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忘れ去られた約束

「誰かそいつを、捕まえてくれ!」


 煤けた空の下。ポツポツと立ち尽くしている人の間を駆け抜ける少年がいた。

 紙袋いっぱいに入った瑞々しさがない色あせたリンゴを抱え、驚き避けようとする人々に目をやることなく走り抜ける。必死に懸命に、「どけ」と叫びながら。


「この野郎、待ちやがれ!」


 怒気が篭った叫び声が放たれる。しかし、少年は止まらない。足がもつれかけても、息が上がっていても、意識が朦朧としているにも関わらず走っていた。

 全ては、生きるため。助けたい家族のため。そのためには、捕まる訳にはいかない。


「きゃあっ」


 だが、少年の命運は尽きる。意識が飛びかけていたせいか、誰かにぶつかったのだ。転がっていくリンゴ。痛む足など気にすることなく、少年は急いで拾い集めようとした。しかし、そんなことをしている暇がなかった。


「おい」


 声が耳に入った瞬間、顔から血の気が引いた。少年が振り返ると、そこには恐ろしい形相で見下ろしている男がいる。


「何か言うことがあるだろ?」


 その言葉に、思わず謝ろうとした。だが、言葉を放つ前に男は身体を蹴り上げた。

 少年は転がっていく。突き抜けた衝撃が何なのかわからないまま、腹部を抑えていた。


「こそ泥が! これはてめぇが、口にしていいものじゃないんだよ!」


 怒号が放たれる中、今度は頭を踏みつけられてしまう。

 強烈な痛みと衝撃は、少年の意識を刈り取ろうとした。しかし、その瞬間に思い浮かんだ姿があった。


「ご、ごめん、なさい……」

「あぁ?」

「い、妹、が、大変なん、です」


 必死に、何かを訴える少年。だが、それは男の心に届かない。


「知ったことか!」


 当然の反応を、男はした。

 わかっていたこと。しかし、少年は引き下がらない。


「見逃して、くだ、さい。お願い、します」


 ただ、ただ生きたい。妹を助けたい。

 どんなに情けなくてもいい。だから、少年は訴えた。

 しかし、それは男にとってどうでもいいことだ。


「寝言は寝て言え」


 足が振り上げられる。誰がどう見ても、男は少年を殺す気だった。しかし、止めようとする者はいない。誰もが自業自得だと決めつけ、見て見ぬふりをしていた。

 ただ、一人を除いては。


「ダメ、おじさん」


 男が少年の頭を踏みつけようとした寸前だった。

 精悍な目つきで見つめている白い髪をセミショートにした少女が、そんな言葉を言い放ったのだ。


「なんだ、てめぇ? こいつの知り合いか?」

「ううん、赤の他人。でも今、知り合いになった」

「ハァ?」


 少女は転がっているリンゴに目を向けた。先ほど起きた騒動によってか、いくつか砕け散っている。

 そんなリンゴをか細い手でいくつか拾い上げ、男にあることを訊ねた。


「ねぇ、これ全部でどのくらい?」

「あ?」

「リンゴ、全部でどのくらい?」

「一五〇カパーだ。まさか、お前が買ってくれるのか?」

「そう。そのつもり」


 少女は一枚の硬貨を男へ放り投げた。慌てて受け取る男。その手の中には、金色に輝く硬貨があった。


「なっ、なんでこんなものを――」

「足りない?」

「い、いや。えっと、その……」

「じゃあ、もういいよね?」


 それは少年にとっても思いもしない出来事だった。戸惑っている男は、どう反応すればいいかわからずに立ち尽くしている。だが、少女は気にすることなく少年に寄った。


「行こ」


 差し伸べられた小さな手。少年は一瞬、躊躇ってしまう。少女はそんな少年を見て、無理矢理に手を握った。

 立ち上がらせられる少年。どことなく不思議な雰囲気がある少女に、どう声をかければいいかわからずに見つめていた。


「じゃあね、おじさん」

「あ、ああ。まいどあり」


 少女と共に、その場を離れる少年。手を引かれるがままに、ゆっくりと歩いていく。


「あ、あの」

「何?」

「助けてくれて、ありがとう」


 少女はその言葉に微笑んでいた。少年はその笑顔に、つい笑い返してしまう。


「次はないから」


 だが、その手厳しい言葉によって苦笑いに変わってしまった。


「ここまでくれば、大丈夫だと思う」

「ありがとう。えっと……」

「ごめん、名乗れない」


「え?」

「事情がある。だから名乗れない」


 思いもしない返事だった。もしかすると、数日前に攻め入ってきた帝国の人間かもしれない。そんなことを勘ぐってしまう少年だが、だからといってこれをよしとする訳にはいかない。

 だから少年は、こんな提案をした。


「じゃあ、俺の名前を覚えていてよ」


 少女はその提案に少しだけ目を大きくしていた。しかし、すぐに「わかった」と笑う。


「ロキ。それが俺の名前」

「ロキ。うん、いい名前かな」

「そうでもないと思うけど」

「ううん、いい名前だよ」


 ロキは少しだけ頬を赤く染めて笑った。そんなロキを見て、少女はとあるものを手にする。それは首に下げていた一つの赤い石だ。


「これ、あげる」

「これは、魔石?」

「うん。とても大切なもの」

「どうしてそんなものを――」


 少女は、少しだけ照れくさげに微笑んだ。その笑顔はどこか悲しそうで、なぜか美しいと感じてしまうものだった。


「もし、どこかでまた会ったら、それを返して。そしたら、私の名前を教えるから」


 ロキは、言葉を失っていた。その笑顔があまりにも素敵で、つい見惚れてしまうものだったからだ。


「ねぇ、聞いてる?」

「あ、ああ! 聞いてる!」

「なら、約束。再会したら、返してね」


 少女から受け取った魔石。それはどれほど大切なものだったのかは、ロキにはわからない。

 少女と別れた後、待ち受けていたのは苦しい生活だった。その生活によって、ロキは守ろうとしていた妹を失う。


 少女との約束も、淀んだ闇の片隅に埋もれていった。


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