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カレーライス(一)

「僕の今月の推しレディが北海道に行くらしい」


 傘を忘れたばかりに雨に打たれて帰ってきた古川君がすごい傷付いた表情をしているから、「あれ? 今この人が着てる服ってお気に入りだったのか?」と考えていると、そんなことをぽつりと呟いた。古川君の顔からショックを受けているのは分かるけれど、今月の、と言っている辺りで人間として浅さを感じる。


「お兄ちゃん、おしれでぃってなーに?」

「古川君の大好きな人ってことだよ。多分」

「多分って何だよ、君ぃ。僕はあの子を僕なりに生涯大事にしていくって決めてたのに」


 つい数十秒前に「今月」と言っていた気がするけど、あれは幻聴だったのだろうか。それとも古川君の寿命は蝉より少し長い程度なのだろうか。はたまた、古川君がどうしようもないだけなのか。


「よしよし。ぱぱげんきだして」

「ネフィ~~~~尊い」


 ネフィに頭を撫でられて恍惚とした笑みを浮かべる友達は、どう見てもあと一月では死にそうにない。還暦は余裕で迎えられるであろう生命の力強さが伝わってくる。僕が言えたことじゃないけど、娘に向かって合掌する姿はどこに出しても恥ずかしい。でも、人の信仰対象に口出しするつもりはないから声には出さない。


「それで……どうして北海道に行くの?」

「恋人が北海道にいるんだって」

「え、相手いるのに手出したの? 最低な行為なのでは……」


①相手がいる人には手を出さない。既婚者に手を出して裁判になったら大変。

②未成年は見るだけ。あとは頭の中に作り出した仮想空間で仮想の彼女とデートをする。

③女の子は何歳になってもレディ。ババア呼ばわりする奴は死ね。


 これが古川君の女の子と付き合う時の三ヶ条なのだけど、ついにそれを破る時がきてしまった。いよいよ人としてダメに……と思っていると、「違う違う!」と慌てて叫ばれた。


「元! 元恋人! 何か僕が元カレの話聞いていろいろアドバイスしてたら元鞘になっちゃったみたいでさぁ」

「お兄ちゃん、もとさやってなーに?」

「喧嘩してた恋人が仲直りすることだよ」

「ぱぱすごーい!」

「あ、何か僕今ものすごい救われる気がする……明日も生きよう」


 もしかしたら古川君の生殺与奪の権限はネフィが握っているのかもしれない。


「気付いちゃったんだよね。その子と元カレがちょっとした勘違いですれ違ってただけだって。それで今も元カレが忘れられずにいるって」

「こんなにショック受けると分かってたなら言わなきゃよかったのに……」

「それは!!!!!!!!!!!! ダメ!!!!!!!!!!!」


 鬼気迫る表情の古川君に掴まれた両肩がとても痛い。何だろう、とてつもなく強いエネルギーを感じる。


「推しの悲しむ顔なんて僕見たくないもん!! こっちゃあ遊びで女の子と遊んでるわけじゃないの!!」

「逞しく生きてるね、古川君」

「ということで何か北海道って聞いたら、蟹とか海の幸が食べたくなってきたんだけど今日の夕飯何?」

「ごめんね、古川君。今日はカレー」

「カレー大好物なんだけど超嬉しい」


 ふらついた足取りで台所に向かう古川君。その数秒後に「何これ超美味そう!!」と絶叫が聞こえてきた。欲望の赴くままに生きるその姿は僕はかっこいいと思うし、真似はしたくない。

 そして、まだルーを入れていない煮込んでいる最中だ。あそこまで驚く要素がちょっと見当たらない。


「古川君、まだルー入れてないから食べないでね」

「具は食べないけど、この煮汁少し飲ませて! お願い!」

「えぇ……」

「この野菜の旨みと肉の旨みがたっぷり溶け込んだ煮汁を飲めるのは今しかないんだって!! お願いだから!!」


 まあ、その気持ちは分かる。マグカップにお玉で掬った煮汁を二杯ほど落としてから古川君に渡してあげる。僕とネフィもちょっとだけ飲む。

 何の味付けもしていないのにすごい美味しい。素材の味とはこのことか。大地の恵みの味って感じがするし、そこに肉のエキスが加わってこれだけでも結構いける。


「何で野菜と牛肉煮込んだだけのお湯がこんなに美味しいのかな」

「うん……肉とか魚じゃないのにどうして野菜ってこんなにいい出汁が出んだろ……」

「僕たちは煮込まれてもこんなに美味しい出汁が出ないよ」

「僕ら野菜以下か……」


 僕の一言のせいで何だかしんみりした空気になってしまった。失言だった。

 その空気を破るかのように玄関からチャイム音が聞こえた。今日は宅配が来る予定はない。古川君に視線を向けるも、不思議そうな顔をされるだけだった。


「町内会の人かな」

「え~? 夜に?」

「ねふぃがでるー!」


 会話をする僕たちを放ってネフィが玄関に向かうので、慌てて古川君がそのあとを追う。


「ネフィ、ちょっと待って。危ないからパパが出るから」

「うー……」

「ごめんごめん。はい、どちらさま……」


 古川君が玄関のドアを開けると、そこに立っていたのは宅配の人でも町内会の人でもなかった。

 水色の髪をツインテールにした女の子だった。


「あっ、マリアちゃん!」と満面の笑みの古川君。

「あーっ!」とどこか怒った様子のネフィ。


「こんばんは、朧様。……って、あら? どうしてそんなに濡れてるの?」


 青い傘を差しながら女の子は首を傾げてみせた。そういえば、濡れた服もそのままの状態で煮汁を飲んでいた。僕も古川君も食に対して節操がなさすぎる。


「いや、僕もついさっき帰ってきたとこだったんだ。傘もなかったから濡れちゃって」

「まあ……朧様は濡れた姿も素敵だけど、風邪を引いたら私も辛くなるわ。この私があなたを今温めて……」

「ぱぱからはなれて!!」


 古川君を抱き締めようとした彼女の両腕が空振る。ネフィが怒りの形相で超能力を使い、古川君を後ろと吹き飛ばしたからだ。

 女の子は驚愕で目を見開いていたけど、すぐにネフィを睨み出した。


「またあなたなのね……!」

「お兄ちゃんいじめたひとでしょ! はやくおうちから出ていって!」

「な、何であなたに指図されなきゃいけないのよ! 私はただ朧様に用事があって……」

「しらない! お姉ちゃんなんてだいっきらい!」

「何ですってー!」


 ネフィの拒絶ぶりに女の子も鼻息を荒らげる。何だかすごいことになってきた。

 というか、僕はこの人にいついじめられたのだろう。記憶がまったくない。助けを求めるように尻餅をついて衝撃で動けずにいる古川君を見る。


「嘘でしょ、アンバー君。覚えてないの? マリア・ウンディーリナ。魔法省で会ってたよね?」

「……………………あ、噴水の」

「あんなに可愛い子忘れちゃダメだよ。ネフィもちょっと落ち着こうねー」


 言われてから思い出す。古川君の手帳を届けに魔法省に行った時、四大錬金貴族である彼女から子供だの冴えないだのと言われたことを。そのあと、彼女と古川君が仲良くする現場を見てネフィが怒り狂ったことを。

 あれだけ濃かったイベントをどうして完全に忘れてしまっていたのか、僕は自分が不思議でならない。


「大人の時間を邪魔するんじゃないわよ!」

「お兄ちゃんをばかにした人はおうちに入れないもん!」

「二人とも落ち着……」

「ばかばかばかばかばかー! ぱぱのばか!」


 とにもかくにも、近い将来古川君を巡っての修羅場がこの家で起きるのではと想像はしていたけど、まさかこの組み合わせだとは思わなかった。

 



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