っていた。知っているからこそ、怒りをむき出しにしているリディアに、諭した。
「そこで読むのをやめたら、もったいないぞ」
リディアはロキに鋭い視線を向ける。
何をそこまで思わせているのか、ロキにはわからない。だが、予測はついた。
「アルアも、その魔王のようになれたらいいな」
ロキはそんな言葉を残してベッドの上に乗る。そして猫らしく、身体を丸めた。
大きなあくびを一つ零し、そのまま眠ってしまう。
「何バカなことを言っているの?」
リディアはロキの言葉の意味がわからなかった。絶対に魔王は、悲しい最後を迎える。そう思えるからロキを侮蔑した。
しかし、それでも頭から離れない言葉がある。
「もったいない、か」
リディアは本に目を移した。そして、静かに手にとって、椅子に座ると同時にまた読書を始める。
ロキの言葉を、疑いながら。
◆◆◆◆◆
「なかなか悪くない感触だ」
部屋の外。二人の様子を見守っていたアルアが、そんな言葉を零していた。
「まあ、心地悪い時間が長かったが及第点だろう」
アルアはそう言って、部屋の前から離れていく。ロキがどんな風に変わっていくのか。変わったロキは、人型の身体に値するものなのか。
今から考えると、少し楽しみであった。
「さて、晩飯でも作ろうか」
アルアは階段へと移動し、下りていこうとした。だが、進もうとした瞬間に一つの音楽が白衣のポケットから流れ出した。
おもむろに取り出すアルア。そのまま青い魔石を耳に当て、通話を始める。
「誰だ? 今忙しいんだが?」
『そうですか。なら後で連絡をしますよ』
アルアはその返答に、思わず唸ってしまう。
相手はそんなアルアの反応に、思わず笑みを零していた。
「相変わらず、からかいがいがない男だな、ベネイス」
『それはどうも。それで、本当に忙しいですか?』
「晩飯を作るだけだ。用件だけなら聞いてやる」
『では、手短に話しましょう』
ベネイスと呼ばれた相手は、一度咳払いをする。そして、アルアに用件を話した。
『また、暴走しました』
「まただと?」
その言葉に、アルアの顔つきが険しくなる。ベネイスは、そんなこと知る由もなく内容を口にしていった。
『ええ、またです。そして、前回と引き続き魔石が砕け散っていました』
「目星はついてないのか?」
『ついていたら、あなたに連絡なんてしませんよ』
アルアは思わずため息を吐いた。途方もなく天井を見上げ、そして重たい腰を上げた。
「わかった。私がそっちに出向こう」
『それは助かります。では、すぐに手配しましょう』
「そうしてくれ。ああ、あいつも連れていくからな」
『楽しみにしていますよ。では、王都で待っています』
通話を終えたアルアは、思わずため息を吐いた。
「何事もなく、辿り着ければいいが」
やることができた。
それは、アルアにとって予定外の仕事でもある。