おしるこ(前)
「あっめは~~めぐみのあめ~~~おはなさんが~よろこぶよ~~あめんぼさんも~~よろこぶよ~~」
「元気だね、ネフィ」
「元気だよ! 雨楽しいね!」
「でも、どしゃ降りやで」
今朝、珍しく僕より早く起きた古川君は「あぁ、アンバー君……今日はゴリラに気を付けてね……」と寝ぼけ眼で僕に忠告してきた。何も理解できなかったので無視したけど、どうやらこれのことだったらしい。ゲリラ豪雨。折り畳み傘は持っていたし、突然の雨に備えてネフィのレインコートも鞄に忍ばせておいたので助かった。
にしても、ついていない。今日は世間一般で言うところのGWの初日だというのに。
「ぱぱ、だいじょうぶかなぁ」
「ずっと社内で仕事するって言ってたから迷宮探索はしないと思うよ」
「そっか。じゃあ、かぜひかないね!」
古川君が号泣しながら帰宅したのは今から一週間前の出来事である。その日の朝、僕たち三人はGWはどこに旅行するか話し合っていた。古川君は京都、僕とネフィは北海道だったので多数決で北海道となった。
かにが食べ放題だと一日中浮かれていた僕たちが泣き顔の古川君から宣告されたのは、彼がGWは仕事で魔法省にカンヅメしなければならないということだった。何か大きなプロジェクトが発足したようで、古川君はその手伝いとして寝泊まりしてまで頑張らないといけないらしい。
僕もネフィも残念だと思うよりも、それらを語る古川君があまりにもあまりにも哀れだと思う気持ちが勝り、何も言えなかった。古川君は二人で北海道に行ってきなさいと言った。
しかし、あまりにもあまりにも申し訳なくて行く気にもなれず、結局いつもの日常を送っているのだった。いつも通りスーパーに行って夕飯の材料を買って、いつも通りの帰り道を歩く。新鮮さはまるでないけど、まあ仕方ないだろう。二人だけで旅行に行っても楽しくはないし。
「風邪は引かないけど、ゾンビになって帰ってきそうだね」
「ぱぱぞんびになっちゃうの!? せいすいとじゅうじかよういしなきゃ!」
「滅することになるよ」
それにしても、酷い雨である。ネフィはどしゃ降りを楽しんでいるようだけど、僕はちょっと死にそうになっている。雨は水だ。水は生命の源で、雨が降らないと作物は育たないし水不足にもなる。
流水結晶はあるけど、それだけで全世界分補えるのだったら砂漠化なんて現象は起きていないだろう。魔導結晶の力を用いても、数百年前に散々地球を汚してきた人間たちの罪は簡単に消えないということである。これでも異世界と完全に繋がる前に比べたらかなりマシになっているらしく、昔は大地も海も空気も汚すぎて、別の星への移住計画もあったそうだ。
まあ、どうせ移住したところで何千年かすれば、その星だって汚染されて捨てられてしまうだろう。
「おにいちゃん、みてみて! かえるさんいるよ!」
大興奮のネフィの指の先にいたのは、紫陽花の葉っぱの上に乗っている蛙だった。大きさはさくらんぼと苺の中間辺り。色は綺麗な黄緑色。
「かわいいね。ちっちゃいね」
木の葉と木の葉の間になるような場所で雨水を避けている蛙。それを眺めながらネフィが小声で僕に話しかける。
そう、このサイズ、しかもこの色でなら可愛い。しかし、うちの近所はこの数倍大きく色も土色のイボガエルのほうが圧倒的にエンカウントの数が多い。歩いていると普通に道端にいたりするし、冬眠から目覚め始めた頃は無用心に道路に飛び出すため、大量のイボガエルの轢死体が残されている。夜、歩いている時に潰れたトマトが道路にあるなと思ったら死体だったケースは少なくない。
それだけ仙台が自然溢れる街と言えば、そういうことにはなる。都会と田舎のアップダウンが激しいところなのだ。滅茶苦茶ビルがたくさん建っているような場所もあれば、田んぼや畑が延々と広がっていたり、森林公園なるものも存在する。青葉区、さらに言えば仙台駅周辺が滅茶苦茶都会なだけだ。熊もよく出る。
「かえるさん、ぱぱにみせたらよろこぶかな!?」
「うーん……」
古川君から聞いた話である。彼は小学生の頃、イボガエルが靴に入っていると気付かず、そのまま足を突っ込んだことがあるらしい。その後、蛙と古川君はどうなったかまでは語ってくれなかったが、それ以来蛙が大の苦手らしい。
この見た目ならいけそうな気もするけど、激務から帰ってきた親友の精神を試すのも何か悪いような。
ここはネフィには諦めてもらったほうがいい。
「ネフィ、蛙さんは外にいたほうが楽しいみたいだよ」
「そっか……じゃあ、がまんする!」
素直にそう言ってくれた天使は蛙に手を振って、またふよふよ移動を始めた。
「かえるさんいがいで、どうしたらぱぱにわらってもらえるかなぁ?」
「古川君が喜ぶこと……」
ネフィには言えないようなことばかりが脳裏を駆け巡った。だって、そういう男だし。
強いて挙げるとするなら、ネフィとどこかに遊びに行くことか。この前見たアニメの原作を大人買いして喜んでもらうのは微妙にアレな気がする。
そうなると、やっぱりネフィとのデート一択しかない。そう考えていると、目の前で傘も差さず段ボール箱を持ってうろうろしている不審人物を発見した。余程濡らしたくないのか、ジャケットのようなものを段ボールにかけている。
さらにその不審人物、目の錯覚でなければ僕は彼と一度邂逅を果たしている。
「……柊君?」
クールそうな外見で中身はコミュ障。その名も上杉柊君。魔法省の新入社員にして古川君の部下である。
「しゅーく――――ん!」
ネフィがこの雨音に負けないくらいの声量で呼ぶと彼もこちらに気付いたらしい。両目を見開くと同時に物凄いスピードでこっちに走ってきた。
「あ、あの、こんにちは雨宮さん!!」
「こ……こんにちは……」
「相談したいことがあるんです! 今すぐに!!」
「は、はい」
段ボール箱を持ったずぶ濡れの青年に叫ばれるようにそう言われてしまっては逃げるわけにはいかない。悪い人ではないと知りつつ内心怯えていると、段ボール箱を突き出された。
「え……えぇ……?」
未知の恐怖に思わず後ずさりしていると、ネフィが何やら箱を気にし始めている。
「おにいちゃん、このなかになんかいるよ!」
だから、その何か分からないのが怖い。
ネフィの言葉を受けて硬直していると、箱の中から「みゃー」とか細い鳴き声らしきものが聞こえた。
みゃー??????????????
「俺、飼ったことがないから分からないんです。猫の扱い方」
そういう理由でパニックになっていた気持ちは分かるのだけど、だったら先に猫だったら猫だと言って欲しかった。




