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それでも我輩は君に笑いかけよう  作者: 小日向 ななつ
第2章 空を覆う厚い雲
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英雄はただ静かに

 不気味に軋めく音。ロキを覗き込んでいるそれは、蜘蛛のように蠢いていた。

 怪しい輝きを放つ瞳に、外装が剥がれ落ちている頬。それはまるで、骨が剥き出しになっているかのような感覚に陥ってしまう。


『タ、タタ、タス――』


 そのバケモノは何かを叫んでいた。だが、ロキはそんなものを聞いている余裕がない。


「〈豪炎の蕾よ〉〈大きく花開け〉――ヒートフラワー!」


 すぐ目の前で炎が炸裂する。

 自分の安全など考えている暇はなかった。攻撃をしなければ、やられる。そう感じさせるほど恐ろしいバケモノだ。

 爆発と共に転がっていくロキ。勢いがなくなった後、少しだけ身体に痛みを覚えつつも起き上がろうとする。しかし、思うように立ち上がることができない。


「くっ」


 右の後ろ足に鈍い痛みを覚え、目を向けてみる。するとそこは、異様に赤く染まっていた。見た限り血ではない。だが、そこから想像以上の痛みをロキは感じていた。


「不便だなっ」


 顔が痛みで歪む。しかし、そんな感覚に付き合っている時間はない。


『ヒ、ヒド、ヒド、イ』

『コノ、コノ、コノッ』

『タタ、タス、タスケ』


 蜘蛛と表現できるバケモノは、何かを叫んでいた。何事もなくそれぞれが叫んでいた。

 思わず苦々しい顔をしてしまうロキ。そのあまりの頑丈さに、ただただ笑うしかなかった。


『カラ、カラダ、カラダ』

『ホシ、ホシイィィ』

『イヤダ、イヤダ、イヤダ!』


 それぞれの声が叫ぶ。途端にそれぞれの腕が身体から勢いよく外れた。

 赤い光をまとい、ゆらりと漂う。静かに、ロキの様子を伺っていた。


『『『カラダ、ホシイ』』』


 声がそろう。直後、空間を漂っていた腕がロキに目掛けて飛びかかった。

 ロキは咄嗟に避けようとする。しかし、痛みが行動の邪魔をした。


「チィッ」


 若干の遅れ。それは大きな命取りとなる。

 わかっていながらも、ロキはやってしまった。


「〈静かなる大気〉〈我が鎧となれ〉」


 間に合え、と心が叫ぶ。しかし、魔法の名を口にする前に、一本の腕がロキの身体を抑えつけた。

 大きな音が響き、砂煙が舞う。突き抜けた衝撃は、一瞬だけロキの意識を刈り取っていた。


「うっ」


 身体中に痛みが走る。もうどこが痛いのか、わからないほど強烈だった。

 ロキは起き上がろうとする。しかし、そんなロキに一本、二本、と腕が突き刺さっていった。


『アァ、アァ、アァ!』

『カラダ、カラダ、カラダ!』

『オレノ、オレノカラダ!』


 声が競い合うように叫んでいた。

 ゆっくりと持ち上げられていくロキ。その胸にある魔石に、一つの左手がかかる。


『『『オマエハ、イラナイ』』』


 容赦ない言葉が浴びせられた。直後に大きな力が魔石に加わる。

 弱り、意識を失いかけていたロキ。しかし、その圧力によって豹変する。


「あぁあああぁぁアアアァァァ――」


 大きく見開かれた目と、絶叫を発する口。駆け巡る感じたことがない痛みに、ロキは苦しむしかなかった。


『シネ』

『シネ!』

『シンデシマエ!』


 バケモノはただロキの身体を求める。ロキはどうすることもできず、ただ叫んだ。

 本当の死。何もかもがなくなると感じさせる激痛。ロキはそれに、心が震えた。


「〈荒れ狂う雷〉〈奔り閃け〉――ボルトライズ」


 恐怖と諦めが心を支配する寸前、聞き覚えがある声が耳に入った。

 その呼吸に合わない力強い詠唱は、ロキの目の前で雷が炸裂する。


『アァ!?』

『グガァ!?』

『ガガガァ!?』


 ロキをも巻き込む魔法。大したダメージがないそれは、明らかに失敗と言えた。

 しかし、その失敗が幸運を引き寄せる。


『メ、メッ!』

『ミエナイ、ミエナイ!』

『イタイ、イタイッ!』


 失敗したことによって起きた強力な光。あまりにも強力な輝きは、バケモノの目を狂わせる。

 ロキは、何が起きたかわからないまま弱々しく顔を上げた。その数秒後、何かがバケモノの頭にぶつかった。


『アガガガ』

『イタイイタイイタイ』

『ヤダヤダヤダ』


 バケモノが叫ぶ中、ロキは石ころが飛んできた方向に顔をやった。そこにはしっかりとおめかしをしたリディアの姿がある。


「離せ。ロキを離せ!」


 リディアは怒ったように叫んでいた。しかし、それは命取りだ。


『イタイノ、ヤダ!』

『アイツ、イヤダ!』

『コロス、コロス!』


 リディアの叫びを頼りに、バケモノが動き出す。しかし、リディアは怯むことなく睨みつけて立っていた。


「くそ、が!」


 このままでは――

 そんな思いが、ロキの中に溢れていく。蘇ってくる嫌な思い出。それにリディアの姿が重なった。


「〈問いかけし物語〉〈答えなき答えよ〉」


 それは、すがるような気持ちで行った詠唱だった。

 発動しないとわかりきっている。しかし、それでもやるしかなかった。


「〈永遠なる探求は我が道を作る〉〈運命など口にするな〉」


 あんな思いをしないためにも。

 もう二度と見ないためにも。


「〈見つからなければ作り出せ〉〈我が問いかけに生まれいでよ〉」


 ロキは、その禁じられた答えを導き出す。


「〈さすれば求めしものは見つからん〉――アカシック・アンサー!」


 静かに、青く輝く光がロキに集まっていく。その光は、ロキが求める答えを示した。


『ガガ?』


 形作られていく青く輝く人の腕。ロキはそれを使い、バケモノの手首を握りしめた。

 焼けるような音が響き渡る。バケモノがそのあり得ない現象に、大きく目を見開いていた。


「貴様の相手は、我輩だ」


 力を込め、一気に手首を握り潰す。するとバケモノは、大きな悲鳴を上げた。


『イダァァ!』


 叫び声と共に、バケモノはロキを放り投げた。

 ゆっくりと落ちていく身体。それを見たリディアは、ロキを受け止めようと走る。

 ロキはその懸命な姿を見て、少しだけ嬉しそうに笑った。


「ロキ!」


 気がつけばロキは、リディアの腕の中にいた。よく見ると、かわいらしいドレスが砂や泥で汚れてしまっている。


「しっかりして、ロキ!」

「ドレス、台無しだな」


 リディアは少しだけ安心したかのように、小さく息を吐き出していた。その表情はどこか力が抜けたようにも見える。


『オノ、オノレ!』

『カラダ、カラダァァ!』

『コロ、コロォォォォォ!』


 だが、安心している暇はない。バケモノは再び腕を分離させたのだ。

 リディアは叫んでいるバケモノに、つい睨みつけてしまう。バケモノはそんな顔が気に入らないのか、物色することなく飛びかからせた。

 リディアはロキを抱えて駆ける。腕は容赦することなく、リディアの胸を貫こうとしていた。


「我輩、を、置いて、いけ」

「ヤダ」

「奴の狙い、は……」

「ヤダって言ってる!」


 その怒りが篭った叫びに、ロキは思わず目を大きくした。

 しかし、攻撃は収まらない。リディアの命を狙い、腕は四方八方から飛んでくる。そのためか、かわいらしいドレスが破け、切り傷が身体中にできていく。


「リディア――」

「絶対にヤダ!」

「リディア!」

「まだ、感想を言ってない!」


 リディアは頑なに拒んだ。ロキが困ってしまうほど、懸命だった。

 だが、そんなケンカをしている暇はない。


「きゃあ!」


 何かに足を取られてしまうリディア。痛みを堪え、起き上がろうとするが身体が引きずられてしまう。

 目を向けると、リディアの足を一つの右腕が絡み取っていた。


『ニ、ニガサ、ナイ!』

『ツカ、ツカ、ツカ!』

『ツカマエタ!』


 腕が、一気にリディアへと降り掛かった。

 それは刹那と言えるほど、短い時間。僅かなその間では、詠唱を口にすることすらもできなかった。

 だが、そんな僅かな時間の中に懐かしいものが目に入ってくる。それは、あまりにも恐ろしい笑顔だった。


「全く、困ったものですね」


 降り掛かってきた腕。その全てが弾き返されていた。

 ロキはその声を知っている。あまりにも勇ましく、恐ろしいそれを。

 ロキはその柔らかい微笑みを知っている。あまりにも優しく、震えてしまうようなそれを。

 輝く一本の剣。どこにでもある支給品を手にしたその姿は、あの時のまま。

 ただあの時と違うのは、紳士と表現できるような礼装をしていることだ。


「いつもあなたに会うと、こんなことばかりですね」


 魔法に魅せられたあの時と同じ笑顔。

 そんな優しい顔をした男が、リディアの隣に立っていた。


「ベネイス――」


 ベネイスは呆れたように首を振った。ゆっくりとバケモノから視線を外し、ロキに「あとでこってりと説教をしましょう」と言い放つ。

 ロキは、そんなベネイスを見て、安心した。


『ナ、ナ!』

『ナンダ、オマエ!』

『ジャマ、ジャマ、スルナ!』


 怒りのまま叫ぶバケモノ。弾かれた腕を、一斉にベネイスへと襲いかからせようとした。

 だが、ロキは知っている。あの僅かな時間があれば、ベネイスはどうにかしてしまうことを。


『アァ?』


 その弾かれた五本の腕は、全てが同時に破裂した。


『アァ?』


 リディアの足を捕らえた腕も、突然破裂する。

 バケモノはそれに、ただ目を丸くしていた。


「ああ、忘れていました」


 ベネイスはゆっくりとバケモノに振り返り、優しく笑う。そして、手にしていた剣をゆっくりと収めつつ、とある言葉を告げた。


「チェックメイト」


 バケモノの身体に、一つの小さな亀裂が入っていく。それは徐々に、全身へと回っていった。

 ベネイスはそんなバケモノを眺めながら、剣を完全に収める。すると、その小さな音と合わせるように、バケモノの身体は破裂した。


「…………」


 リディアは呆けていた。

 ロキは少しウンザリとしていた。

 そんな二人の反応を見ることなく、ベネイスは落ちた三つ魔石に目を向ける。


「一つ足りないか」


 少し顔を曇らせながら、ベネイスは呟いていた。


「まあ、よしとしましょう」


 ロキに振り返るベネイス。その懐かしい微笑みを見て、ロキは安堵する。

 だからなのか、そのまま意識を失ってしまった。


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