思いもしない復活
「うっ……」
それは、とてもひどい目覚めだった。
辛く苦しく、悲しい日々。
奪い奪われていくだけの時間。
何もかもを失って、終わってしまった人生。
最悪としか言えない夢に、ロキは思わず頭を抱えようとした。
「あぁ?」
だが、すぐに大きな違和感を覚える。抑えようとした右手に目を向けると、そこにはかわいらしい肉球があった。
「これは、なんだ?」
ありもしないものに、ロキは戸惑いを覚える。試しに見渡してみると、一つのガラスが目に入ってきた。
ロキはそのガラスに映った姿に、思わず目を丸くした。
「な、なんだこれは!」
愛らしい顔に、愛らしい姿。小さな尾と、ピョンと生えた耳がとても印象的な黒い子猫の姿が、そこにはあった。
「我輩に、一体何が?」
ロキはもう一つの違和感に気づいた。
試しにもう一度言葉を口にしてみる。
「我輩はロキ。決して猫ではない」
ロキは、自身のしゃべり方がおかしいことに妙な恥ずかしさを覚えた。
一体何が起きたのか、どうしてこうなったのか、なんでこんなしゃべり方になったのか。
駆け巡る疑問に、ロキは頭を抱え始めた。
「目を覚ましたようだな」
ロキが混乱していると、聞き慣れない声が耳に入ってくる。振り返るとそこには、一人の女性が立っていた。赤い髪をひとまとめにし、メガネをかけた女性は小柄な体型よりも少し大きい白衣をまとっている。
表情はどこか冷めており、そのためか妙な憎々しさを感じてしまった。
「案外、長く眠っていたな。失敗したんじゃないかと少し心配したよ」
「なんだ、貴様?」
「アルア。お前の恩人だ」
ズケズケと歩き、ロキの近くへ立つアルア。白衣のポケットから飴玉を取り出すと、包み紙を取って口の中へ放り込んだ。
「さすが王国産だ。ほどよく甘くていい」
アルアは何事もなかったかのように飴玉を味わっていた。ロキはそんな姿に、思わず言葉を失ってしまう。
「お前も舐めるか?」
「いらん」
「そうか。まあ、その身体じゃあ無理だしな」
アルアは見下したように笑っていた。ロキはそれに、少しだけ苛立ちを覚える。
「貴様、我輩をバカにしているのか?」
「ああ、してるよ。お前、何も守れなかったんだろ?」
その突き刺さる言葉を聞き、ロキは思わず睨みつけた。
同時に気づいてしまう。あれは、夢なんかではないということを。
「張り倒すぞ、貴様」
「できるならやってみろ」
ロキはその言葉に遠慮しなかった。ゆっくりと呼吸を整え、言葉を口にする。
紡がれていくのは、この薄暗い部屋を吹っ飛ばす魔法だ。
「〈問いかけし物語〉〈答えなき答えよ〉〈永遠なる探求は我が道を作る〉〈運命など口にするな〉〈見つからなければ作り出せ〉〈我が問いかけに生まれいでよ〉〈さすれば求めしものは見つからん〉」
身体に染み込ませたテンポとリズム。今までのやり方で魔法を発動させようとする。
広がっていく白い魔法陣。見つからない答えを、自身の手で作り出すための言葉は少しずつ構築されていた。
「アカシック・アンサーか。さすが騎士団を手こずらせる元騎士だ」
アルアはロキが発動させようとしている魔法を見抜いていた。だが、ロキにとってそんなことはどうでもいい。
自分がやってきたこと。それを否定するこの女は、どうしても許せなかった。
「吹き飛べ――アカシック・アンサー」
全ての言葉を紡ぎ終わるロキ。展開していた円陣も呼応して、光を輝かせようとした。
だが、発動する寸前で思いもしないことが起きる。
「何?」
展開していた魔法陣が、突如崩れ落ちたのだ。ゆっくりと、泡となって空間に解けていく魔法陣。ロキはそのあり得ない現象に、言葉を失ってしまう。
「残念だな、魔法使い。お前の魔法は失敗だ」
告げられた事実。それにロキは、ただ目を丸くするしかなかった。
「一体何がいけなかったのか、教えてやろうか?」
アルアから、挑発的な言葉が放たれる。少し悔しそうにしながら、ロキは顔を向けた。するとアルアは、楽しげにしながら語り始める。
「その身体に似合った詠唱ができていないんだ。お前がいう基本が、お前自身できていない。ただそれだけさ」
とても信じられない言葉だった。
だが、それを聞いてロキは妙に納得する。だからこそ、忌々しげに舌打ちをした。
「さて、そろそろ本題を話そうか」
アルアは少し楽しげに微笑みながら、ロキに近づいた。ロキは思わず威嚇するが、簡単にその身体を持ち上げられてしまう。
「うん、なかなかにかわいらしいな」
「殺してやる」
「言葉は物騒だ。まあいい」
アルアはそのまま部屋の外へと出た。そして、そのまま階段へと進み、下りていく。
「ロキ、さっきは悪かった。お前の状態を知りたかったんだ」
「知らん。それよりも下ろせ」
「嫌だ。こんなに柔らかく触り心地のいいものを、わざわざ逃がすと思うか?」
「いいから離せ、この年増」
「嫌だと言っているだろ、黒猫」
少しだけウンザリし始めるロキ。アルアはそんなロキに頬をスリスリと当て始める。
さらにウンザリとしていると、アルアは足を止めた。
「さて、と」
ロキは何気なく振り向く。そこには一つの扉があった。
飾られているリボンがついたネームプレートには、リディアと彫り込まれている。
「私がお前を復活させた理由を教えてやる。一つはお前の師であり、騎士団長を勤めるベネイスから頼まれたからだ。もちろん、生前の時みたいに悪さができないようしてくれと、注文を受けた」
「だから猫か?」
「かわいいだろ?」
ロキはまた舌打ちをした。だが、アルアは気にする素振りすら見せない。
「猫は嫌いだ。まだネズミかカラスのほうがいい」
「それは失敗だったな。だが、それは私が嫌いだ」
「貴様の好みなど知らん!」
思わず感情的になって怒鳴ってしまう。アルアはそれに、怪しく楽しげに笑っていた。
「じゃあ検討してやる。さて、ここからが本筋だ。実は国王からも頼まれたんだ。だが、そのまま復活させてはどうせ悪さをしてしまう。だからこそ、お前を更生させなきゃいけない」
「何をバカなことを。我輩は我輩だ。変わることなどあり得ない」
「ああ、そんなのわかっているさ。だが、この条件を聞けば心変わりはするんじゃないか?」
アルアは目を逸らしているロキに、とある条件を口にする。それは、ロキにとって思いもしないものだった。
「もし、私の娘と友達になってくれるなら、人型の身体を用意してやろう。もちろん、オマケつきだ」
目に突きつけられたのは、ロキが大切に持っていた赤い魔石だった。思わず「返せ!」と叫ぶロキ。しかし、アルアは怪しく笑う。
「返事は?」
とても憎たらしい笑顔に、ロキは怒りが爆発しそうだった。だが、赤い魔石を目にして大きなため息を吐く。
「わかったよ」
返事を聞いたアルアは、「わかればいい」といってロキの首に赤い魔石をかけた。思いもしない行為に、ロキはついアルアに目を向けてしまう。
「前払いだ」
アルアは「しっかりやれよ」と言ってロキを下ろした。
開かれていく扉。その奥に目をやると、椅子に腰掛けて静かに本を読んでいる少女がいた。セミショートにされた髪に、精悍な目つき。アルアと同じぐらいの体格をした少女は、目を向けることなく本に視線を落としていた。
「リディア、少しいいか?」
名前を呼ばれた少女は、ゆっくりと本を閉じる。少しだけ不機嫌な顔つきで、「何?」と返事をしていた。
「今日からお前の友達だ」
「新しいマギカドール?」
「よくわかったな。ま、悪い奴じゃないから、大丈夫だよ」
反吐が出そうな言葉に、ロキは舌打ちしそうになった。
じっくりとロキを見つめるリディア。しかし、その目は興味なさそうにしていた。
「読書を邪魔しないなら、いい」
そう言ってリディアは戻っていく。
ロキは、よくわからない不安に襲われていた。しかし、アルアは「頼むぞ」と言って去っていく。
「…………」
ロキは、困った。何に困ったのかわからないほど困った。
しかし、リディアはそんなロキに気を使うことない。そのまま静かに本を読み続けるのだった。