初恋こじらせ
やっぱり好き……この音
前髪も眉の上じゃないし、頬もすっきりしてて、眼鏡も無い。
何より化粧をした顔は初めてみた。
あれから8年。
面影を残しながらも自分の知らない時を重ねた嘗ての同級生はいつしかと同じ言葉を呟いたのだ。
都会の真ん中だというのに、一瞬むせかえるような濃い空気を感じた、鳴きやむ事を知らぬセミの声も。
きっと、にこりとした彼女もそうなのではないだろうか。
都会とは程遠い田舎の喫茶店がしっかりと目に浮かんだ。
テレビでしか見たことの無い外資系のコーヒーショップなんて、あの頃の俺らは別世界だった。
確かあの時もアイスティだったよな、と。
「懐かしいね。きっとあまり変わってないのだろうね」
「恐ろしいくらいにだよ」
お前もな、と心の中で呟いた。
主語がなくて、突拍子もないその語り癖。
変わってないし。
幼い時から一緒に過ごしたあの町だけど、あの18歳の夏から彼女は消えた。
最後にあったのはそう、あの喫茶店。
定年退職した教員が家を解放してくれた塾のような受験生の集いの場からの帰り道。
あまりの暑さに、涼んでいこうと誘ったのは俺からだった。
浮かれてる場合じゃないないのは百も承知。
告白するつもりなんて、これっぽっちも無かった、はずだった。
少しだけでも一緒にいたいそんな邪な考えがあっただけだったのに。
グラスを持つ手
ストローから吸い上げコクリと動いたその喉元。
みた瞬間、思わず口に出かけた言葉を遮ったのは先ほどと同じ俺のアイスコーヒー。
カランという氷の崩れる音だった。
――好きだな、その音――
自分の事を好きだと言わるのかと思って、一瞬で跳ね上がった心臓。
出かけた言葉は引っ込んでしまった。
きっとそのタイミングじゃなかったんだろうと思いなおした。
馬鹿だ。
大馬鹿だ。
初恋をこじらせるって相当きついって事、あの頃の俺に教えたくてたまらなくなる。
「実はね、あの日の朝に言われたんだ。引越しの事――」
あっけらかんと話すのはあの日からの顛末。
父親が本社に栄転、準備期間が1カ月あったけど7月の末に告げられたから夏休み中には引っ越しが決まってしまったのだと。
みんなに別れを告げず、当時仲の良かった友人にしか伝えずに転校していったとのこと。
「言おうと思ってたんだよ、弘毅には。でもなんでだろうね、言えなかった」
言わなかったじゃなくて、言えなかった。
この違いは意味があるのか、考えすぎか。
「美咲は今幸せか?」
こんな言葉が口にでたのはきっとあの時のように喉元を見つめてしまったからなのだろう。
「うん、凄ーく幸せ」
そう口角をあげて微笑む顔は恋をしていたあの時と同じ。
聞かなきゃ良かったと思う半分、幸せで良かったと思うが半分。
少々複雑な心境だ。
「それにしても、驚いたよ。まさか美咲に東京で会うとは思わなかったよ」
一瞬過った気障な言葉。
”運命”だったりして――
へたれなのだろうか。
きっとちゃかしてしまえば言えたのだろうけれど、これが現実だ。
しかし、美咲はしれっと言ったのだ。
「私は弘毅にいつ会えるかなと思ってたよ。沙希から聞いてたからね、弘毅がこの駅を使ってる事」
すーっと吸い上げた残りのアイスティ。
口から離れたストローに淡い桃色の口紅がほんのりついていた。
「まだ、連絡とってるんだな」
夏休み明け、引っ越したと聞いてどんなに落ち込んだか。
きっと手紙がくるもんだと期待していた。
簡単に疎遠になるような仲じゃ無かったと思いたかったらだ。
俺だけじゃない、美咲も少しは俺の事――
完全にうぬぼれだったと悟ったのは受験が終わった時だった。
沙希に何度聞こうとしたか、純情だった俺の葛藤はお前には理解できないだろう。
「もう親戚がいるわけでもないからね。誰かとは繋がっていたかったからかも。忘れたくないし、忘れられたくなかったの」
「俺忘れてなかっただろ」
忘れられる訳がない、初恋の人。
混雑する駅のコンコースで突然立ちはだかった人。
顔を見ることなく右によけようとしたら、一緒に動くなんて。
その時初めて視線を向ける。
見上げられ
――弘毅久しぶり――と懐かしい声。
思い出したくても思い出せなかった声が身体に沁みる。
「人って驚くと固まるのな」
通勤通学でごった返す場所で迷惑極まりなかっただろう。
でも、本当に時が止まったかと思ったんだ。
「呆けた顔、懐かしかった。やっぱり弘毅だって。同時に覚えててというか、私って分かってくれったほっとしたよ」
お互いの仕事場が駅を挟んで反対側だと言う事を知り、こうしてランチをしている俺ら。
どうでもよい話を一巡した後、やっと再会の場面の話だなんてな。
昔っから、美咲と話してると話が飛びまくる。
久しぶりなのに、こうなんて言うかちぐはぐなのに心地よい会話。
やっぱり、俺のタイプの根本は美咲なのだとしたくもない再確認。
凄ーく幸せ、か。
無性に切なくなってきた。
俺のパスタも美咲のサンドイッチも、もうとっくに無い。
テーブルにあるのは、あとほんの少しの美咲のアイスティと飲み干したくないと切に思った半分残った俺のアイスコーヒー。
グラスについた水滴がツーっと側面をつたいコースターに沁みを広げる。
目の端に映る、美咲の左手が返り腕時計を確認した。
夢のような時間はもう終わりが近づいていた。
仕方なくグラスに手をかけた。
その時
カラン
と氷がハネタ。
「うちさ、母さんが流行りのタンブラー買っちゃってね。この澄んだガラスの音がしないんよ。というか自分でこの音を聞きたいがばかりにグラスに氷を沢山いれて飲み物注ぐのにめったにその音が聞けないの。好きなのに、簡単に聞けないってどんだけだよって。でも、弘毅といると一日にといわずものの数十分で2回も聞けるなんて。弘毅は昔っから私のツボを知ってるね」
美咲はそらすことなく真直ぐを俺をみていた。
照れくさくて視線を手にかけたままのグラスに向けたのは俺の方だった。
同じだよ。
お前が好きだと言ったこの音。
月日が経つにつれ薄れゆく美咲の声の記憶。
顔ははっきり思い出しても声だけはまぎれていったんだ、雑踏と共に。
だから、最後に会ったあの日美咲が好きだと言ったその音を聞きたくて。
家族に呆れられながらも俺は冬でもアイスコーヒーを飲んでいたほどだ。
そんな俺でもめったに聞けなかったけど。
美咲の前でなら出来るんだな。
「美咲だって俺のツボだよ」
そう、身体の奥底にあるそのツボを押せる唯一の人だよ。
じゃあそろそろ行こうか。
そう言いながら、美咲はポーチから財布を取り出すときっちり自分の勘定をテーブルに並べた。
美咲らしい。
俺はまるで自分の想いを断ち切るかのようにコーヒーを飲み干すとテーブルに置かれた小銭と伝票を手に取った。
一本裏路地に入ったこの喫茶店はどこかノスタルジックだ。
都会の真ん中に取り残されたかのようなこの一帯。
毎日使う駅の近くといえど、反対口って案外知らない場所ばかりだと思った。
「ここね、先輩に教えてもらったの。初めて来たときあの喫茶店を思い出した。もし、弘毅に会ったら一緒にきたいって思ったんだよ」
正直、それ以上言わないでくれって。
相手がいるだろうお前にもうこれ以上想いを残させてくれるなと。
そういえば美咲、俺に恋人がいるかなんて事聞きもしなかった。
正直聞いたところでと思ったのかもしれない。
聞かれたとしても、俺も素直にいないと言えたかわからない。
それくらい、初恋こじらせはひねたものなのだ。
「俺も美咲と一緒にいたせいか、最近思い出さなかった風景が目に浮かんだよ。夏でも涼しいうっそうとした森とか、洋介の家の畑から貰った小さなスイカを冷やしたあの小川とか、うっとおしいくらい狂ったように鳴いてるセミとか――――。あの喫茶店で聞いた氷の音とか。いつも一緒にいたオンザ眉毛のおかっぱ美咲をね。懐かしかった、もしまた見かけたら声かけてよ。俺も声かけるから、じゃあ」
自分で言いながら泣きそうになった。
胸の奥から苦い塊が押し寄せてくるような。
喉が苦しくなる。
最後に笑えただろか。
次の約束なんてしたくなかった。
不毛すぎるから。
今日は特別だ、数年ぶりに会った旧友として。
きっと美咲はあの時のようにあっさり”じゃあね”って言うと確信していた。
だってあの美咲だから。
でも。
俺より泣きそうな顔していたのは美咲だった。
そして、わずかに聞こえたかすれた声。
「もう一度」
「えっ?」
思わず聞き返したくらい。
――もう一度聞いて。さっきの――
喫茶店の中にいた時のように美咲の視線は真直ぐ俺へ向いていた。
さっきの。
その言葉はあの言葉しか思い浮かばない。
踊り始めた心臓を落ち着かせるように、ひとつ息をつくと
「美咲、今幸せか?」
一呼吸じゃ落ち着いてくれなかった俺の心臓。
真直ぐ射ぬかれたような美咲の瞳からさっきのグラスの雫のようにゆっくりと涙が零れた。
「今はちっとも幸せじゃない。だって弘毅と、弘毅と一緒の時間が終わっちゃうから」
朝の比じゃない。
カチンコチンに固まってるぞ、俺。
そう長くはない人生だけど、こんな短時間に2度も固まるなんて。
冷静になれ、俺。
じゃあなんだ、さっきのあれは。
今は幸せの今って。
主語入れてくれよ。
修飾語もな。
”弘毅と一緒の”今が凄ーく幸せって。
解凍されたされた俺は美咲を囲い抱いていた。
この8年、俺も家族もヤキモキした遅すぎる成長期で伸びた身長。
逃がさないように美咲の頭に顎をのせ、ヘタレ返上だ。
「俺、今凄く幸せ。美咲がこの腕の中にいるから」
久しぶりに書いてみました。誤字脱字は笑って許してくださいませ^^