サンドイッチ(三)
某原稿のほうが一息つきましたので、ぼちぼち再開していきます
「マリアお姉ちゃん、おひさしぶ……り……?」
シートの上に座っていたマリアさんに近付こうとしたネフィの動きがぴたりと止まる。
こちらを振り向き、立ち上がったマリアさんの様子が何かがおかしい。
「やっときたのね朧様! 随分遅かったから心配してたのよ!?」
やけに顔が赤いマリアさんが僕めがけて猛牛の如く突進してきたので、急いで回避する。その際に石か枝に躓いて転びそうになり、ネフィが慌てて僕を後ろから支えてくれた。
僕に避けられたマリアさんは少しふらつきつつ、僕をぼんやりとした表情で見詰めている。明らかに熱に浮かされたその瞳はすでに彼女が泥酔している証拠だった。
「ど~して私の抱擁を拒むの? ねえ、朧様!? チョットォ!?」
「だって僕古川君じゃないんで……」
ちなみに古川君はさっきからマリアさんの真横で「ここ! 君の捜している朧様ならここにいるよ!!」と言いたげに無言で自分を指差している。
けれど、マリアさんはじっと僕を見て半泣きになっている。
「酷いわ朧様! 私との関係は貴方にとってはお遊びにすぎなかったのね!!」
「うおっ!? アッ、ハイ」
「アンバー君! 何で君そこで肯定すんの!? 僕が酷い男みたいじゃんか!」
いや、でも肉体関係を持つことをよしとしていないから、口出しするつもりはないだけであって、普通に酷い男の枠組みに入れてもおかしくないと親友の僕は思う。
もし、これで最後まですることをするような男であったら、僕は古川君のご両親に密告したあとにネフィを連れて家を出ていたことだろう。
古川君(僕)の返答を聞くなりマリアさんはその場に崩れ落ちて号泣を始めた。泣き上戸というやつなのかもしれない。大変だなぁ……とぼんやり考えていると、古川君がハッとした顔をした。
「酒!? お酒飲んじゃったのマリアちゃん!?」
「古川君?」
「マリアちゃんまだ十八だからね!」
「マリアさん未成年だったんだ……」
「飲ませたの誰!?」
それはいけない。あちこちで酔っ払いが出現しているような無法地帯であっても未成年に酒は飲ませていいはずがない。
古川君はそういうルールはしっかり遵守する人だから結構焦っている。
その親友の質問に答えるように「飲んでないですよ」と喧騒の中で低い声がした。
マリアさんと同じシートに座っていた人が少し呆れたような表情で僕たちを見上げた。
「俺たちは酒、飲んでません。その人はただこの場の空気に酔っているだけなんで気にしないでください」
場の空気に酔うなんて本当にあるだなぁと僕は少し驚いた。この辺はお酒の匂いもしないのだけれど。
どこのシートでもガンガンお酒を飲んでいるのに、まったくと言っていいほど匂いがしないのは、彼の脇に置かれた疾風結晶のおかげだろう。ミントグリーンのそれから放たれる微風が酒の匂いをシャットダウンしている。
「朧様ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!! 私、私こんなに頑張ってるのにもっと頑張らないといけないのよ~~~!!!!!」
「うんうん、マリアちゃんは頑張ってるね」
日頃、様々なストレスを抱えているようで、それを今この場で大爆発させているマリアさんを古川君が必死に宥めている。
そんな光景をネフィは泣きそうな顔で眺めていた。
「ねふぃにできること、なにかないかな?」
「時が解決してくれると思うよ」
時間経てば酔いも覚めるだろうし。
マリアさんは古川君に任せれば大丈夫かなと思っていると、さっきの男の人が僕を凝視していた。やはり、花見にこのファッションは厳しすぎたか。
「なんかすみません……」
「謝られるようなことしてないでしょ。むしろ、俺たちのほうがすいませんね。うちの同期のあんなところ見せてしまって」
同期。ということは、マリアさんと同じ新入社員なのか。物静かな雰囲気のせいで最初は気付かなかったけど、よく見ればまだ顔に幼さが残っている。もっとも、それは童顔の僕が言えることではない。
「あー! もしかして、お兄さんって人身御供の人?」
彼の隣にいた眼鏡をかけたおさげの女の子が口を開く。
この世に初対面で人身御供の人呼ばわりされる人間はどのくらいいるだろう。僕の脳裏に怪しげな祭壇が浮かぶ。
「おにいちゃん、ひとみごくーなの!? しんぞうとられちゃうの!?」
そして、青褪めるネフィ。なまじ知識がある分、血腥い発言が飛び出した。
「そっちのちっちゃくて可愛い子は噂のホムンクルスちゃん? 古川先輩からお話聞いてたわ」
「ねふぃって言うの。よろしくね!」
「私は木町露花。今年から古川先輩の元で働くことになったの」
「えっと、僕は……」
「アンバー君、って人だよね。古川先輩の話にいつも出てくるお友達の」
「……錬金術師をやっていまして、今日は仕事のついでにお花見についてきました」
「ふーん。古川先輩のお守りのためにきたかと思っちゃった」
入社してまだ半年も経っていないのに、上司への恐れを知らない言い方。
おお……と思っていると、男の人が小さく手を上げた。
「俺は上杉柊です。風切さんとウンディーリナさんと同じく古川さんの部下として働いています」
「……僕は雨宮琥珀です。親友がいつもお世話になってまして……えーと……」
「ね、ね。アンバーさんも私たちと一緒にご飯食べたりジュース飲まない? どういう人かなってちょっと心配してたんだけど、見事にイメージ通りの人がきたから安心しちゃった」
満面の笑みを浮かべた露花さんに手を引かれてシートに座らせられる。正座になった僕の膝の上にネフィがちょこんと座った。
「ちょっと皆、誰かマリアちゃん正気に戻すの手伝ってよ。僕だけじゃどうしようもない……」
咽び泣くマリアさんの背中をさすりながら古川君が助けを求めるけど、露花さんと柊君は立ち上がろうとしない。
ネフィが落ちないようにお腹に手を回しながら僕は二人に聞いた。
「……二人ともいいんですか? 助けなくても……」
「でも、今のマリアちゃんって古川先輩を独り占めしてるようなものだし……」
「下手に手出して噛み殺されたくありませんよ」
「うんうん。迷宮の中でもないのに死にたくないもんね」
にこやかな様子で語る露花さんと、淡々と真顔で語る柊君に僕は小さく頷くしかなかった。
彼らにしてみれば古川君とマリアさんは、飼育員と猛獣のような関係らしい。それを聞いて、ネフィは以前マリアさんと言い争いをした時(※カレーライスの話)によく無事でいられたなぁと少し肝が冷えた。
「アンバーさんこそ助けに行かなくてもいいの?」
「命は一つしか持ってませんから……」
限りある命を大事に使っていかなければならない。今、僕がすべきなのは荷物の中からサンドイッチを取り出すことだった。




