キムチと桜餅(一)
四月一日という四文字が長い冬の終わりを告げてくれたような気がする、とカレンダーを眺めつつ思う。四月一日と書いて読み方は『わたぬき』。寒さを凌ぐために着物に詰めていた綿を抜くことが由来だとか。
あと、四月一日と言えばエイプリルフールなんだろうけど、うちではそういう話はしないことになっている。
去年はしていた。古川君が「今日は女の子に大嫌いって言う日なんだよ」と朝にとてもいい笑顔で言った。そのあと、ネフィは一日中「ぱぱだーいすき!」を連呼して、翌日はねだられても「はずかしいからやだー!」となった。
僕は結構最初の辺りで違和感に気付いていたけど、娘からの言葉に浮かれまくった古川君がおかしいな……おかしい……となったのは一週間後のことだった。ネフィが果たしてエイプリルフールのことを知っていたのか、それは今でも謎に包まれている。
そのため、今年の四月一日の朝は静かだった。というか、古川君が妙なくらいに静かで心配になるくらいだった。
今から一年前に父親にトラウマを植え付けたネフィは、元気に庭の植物たちに水やりをしている。よく見るとピンク色の如雨露を持ってふわふわ浮かぶネフィの頭に一匹の雀が何をするわけでもなく、ちょこんと乗っている。
真冬の頃に比べるとスリムになったなぁ、と雀にそんな感想を抱く。
冬の雀はふくら雀と言われていて、その名の通りふっくらとした見た目になる。太ったのではなく、羽毛を膨らませて寒さを凌いでいるらしい。まん丸のもこもこ感があってとっても可愛いのだけど、本人(鳥?)たちは冬を越えるための防寒対策によって人間たちが癒されているとは思いもしないだろう。
「お水ー、お水ー、いのちのめぐーみー」
「チュンチュン」
ネフィの歌に合わせて雀が鳴いている。如雨露から降り注ぐ水が植物の葉や花びらの隙間を抜けて茶色い地面へと染み込んでいく。敢えなく葉や花びらに行く手を阻まれたものは丸い水球となって、そこに留まる。そのうち、風で揺れた時にでも零れ落ちるだろう。
燦々と暖かな陽光が澄んだ青い空から降り注ぐ。今日の温度は平年よりも少し高めで、春と言ってもまだ肌寒さが残る四月初旬にしては薄着でもすごしやすい。
縁側で水やりをするネフィを見つつ、さっき近所の和菓子屋で買った桜餅を食べる。ふわりと香る果物とは違う穏やかで静かな香り。
淡く半透明なピンク色のもちの中に包まれたこしあんのどっしり感とじんわりとした甘さ。単体だと少し重い餡の甘みがあっさりしたもちと塩漬けされた桜の葉のおかげで手が進む。
しょっぱいのと甘いのは相性がいい。西瓜も塩をかけるともっと美味しく感じるし。味覚ってとっても不思議だ。
「なぁなぁ、風の。この小僧が食べているのは何であろうな」
「あちらはサクラモチというこちらの世界、それもこのニホンという国の菓子でございますよ」
「サクラと言えばあの美しい薄紅色の花だな。あれがモチになるのか? 米を練って作る食べ物と聞いていたが」
「そこは私も気になっておりました。向こうの世界の花ならば、そのような種類もあるようですが、少なくともこちらでは……」
横から聞こえてくるひそひそ話に気になって見てみれば、僕の側に真っ赤な蜥蜴と、背中から蜻蛉のような細く透明な翅を生やした小人がいた。小人のほうと視線が合った瞬間、「ひゃっ!?」と悲鳴を上げられてしまう。
「あ、ごめ、驚かせるつもりじゃ」
「な、何ということでしょう……」
「どうした、風の?」
「大変でございます、炎様。このお方、私たちの姿が見えているようなのです!」
「な、何と! ただの子供に我らの姿が見えるとは……」
慌てる一人と一匹をどう落ち着かせたらいいかなと考えていると、ネフィが目を輝かせてこっちに飛んできた。
「『しるふ』さんと『さらまんだー』さんだ! こんにちは!」
「こ、このちっちゃなのも我らを……ん? こやつ、浮いているな……」
「そして、この魔力……もしや、ホムンクルスなのでは?」
「うん、ねふぃっていうんだよ。よろしくね」
ネフィが丁寧にお辞儀をする。小人と蜥蜴は互いの顔を見合わせてから、次に僕のほうを見た。
「……小僧、この娘を造った錬金術師ではあるまいな?」
「ネフィを作ったのは僕の友達だけど錬金術師だよ」
「ほう。にしては魔力があまり感じられないが、まだ見習いと言ったところか」
これでも八年ほど錬金術をやってきているのだけど、こういうことはよく言われる。この世に存在するあらゆるものには必ず『魔力』というものが宿っている。
魔力がなければ魔法は使えないし、魔力がたくさんあればあるほど高度な魔法を使えたりする。魔法省も魔力が一定の基準を達していなければ入れない。そのくらい重要なものだ。
錬金術師もいくら知識や素材が揃っていても魔力がないなら何もできない。魔導結晶の精製は素材の溶解、属性の定着、結晶の凝固など魔法を使って行う作業がほとんどだ。そして、魔力がたくさんなければ綺麗なものは作りにくい。
高校生の時に三者面談で将来魔導結晶屋として生計を立てたいと言った時は先生をすごく心配させた。ある程度の量の魔力を持っていると、魔力を感じ取ることができる。けれど、僕からは錬金術師になるだけの量の魔力を感じることができない。「ないものねだりをしても仕方ないだろう」と先生には口を酸っぱくして言われた。懐かしい。