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鶏の照り焼き(後)

「パパー!」

「ただいま、ネフィ~~~! ああもう、僕の娘可愛すぎか!?」


 嬉しそうにネフィが古川君に抱き着く。古川君もネフィに笑いかける。まだ仕事のはずじゃ、と首を傾げていると「今日は時間給使って切り上げたんだ」と言われた。そういえば、四月までに残っている年給を消費しないといけないと余っている時間給をガンガン発動させられることになるとも。

 そうなると、古川君が家に帰ってくる時間はいつもより早くなる。ネフィも喜ぶし、古川君も体をのんびりできるしいいこと尽くしだ。毎年のことながら、この時期が一番ゆっくりできるとのこと。


「あれ、古川君どうして僕たちがここにいるって分かったの?」

「一回家に帰ったらアンバー君もネフィもいないんだもん。机の上にここのチラシが置いてあったし、ここだと思ってきたんだよね」

「そんな意味のないことを……」


「意味がないって何だよ、意味がないって」と古川君に軽く睨まれる。せっかくゆっくりできる機会だったのに、また出てきたら意味がないというのが僕の考えだった。


「ネフィはうれしいよ!」

「ほら、ネフィもそう言ってるじゃん。娘のために動く父親。何も悪いことじゃないよ」

「はぁ」


 親馬鹿の人はともかく、古川君の背中に貼り付いて離れないネフィが幸せそうだし、まあいいか。家が職場であり店みたいな僕と違って、古川君は休日以外はずっと夜まで帰ってこない。ほんの少しでも多くの時間一緒にいたいという気持ちを大事してあげたい。古川君もそう思ってわざわざ迎えにきたのだろう。


「ところで、何か落ち込んでなかった?」

「お兄ちゃん、つよくなるふるーつかえなかったの」

「え?」

「あそこにあったドラゴンフルーツ買おうとして他のお客さんに取られちゃったんだ」


 僕が簡潔に説明すると古川君は「果物食べただけで強化できるなら修行なんて言葉は存在しないよねぇ」と一言。すごく正論だった。


「というか僕もあれ食べたことないんだけど、美味しいの?」

「どうだろう……」

「分からないなら早く諦めて他の買おうって。どっちにせよ買えないんだから」


 唇を尖らせながら古川君が「何か怖いし」と続けた。別に怖いものじゃないんだけどな、あれ。スーパーで売っているんだからちゃんと食べられるものだ。

 ドラゴンフルーツは古川君がいない時にこっそり買って試そう。それで美味しかったら報告すればいい。


 買い物の帰り道、僕は古川君から今日女の子と一緒にお昼ご飯を食べた話を延々とされた。その顔は締まりがなく、とても高校、大学と成績トップクラスだったすごい人だとは信じられなかった。顔も頭もいいのに心があまりよくない。


「その子、魔物生態調査部の子なんだけど、ポニーテールがガチで可愛いんだよね。うなじが丸見え。分かる? うなじが丸見えなの。これはもう大事件なんだって」

「大事件とは……」

「うなじは性癖なんだよ。見たら崇拝しないといけない」

「崇拝とは……」


 古川君は女の子が大好きだ。昼休みは必ず職場の女の子と一緒に食べることを信条としている。休日やその前日の夜は女の子と食事に行くし、デートもする。でも、それ以上の関係にはならない。肉欲まで行くのは彼の信念に背くらしい。乙女を自分の手で穢すのは間違っているそうだ。よく分からない。でも、その逆を行くよりは全然いいと思う。


「ぱぱ、ねふぃもうなじ? みせたらもっとかわいくなれる?」

「やめて、殉死しそう。パパはいい年頃になったネフィを見るまで死ねないんだよ……」


 高校時代、「自分の娘を自分好みの女に育ててみてぇ」と狂ったことを言い出し、本当にホムンクルスを造り上げた古川君。ホムンクルスへの想いを作文として書けと言われ、「可愛いってことしか書けない」と悩んでいた古川君。当時僕はネフィがどんな目に遭うのかとハラハラしていたけど、気持ち悪いくらい溺愛していること以外は案外まともだ。そこは田舎に住む彼のご両親も安心していた。

 けれど、「あの部署に絶対にDはある子いるんだよね」と鼻息荒くして語る姿はご両親にはとても見せられない。







 僕たちの家は某区の住宅街に佇んでいる。築三十年の二階建て。家の裏には僕専用の工房もある。周りに大きな建物が建っていないから日当たりは良好。庭に植えている植物(大体が僕の仕事で使うもの)も太陽の光を浴びてすくすくと育ってくれていた。


「お兄ちゃん、赤いお花さんがお水のみたいって」

「ネフィにお願いしてもいい?」

「うん!」


 ホムンクルスのネフィは植物と会話できる力があるから、こうして彼らの言葉を聞いて世話をする『仕事』をしている。ふわふわ浮きながら如雨露で水を注いであげている。


 僕は買ったものを整理する。鶏肉やらキャベツやらを片していくと、ビニール袋の底で白桃の缶詰がころりと転がった。


「珍しいかも。君が缶詰買うなんて。しかも桃」

「うん、ドラゴンフルーツが買えなかったからその代わり。多分、こっちのほうが高いけど」


 五百円近い缶詰なんて古川君の言う通りいつもなら買わない。苺のババロアだってある。けれど、今日はほんの少し臨時収入が得られたので特別である。缶詰ならしばらく賞味期限もあるだろうし。




 淡い肌色だった鶏肉を真っ白になるまで焼いたところで、醤油、みりん、酒などを混ぜ合わせたタレをフライパンに流し入れる。隠し味に蜂蜜を入れるとコクが出て美味しいから、照焼きを作る時は砂糖でなく蜂蜜を使うようにしていた。

 肉の焼ける匂いに甘めなタレの匂いが混ざり合う瞬間が僕は好きだった。白い湯気と一緒に食欲を刺激する匂いが立ち上がり、台所に広がっていく。

 フライパンの中では熱せられたタレがふつふつと泡立っていて、ジュウジュウという音が心地よく聞こえる。


 照焼きに添えるのはキャベツの千切り。味噌汁の具は定番の豆腐となめこ。久しぶりに茗荷も食べたいけど、あれは夏まで我慢しようと古川君と決めた。

 炊き上がった真っ白な米を茶碗に盛ってテーブルに運ぶ。


「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」

「いただきまーす!」


 僕のあとに続いて古川君とネフィも両手を合わせて頭を小さく下げる。


「おにくおいしーね! ねふぃ、このあじだいすき!」


 照り焼きに齧り付いたあと、ネフィは嬉しそうに笑った。ある程度はぐはぐと美味しそうに食べたら、今度は白米の代わりに用意した器にたっぷり盛った花を食べ始める。


 ネフィは僕たちが口にする食べ物では栄養が摂れない。ホムンクルス専用の花や果実が主食なのだ。それらを食べやすい大きさに切って、透明なガラスの器にたくさん盛り付けたものを毎日出してあげている。

 僕たちとホムンクルスは微妙なところで味覚が違うようで、ネフィにとってはとても甘い花や果実は僕たちが食べても味はまったく感じられない。赤、青、黄、ピンク、橙、紫と色鮮やかな花と果実は甘い香りが確かにするのに、食べても甘みどころか苦みも塩気も感じられない。ホムンクルスだけが美味しいと思える不思議な食材だ。何でも、ホムンクルス研究の第一人者である人が栽培したのが始まりだとか。

 それでもネフィも僕たちと同じ食事を出してあげるのはネフィがそれを望むからだ。同じものを食べて同じ味を楽しみたい。そんな思いがあった。

 ちなみに花と果実は毎食食べなくても一日一回摂取すればいい。そんなわけでネフィがこれらを食べるのは毎日夕飯時と決まっている。


 ネフィが満面の笑みを浮かべて食べる姿を眺めながら僕も照り焼きを口に運ぶ。肉は噛めば噛むほど味が出てくる。ヘルシーなささみで作っても美味しいけど、鶏肉の美味しさを存分に味わいたいならやっぱり皮付きのモモだ。柔らかい肉からも皮からも肉汁が溢れて、それが甘めのタレとよく合った。

 原液のままだとあんなにしょっぱいのに、少し手を加えるだけでこんなに鶏肉と合う味になる醤油とは本当にすごいなぁと食べるたびに思う。キャベツもご飯もよく進む。甘じょっぱい味付けだから味噌汁を飲むと口の中が何だか新鮮な感覚になった。同じ日本食なのに不思議だ。


「今日何かあった?」


 食べ進んでいくと古川君にそう聞かれた。今日の僕はいつもよりもやけに機嫌がよく見えるらしい。

 理由とは言えば、やっぱり宝くじの件だろうか。生まれて初めてやったそれが当たった。数百円の儲けだけどとっても嬉しかった。桃の缶詰だってそれで舞い上がって買ってしまった。


「……ちょっとだけ」


 そんなことで勘付かれるぐらい浮かれていたと知られるのが何だか情けなくて、はぐらかしてしまう。すると、古川君は「そっかー」とあっさり引き下がって意識をバラエティを放送するテレビに向けてくれる。

水着姿のグラビア女優の特集だった。


 ネフィが「なんで言わないの?」と言いたげに、見てくるので僕は苦笑するしかなかった。別に古川君相手だから言わなかったわけじゃない。きっと、誰であろうと同じ質問をされても僕は言わないと思う。

 相手の反応を見るのが怖いから、自分のことをたくさん話せない。治さなきゃいけない癖だなぁ、と僕は小さくため息をついた。


「古川君は今年は本当に花粉平気なの? 朝もすごい元気に女子アナ見てるけど……」

「ヤク決めてるからダイジョーブイ!!」

「その冗談言うの僕だけにしておいたほうがいいと思う。そのテンションも相まって通報されてしまう……」


 酒が入っていない素面でこんなことを堂々と言える彼に抱くこの感情は羨望か憐憫なのか……。



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