信じたい選択肢
星が輝く夜空。光を跳ね返さない月を眺めながら、アルアは懐から一本のタバコを手にして咥えた。
「吸うのか?」
隣に立つギルバートが、若干目を鋭くして訊ねた。持っていた小型の着火機器を使い、タバコに火をつける。そして、一度煙を味わい、吐き出した後に「そうだ」と返事をした。
「意外か?」
「ああ。人は見た目に寄らないものだな」
「こう見えても、ストレスが溜まる立場なんでね。吸うかい?」
「タバコは嫌いだ」
アルアは肩を竦める。ふと、懐から手帳を取り出し、目を通す。記された暴走事件の記録。それにはどれも、目を止めるような異常事態は記されていなかった。
「参ったもんだ」
思わず弱音を吐いてしまう。頭を抱え、つい髪をかき乱してしまった。
「まあ、仕方ないと言えば仕方ないが」
最近起きた事件現場を見て回ったが、どこも気になるような点はなかった。
暴走事件が起きた時刻には、それなりに人通りがあり、マギカドール自体にも前兆となるものはなかったという証言もある。
「まだ調べ始めて一日目だ」
「いや、もう一日だ」
アルアはギルバートの言葉を一蹴した。
暴走事件はすでに明るみに出ている。いくら隠しているとはいえ、多くの人々が不審を抱いているのは間違いない。それなのにアルアは、取り掛かるのが遅かった。
猶予など一刻もない。だからこそ、迅速に解決しなければならないのだ。
「根を詰めても仕方ないだろ」
「わかっている。わかってはいるさ」
「そうか。なら、次に行くぞ」
ギルバートの言葉に、アルアは顔を向けた。ギルバートはそんなアルアが疑問符を浮かべて、見つめていることに察しないまま動き出していた。
「どこに行くつもりだ?」
「国王陛下の元だ」
振り返ることなく、歩いて行くギルバート。その後ろをマウロが追いかけていく。
どうして、とアルアは疑問を持った。だが、答えなど見つらない。
「どうした? 置いていくぞ?」
ギルバートに促されるアルア。浮かび上がっている疑問を一度飲み込み、その背中についていく。
広がる闇。大通りを歩く一同は、僅かに灯っている街灯を頼りに進んでいた。
アルアは何気なく街路の端を見た。昼間には見なかった露店が、点々といくつも並んでいる。
「興味があるか?」
「まあな」
露店に並べられているのは、どれも見たことがあるマギカドールの部品だった。中には魔石を並べている露店も存在する。それを見たアルアは、思わず視線を外した。
「この国は、ラーダ神を崇めているんじゃなかったか?」
「そんなもの、とうの昔になくなっている。戦争があったあの時からな」
アルアは少しうつむいた。しかし、マウロはそんな顔をするアルアを気にすることなく、笑いながら語り始めた。
「それって確か、『神の教えを守っても、私達を助けてくれなかった』という言葉を残した人がいますよね? 名前は確か、パーラって言ったかな? ラーダ教を崇拝する信者だったけど、戦争を経験した彼は神を信じなくなった。人々も同じようにつらい経験をして、ラーダ教は廃れたって聞きましたよ。それで、そのせいで魔光果実が消えて――」
「マウロ」
ギルバートが目配せをした。キョトンとするマウロは、一度アルアに顔を向ける。
少しして、大きな声で「あっ」と零す。そして、そのまま振り返り、頭を下げた。
「ごめんなさい! その、悪気はなかったんです!」
素直に謝るマウロ。アルアは少し困りながら笑って、「いいよ」と言ってあげた。
だが、先ほどの言葉を気にしない訳にはいかない。アルアが開発したマギカドール。それは国教と言われたものすらも変えてしまった。
人々が信じているものを奪ったアルア。それを考えるだけで、腹の底が煮えくり返ってしまう。
もし、あんな望みをしなければ。
そう考えるだけで、後悔が生まれる。
「そんなに悔しいか?」
ギルバートが、うつむいているアルアに問いかけた。
「そんなに誇れないか?」
その問いかけに、アルアは叫ぼうとした。だが、寸前で口をつぐんでしまう。
そんなアルアを見て、ギルバートは笑った。
「その程度か。死んだ奴らが浮かばれないな」
言い返したい。しかし、自分には権利はない。
震えるアルアは、そう言い聞かせていた。
だが、ギルバートはそんなアルアを見据えて、決定的な言葉を放つ。
「お前はそうやって、見下しているんだ」
それは、一番言ってほしくない言葉だった。
だからアルアは、感情のまま口を開いた。
「違う!」
「何が違う? 世紀の開発をした科学者だぞ?」
「私は、そんなことをしない! 望んでもいない!」
「では、何を望んだ? 地位か? それとも名誉か?」
アルアはもう感情をコントロールできていなかった。
ただ剥き出しにして、ギルバートの言葉に反発する。
「そんなものいらない! 私は、ただ……、また三人で一緒に過ごしたかっただけなんだ!」
涙が溢れてくる。今まで明かしたことがない願いを、口にして。
アルアは崩れ落ちる。溢れてくる感情に押し潰されて、ただただ自分を抱き締めていた。
「……そうか」
ギルバートはそんなアルアを笑わなかった。
少しだけ悲しい顔をして、泣いているアルアに近寄って肩を叩いた。
「悪かった」
一言。ただ一言だけを告げる。
しかし、それがどういう意味の言葉なのか、アルアにはわからなかった。
「マウロ、彼女を騎士団寮へ送り届けろ」
「でも、ギルバート様……」
「今の状態では、まともな判断はできん」
ギルバートは一人歩いて行く。
その背中をマウロは、追いかけなかった。




