悪名高い魔法使い
白くなる息。まだ闇が残る森の中、一人の男が歩いていた。無造作に伸びた黒髪と無精髭。やつれた顔にある鋭い目には、疲れが色濃く浮き出ていた。黒いローブと首から下げている赤い魔石を揺らしながら進んでいく男は、ふと空に目をやった。
雲の裂け目から溢れ出てくる光。それはあまりにも清々しくて、つい舌打ちをしてしまう。
「急ぐか」
朝を迎えたばかりの時間帯。しばらく歩いて辿り着いたのは、一つの民家だった。今にも崩れそうな壁に、穴が開いている屋根。扉もお粗末なもので、とてもじゃないが家としての役割を果たしているとは言いがたかった。
しかし、男はそんな扉の前にゆっくりと立った。ふと壁の隙間から明かりが溢れ出ているのを見つける。それに何かを確信し、軽く扉をノックした。
「はーい」
出てきたのは一人の若い女性だ。大きくなっている腹部を見て、男は突き刺さる言葉を口にした。
「余裕はあるようだな」
女性は怪訝そうな顔をした。しかし、男は気にすることなく扉に手をかける。そのまま女性を退かし、中へ入ろうとした。
「ちょ、ちょっと、なんですかあなた!」
思いもしないことに戸惑いながらも、叫ぶ女性。だが、男は容赦なく女性の頬をぶった。
女性は思わず頬に手を当てる。何が起きたかわからない顔をして、ゆっくりとまた男の顔に目を向けた。
「邪魔だ」
女性を黙らせた男は、ゆっくりと中へ入る。そこには希少な雷獣の魔石で作れられたランタンに、豪炎鶏の魔石でできたコンロ、爆音竜の魔石が埋め込まれたレコーダーといった滅多に手に入らない高価な代物ばかりが溢れていた。
男は一通り見回した後、呆然と立ち尽くしている女性に声をかけた。
「おい、お前の旦那はどこに行った?」
「え? 朝早くから出稼ぎに……」
それを聞いた男は、堪らず舌打ちをしてしまう。女性はそれを見て、思わず訊ねてしまった。
「あ、あの、あなたは?」
「ロキ。お前の旦那に金を貸してやった者だ」
女性はその名前を聞いた瞬間、顔を青ざめさせていた。
「おおかた、女を置いて逃げたところか――」
「あ、あの!」
「なんだ? 今忙しい」
「ロミーは、ロミーはどうしてあなたからお金を――」
「生活が苦しい。そう言って借りていった」
ロキは、ただ淡々に答えた。女性はその言葉に、思わずへたり込んでしまう。
中にある品物を物色する。だがその片隅で「どうして」と女性は泣いていた。
「全てを売っても、足りないか」
ロキは忌々しげに呟く。だが、やらなければ金は手に入らない。
何気なくグズグズと泣いている女性に目を移した。あまりにも情けない姿に、ロキはついため息を吐いてしまう。
「泣くな、うるさい」
女性はキッとロキを睨みつけた。しかし、ロキは気にする素振りすら見せない。
それどころか、白い魔石を取り出して耳に当てていた。
「〈聞こえるか?〉」
『〈はい、聞こえます〉』
「〈肝心な男には逃げられた〉〈だが、金になりそうなものはたくさんある〉〈十分でこっちに来い〉〈これらを売る〉」
『〈また無茶なことを〉〈わかりました〉〈では、五分でそちらに向かいます〉』
古代言語で通話を行った後、ロキはまだ睨みつけている女性に目を向ける。
「恨むなら旦那を恨め。俺は、当然のことをするだけだ」
「何が当然のことよ。アンタさえいなければ、ロミーは……」
「俺がいてもいなくても、いずれはそうなっていたさ」
ロキはゆっくりと女性の横を通り過ぎていく。
そして、家を出る間際。ロキは空を見上げた。広がっているのは清々しい青い色だ。
「俺を憎むより、これからどうするか考えろ。旦那を見つけるか、自分で借金を返すか。二つに一つだ」
だが、そんな空とは裏腹に残酷な言葉が放たれた。女性はただ、顔をうつむかせる。悔しそうに、信じられないという顔をしながら。
ロキはそんな顔を見ることなく、扉を締めた。そして、もう一度白い魔石を取り出して耳に当てる。
「〈ライド、少しいいか?〉」
『〈はい、何でしょう?〉』
「〈男には女がいた〉〈その女が死なないように、見張っていろ〉」
『〈おや?〉〈どういう風の吹き回しですか?〉』
「〈腹に子供がいる〉〈それだけだ〉」
『〈それはそれは〉〈では、ギリギリ困るぐらいの生活が送れるように、手はずをしましょう〉』
「〈ああ、そうしろ〉」
通話が終わるとロキは、ため息を吐いた。
いらない心配だと思いつつも、ゆっくりと歩いていく。太陽はそんなロキを、微笑ましく照らしていた。