蠢く闇は雷鳴の如く
「ふざけるな、クソが」
空を覆う雲が、唸り声を上げている。徐々に、大きくなっていく唸り声は、男の心を刺激していた。
「心を持つだと? そんなこと知るか」
背中に回された手。拘束している縄を切るために、裾からナイフを出した。
慎重に右手で受け止めた後、談笑している一団に気づかれないように縄を切っていく。
「殺してやる。あいつを、絶対に」
眉間にしわを寄せながら、笑っているアルアを睨みつける。その喉元を噛み千切るためにも、懸命にナイフの刃を押し当てていた。
だが、そんなことをしていると男に一つの影が差し込んでくる。顔を上げるとそこには、見知った存在が立っていた。
「お前か。ちょうどいい、この縄を――」
「残念ですよ、先輩」
「あぁ?」
「でも感謝をしています。あなた達のおかげで、材料は手に入りました。それに、最後の最後で面白いものを見つけられた」
「お前、何を言って……」
それはとても怪しく、醜く微笑んでいた。
男はその歪んだ笑顔を見て、思わず表情を強張らせてしまう。
「これはお礼です」
それは、男の口を掴み、無理矢理塞いだ。懸命にもがき、暴れる男。しかし、それはただ楽しげに見下ろすだけだ。
ゆっくりと腰から抜かれるナイフ。それを目にした男は、簡単に想像できる最後に震えていた。
「ああ、お礼ついでに。あなた達は、いいピエロでしたよ」
音もなく、ナイフが胸に突きつけられる。滴る血と、力なく倒れる男。それは徐々に、淡い光の粉となって空間に溶けていく。
「さてと」
光の中から現れた一つの黒い魔石。それを手に取ったそれは、静かに微笑んでいた。
「死んですぐに悪いのですが、働いてもらいますよ」
怪しく微笑んでいる存在は、指を弾いた。ゆっくりと、地面から一つの棺桶がせり上がってくる。もう一度指を鳴らすと、フタが開かれた。
中から現れたのは、腕が六本もあるマギカドールだった。
「まあ、あなたに与えるのは失敗作ですがね」
それは静かに、黒い魔石を胸にはめた。すると、そのマギカドールの瞳が赤く輝き始める。徐々に、徐々にだが蠢き出す腕。それを見た存在は、少し楽しげに笑っていた。
「さすがにコアが三つもあれば動きますか」
堪えられない笑み。その鋭くも狂った目は、幸せそうにしている一団へと向けられていた。
「行ってきなさい。私が欲しいものを、手に入れるために」
言葉に従ってゆっくりと動いていくマギカドール。
その歪な姿を見送った存在は、静かに姿を消した。
◆◆◆◆◆
「お待たせ」
ロキは目を丸くしていた。
絵本でしか見たことがないような青と白が混ざったドレス。それはどこか豪華さを感じるものの、施されているフリルとリボンが妙な子供っぽさを醸し出していた。
履かれた赤いヒールも同様である。
だが、それ以上に子供っぽさを感じたのがリディアの髪飾りだった。大きな一輪の花が左側頭部に添えられている。しかし、その花が問題だった。
「お嬢ちゃん。どうしてひまわりなんだい?」
ロキと同様に感じた疑問を、ニールが質問した。
それはどこかの絵本に出てきそうなデザインだった。とても砕けていて、そのせいでとんでもなく幼稚に見えてしまう。
「私が作った。ラッキーアイテムだから」
「そ、そうなんだ。おじさんてっきり、どこかで買ってきたかと思ったよ」
「これは世界に一つしかない。オンリーワンの代物なの」
胸を張って自慢するリディア。そんな姿に、ロキはどこか呆れていた。
しかし、親であるアルアは違った反応を見せる。懸命に噴き出しそうになるのを我慢しているのか、口を抑えて身体を小刻みに震わせていた。
「に、似合ってるよ、リディア。ホント、最高だ」
「ホント? さすがお母さん。頑張ったかいがあるよ」
アルアの顔は、悪魔も神も呆れてしまいそうなほど、面白いものとなっていた。
そんなひどく歪んで、今にも噴き出しそうになっているアルアを見たロキは、冷めた視線を送ってしまう。
「ハ、ハハハ。まあ、個性的でいいですね」
さすがのニールも付き合いきれないのか、若干引き気味に笑っていた。
大きなため息を吐きつつ、ロキはアルアの腕から抜け出す。もし予定通りならば、あと五分ほどで騎士団長はやってくる。
「にしても、ベネイスか」
まだ幼かった自分のことを思い出すロキ。貧乏で、食っていくのも大変だったが、幸せだった。戦争なんてものは知らず、ただ楽しく穏やかな時間を過ごしていた。
そんな時間の中に、一人の旅芸人がやってきたことを覚えている。一泊する代わりの代金として、ちょっとしたショーを見せてもらった。
それはあまりにも綺麗で、面白くて、心が揺れ動くもの。ロキにとってそのショーが、魔法との出会いだった。
そして、ベネイスとの出会いでもあった。
「あの時のあいつは、なぜか身分を隠してたな。一体どうしてだろうか」
どうせろくなことじゃない。そう思いながらも、懐かしい光景が蘇る。
忘れられない感動。忘れることができない輝き。だからこそ魔法を、自分も使いたいと思ったのだ。
そんなロキを見守るベネイスは、どこか嬉しそうにしていた。だからなのか、あの時の優しい笑顔が忘れられない。
「まあ、今となっては昔か」
遠くを見つめながら、ロキはため息を吐いた。
もう戻ることがない時間。それにロキは、ただただウンザリした。
「顔を見せるぐらいはするか」
少しだけ、会ってやろうという気持ちになる。
もしかしたら懐かしい時間に戻れるかもしれない。そう思えたからだ。
だが、そんなロキに一つの影が差し込んだ。ロキは何気なく振り返る。するとそこには、異様な姿をした何かが覗き込んでいた。
『タ、タタ、タスケ、テ――』
『イヤ、イヤ、イヤダ!』
『イタイ、イタイ、イタイ、イタイヨ!』
重なる三つの声。ロキはそのバケモノに、思わず身体が固まってしまった。




