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それでも我輩は君に笑いかけよう  作者: 小日向 ななつ
第5章 終わりへと続く始まり
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始まりと対峙する決意

 もう、どうしようもない。

 何もかもを奪われたアルアは、静かにうつむいていた。抵抗する気力も、脱出する気すらも湧いてこない。このまま死んでもいいとすら、思っていた。


 何も救えない。

 誰もが恨んでいる。

 あんなに頑張ったのに、あんなに抗ったのに……。


 アルアは、唇が震えた。溢れてくる涙は、何を意味しているのか。わかっているのに、認めることができなかった。


「情けないな」


 悔しさに押しつぶされそうになっていたその時だった。アルアは思わず顔を上げて、隣に顔を向ける。するとそこには、今まで静かに眠っていたギルバートがアルアを睨みつけていた。


「お前……」

「貴殿がそれほど弱いとは、思ってなかったぞ?」

「………うるさい。私も人間だ」

「口答えする元気はあるか」


 ギルバートは静かに身体を起こす。そして、そのままゆっくりと立ち上がった。

 千切れて落ちていく縄。アルアはその思いもしない光景に、目を見開いてしまった。


「お前、いつから――」

「ついさっきだ。もう出てきていいぞ」


 ひょっこりと、椅子の後ろから少女が出てきた。まだあどけなさが残る顔に身体。リディアと同じ歳と思える少女を見て、アルアは開いた口が塞げなかった。


「平気、だよね? 大丈夫よね?」

「ああ。だが警戒はしておけ」


 一体いつから、どのようにして――

 疑問が頭のなかで駆け巡る。しかし、それよりも口から出てきたのは考えてもいない言葉だった。


「頼む。私も、解放してくれ」


 すがれるものなら何でもすがる。

 どんなに情けなくても、嘲笑われても、カッコ悪くても。


「頼む。頼むから」


 死んでもいい。

 娘を助けられるなら、命を捧げてもいい。そのためになら、どんな目にあってもいい。

 それが、アルアの思考を支配していた。しかし、ギルバートは見透かしたように言葉を口にした。


「ダメだ」


 思わず顔を上げてしまう。目に入ってきたギルバートは、ゆっくりと近づいて肩を叩いた。


「今のままでは、ダメだ。もし、お前が死ねばあの子はどうなる?」


 ギルバートは何もかも知っているかのように、問いかけてきた。

 アルアはすぐには答えられなかった。言っている意味すらもすぐには理解できないでいた。


「あの子は、何を頼りに生きていく?」


 だが、少しずつ少しずつ、その問いかけの意味を知っていく。


「お前を失ってしまったら、あの子は悲しむだけじゃ済まないぞ?」


 ギルバートの問いかけ。それがアルアの覚悟を変えていく。

 わからなかった。リディアが助かった後のことなど。

 気づかなかった。残されたリディアの想いなんてものなど。


「お前は死んではならない。伝えなければならないことも、たくさんあるはずだ。だから、そんな覚悟を持つな」


 アルアは、力が抜けた。

 人を思いやる。それは何も、今あるものを全て捧げるだけではない。


 共に生きて、共に笑って。

 共に泣いて、時には怒って。

 何が嫌いで、何が好きなのか。


 そんな当たり前のことを教えていくことが、大切なのだ。


「私は、戦争で知ることができなかった。お前も似たような境遇かもしれない。だが、あの子は違うだろう?」


 忘れていたかもしれない。

 いつも傍にいたから、見落としていたかもしれない。

 だけど、奪われたからこそ、気づくことができた。

 生きる意味とは何なのか。リディアとはどういう存在なのか。

 そして、当たり前なことを教え伝えるとは何なのかを。


「親の責務を果たせ。死ぬことを考えるな。それを約束するなら、自由にしよう」


 アルアは、ゆっくりと頷いた。

 静かに、少女に目配せをするギルバート。その合図を待っていたかのように、少女は頷いた。


「ちょっと痛いけど、我慢して」


 縛っていた縄に手を当てる少女。静かに何かを口ずさんだ後、少しだけ鋭い痛みが走った。

 だが、その一瞬が過ぎ去ると拘束されていた手が自由となる。


「まだ動かないで」


 そういって、少女は縛られていた親指を解放してくれた。

 手の拘束が解かれ、自由となったアルア。そのまま立ち上がり、強い眼差しでギルバートを見つめた。


「私は娘を奪い返しに行く。お前はどうする?」

「奴が施した魔法を解除する。おそらく、そうしないと王も民も戻ってこないだろう」

「戻ってこない? まさか、捕まっているのか?」

「ああ、そうだ。命も握られている。全く、魔法とは厄介なものでもあるな」


 ギルバートは静かに背を向ける。大きな背中はどこか疲れており、だけど力強さを感じることができた。


「すまなかった。奴の正体を見抜けなかった私のミスだ」


 だが、とギルバートは言葉を紡ぐ。

 それは、アルアの背中を押す力強いものだった。


「どうにかする。それが上に立った私の責務だ」


 ギルバートは強い。強いゆえに、恐れる。

 一体何を恐れるのかわからない。しかし、アルアはそんなこと知らなくても良かった。


「しっかりケジメをつけてこい」


 今は、やるべきことがある。

 だからこそ、アルアはギルバートの背中を押した。


「お前も、向き合ってこい」


 ギルバートはそういって、微笑んだ。

 前を向くアルアとギルバート。

 二人は振り返ることなく、それぞれの戦場へ赴いていく。


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