第六話 『世界樹の迷宮』一階層、一日目~初めての狩り~
俺は今、『世界樹の迷宮』の前に立っている。遠くから見た時は木造バベルの塔といった感じだったんだけど、間近で見ると天まで聳える木の壁だ。
目の前に聳えるその壁は、木の根が集まって出来ている。太い木の根の間には所々に隙間があり、そこから迷宮の内部に入れるようだ。
この迷宮の入り口はグルっと全周囲に無数に開いていて、南側の外壁には一階層から5階層までの入り口だけが存在している。
だから南側にいる俺の目の前には、一階層の入り口が並んでいる訳である。うん、それはいいのだ。問題は……視線を上に向けると二、三十メートル上方に二階層の入り口らしき隙間がたくさん見えるんだけど……これ、どうやって入るの? 登れってか?
さらに視線を上に向けると、三階層、四階層、最後に五階層の入り口らしき隙間が見える。確かに見えるんだけど、これ可笑しいだろ? 五階層の入り口なんて霞んで見えるよ? 百メートル以上ありそうなんだけど、どうすんのこれ? 六階層以降なんて、考えたくもないね……。
まあ、一階層をクリア出来たらベソルに方法を聞いてみよう。多分、「登れ」で終わりそうな気がするけどね。
気を取り直して、まずは一階層だ。
目の前には一階層の入り口が無数にある。これだけ入り口があれば、内部で他の探索者と遭遇する可能性はかなり低いと思う。塔の大きさから考えて、内部の広さも尋常ではないだろう。迷宮内に侵入する際に人の気配に気を付けておけば、そうそう他の探索者に絡まれる心配はなさそうだ。
俺は適当な隙間を選んで迷宮に侵入した。もちろん無理をせず、一階層からだ。どうせ二階層には登れそうにないしね。
迷宮一階層の中に入ってみると、その内部は入り組んだ迷路の様な構造だった。壁も床も天井も、全てが木の根で出来ていて、道幅は意外と広く大凡三メートルくらいだろうか。
一面に広がる木の根には小さな隙間が無数にあり、そこから光が漏れているので迷宮内部は比較的明るい。迷宮の奥深くに進んでも明るさは変わらないので、恐らく外からの光ではなく、魔法の光か何かだと思う。
道をしばらく歩いていると、分かれ道が現れる。一階層に入ってからずっと、この繰り返しだ。再び外に出れるか不安になってくる。
しかも迷宮の道は真っ直ぐではなくグネグネと曲がっている為、方向感覚が狂い易い。さらに曲がりくねった道の壁が邪魔で、先の方は目で確認する事が出来ない。
俺は忍び足で、周りの音に気を配りながら慎重に進んでいった。
小一時間程歩いていると、前方に生き物の気配を感じた。息を殺してゆっくりと近付いていくと、「ギャギャッ」という鳴き声が聞こえてきた。ついにゴブリンを発見した。
そう、俺の最初の相手は、多くのゲームでやられ役としてお馴染みのゴブリンである。
生まれて始めて目にする魔物だった。ゴブリンの情報は事前にベソルから聞いていたが、想像以上に気持ちが悪い。
背丈は一メートル前後で、二足歩行をする比較的小さな魔物だ。異様に曲がった腰骨と、深い緑色の肌が特徴的である。腰布だけを身に纏い、棍棒を手に握っている。今はこちらに背を向けている為、顔は良く見えない。
『ゴブリン』の強さはどの程度なんだろうか……ん?
『ゴブリン(Lv1)』……筋力Lv1 柔軟性Lv1 速度Lv1 魔力Lv1 緑の小さな魔物。特徴? キモいだけ。能力はオールLv1、はっきり言ってザコよ、ザコ! 一般人でも楽勝~。 同じオールLv1のあなたでも戦えるんじゃない? プププッ。
――ウザいのがまた出てきやがった。勝手に言ってろよっ、クソ! ゴブリンくらい、簡単に仕留めてやるよ!
いかんいかん、冷静にならなければ……こいつの言う事を気にするなっ。今はそれどころじゃない。
まあ、ヘルプ機能には感謝してやるよっ。自分の『ステータス』以外でも使えるのは便利だし。
このウザささえ無ければな……なんかストーカーっぽいけど、こいつ他にやる事無いのか?
『告』……暇なのおぉぉ!
うるせえ!
はあ……とりあえずベソルの話しを聞く限り、ゴブリンはゲームのイメージそのままの感じだ。
ベソルから得た情報では、ゴブリンは小柄で動きが早いのだが、打たれ弱い。慣れればショートソードの一撃で仕留める事が可能である。ただし小柄な割りに棍棒の一撃は強力な為、相手の攻撃を食らうと危険だ。
よってゴブリンを相手にする時は、身長差によるリーチの差を活かして、先手を取る事が肝心だそうだ。
そして『世界樹』のヘルプが示す能力はオールLv1だった。恐らく同じLv1の中でも幅が大きいんだろう。ん? つまり『世界樹』のヘルプって、ウザいだけで自慢してた割りに役に立ってないって事だよね……。
『世界樹』さんや、この辺、如何お考えでしょう?
……
やっぱり無視かよ!
邪魔だから、そのまま暫く引っ込んでろよな。
幸い、ゴブリンはまだこちらに気付かず背中を向けたままだ。
俺は気付かれない様に、壁際に沿ってこっそりとゴブリンに近付く。
残り五メートルを切ったところで、ショートソードを両手で握り締めて飛び出した。
そして、ゴブリンの背中目掛けて全力で斬り付けてやった。
背中から斜めに斬り裂かれたゴブリンは、呻き声をあげて大量の血を噴き出しながら倒れ伏す。
うつ伏せに転がるゴブリンはビクビク痙攣していたが、すぐに動かなくなった。
俺は生まれて始めて、この手で生き物を殺した。斬った感触が手にはっきりと残っている。
魔物だと割り切っていたつもりだけど、手足の震えが止まらない。
だけど、それだけではない。同時に何か、えも言われぬ高揚感も感じていた……。
これが魔物を狩るという事。
このままずっと魔物狩りを続けていけば、やがて恐怖は麻痺して、手足の震えは無くなるだろう。
そして、昂る気持ちだけが残っていくのだと思う。
この高揚感に引きずられると危険だ。道を踏み外すかも知れない。
自分を見失わないように、目標をしっかりと意識していこう。
今は借金返済と魔法書購入、そしてベソルの攻略だっ。
うん、動機は不純な方が人間味があって良いと思う。
気持ちが落ち着いてきた俺は、未だにショートソードを握り締めて踏ん張っていた事に気付く。
俺は手の力を緩めて剣先を下ろし、大きく深呼吸をした。
まだ手足の振るえは納まってないけど、気分は落ち着いてきた。もう大丈夫だ。
そして、ふと横を向くと――ゴブリンと目が合った。
呆然と見詰め合う、ゴブリンと俺。
ゴブリンの顔はシワだらけで、大きな鷲鼻が特徴的だった。
笑っている様な形をした目の中から、真っ赤な瞳がギョロっと覗き、じっと俺を見詰めている。
俺が斬り殺したゴブリンは、当然横たわったままだ。
どうやら、一匹ではなかったらしい……。
先に動いたのは、ゴブリンの方だった。
ゴブリンは俺に向かって飛び上がり、棍棒を振り上げる。
そこから俺の頭を目掛けて振り下ろされる棍棒が、スローモーションで奇跡を描く。
視界の隅には、細い脇道があり、その先に他にもう一匹のゴブリンが映し出されていた。
次の瞬間、強烈な痛みと熱さ、そして何かが砕ける様な音が頭の中で聞こえた気がする。
「オゥフッ」
薄れる意識の中で、俺は自分の愚かさを呪うしかなかった。
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意識を取り戻した俺は、辺りを確認する。どうやらここは、迷宮の外の様だ。
俺は迷宮の外壁をなす太い木の根の隙間に挟まっていた。繭に閉じ込められてはいないけど、この世界に転生して来た時に似た状態だった。
迷宮で死んでしまった場合は、飲み込んだ『帰還の魔石』が発動して、身体が瞬時に分解されて魔力体となり四散する。砕け散った魔力は迷宮の外に飛び出して、再び集まって魔力体を成す。そして周囲から魔素を取り込んで蘇生に必要な魔力に変換、肉体を再構築して蘇る。
これがベソルから教わった蘇生に関する解説だが、正直言って全く理解出来なかった。実際に蘇生を経験してみると、やはり良く分からない……。
ただ、意識が消えていく時、何かがフワッと広がった様な感覚だけは覚えている。これが魔力なのかも知れない。身体だけでなく心にも沁み込んで来るような得体の知れない感覚だったけど、不思議と不快感は無かったと思う。
また、『帰還の魔石』が正常に機能するのは五階層までだ。もし六階層より上の階で『帰還の魔石』を使用した場合、悲惨な事になるようだ。
どうやら六階層より上では迷宮の魔素濃度が高すぎて、分解された身体が迷宮から脱出出来ないらしい。よってある程度時間が経つと、迷宮内の各地でそのまま復元される事になる。つまり、迷宮内でバラバラ殺人事件の現場が出来上がってしまうらしい。運良く蘇生に成功したとしても、手が無かったり、足が無かったり。多くの場合は意識が戻る前に再び魔物に殺されるのが救いとか、勘弁してほしいね……。
そういう訳で、六階層に上がる前に専用の薬を飲んで、『帰還の魔石』を取り出すそうだ。それって下剤のようなものだよね。取り出した『帰還の魔石』は下剤の代金の代わりとして回収されるらしい。回収してどうするのかは、怖くて聞けなかった……。
ベソルからは、魔石代はいくらでも貸すから新人の内に色々試してどんどん死ねと、笑顔でありがたいアドバイスを貰っていた。
死ぬのは想像以上に苦しかったし、痛かったし、怖かった。『帰還の魔石』には鎮静作用が付加されていると聞いていたけど、今でもまだ震えが止まらない。
出来ればあまり死にたくないと思う俺は、小心者なのだろうか……。
俺は気怠い身体を起こして、自分の右手を確認した。しっかりとショートソードを握っている事を確認して、ホッとする。緊張して硬く握り過ぎていた事が幸いしたのだろう。
死んだ時に身に付けていた物は、全て一緒に戻って来る。逆に言うと、手から離してしまった武器等は戻って来ない。借金だらけの俺には、新しく武器を買う余裕などないのだ。
しかし『帰還の魔石』はまた飲み込む必要がある。また借金が増えると思うと、少し憂鬱だ。
いかん、弱気になっては駄目だ。まずは状況分析が必要だ。
今回の敗因は、完全に俺の油断だったと思う。
戦いの後にその場で硬直していれば、殺してくれと言っている様なものだ。
そもそも最初から、ゴブリンは一匹ではなかったのだろう。
俺はゴブリンが一匹だけだと思い込んで、辺りを確認せずに斬り掛かったのだ。
これでは死んで当然である。
敗因ははっきりしている。後は対策手段だ。
今日の狩りはこれで終わりにしよう……死ぬのはやはり精神的にキツイ。
まだ早いけどギルドに行って、ゴブリンの狩り方についてベソルと相談しよう。
このままではゴブリンが複数いた場合、絶対に勝てない。
俺は重い足を引きずってギルドへと向かった。
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ギルドに着くとすぐに、ベソルが迎えに来て談話室に案内された。
俺は迷宮での失敗を、包み隠さず正直に全て語った。ベソルはいつもの優しい笑みを浮かべながら、俺の話しを黙って聞いてくれた。
「そう、残念だったわね。ゴブリンは単独で行動する事はあまりなくて、常に二匹から五匹くらいで行動するの」
えっと、ベソルさん? それは先に言って欲しかったです……。
だけど、聞かなかった俺も悪いんだよな。
そもそもゴブリンはオールLv1のザコだ。何匹いても普通の人は苦戦しないのだろう。言ってて悲しくなるな……。
兎に角、俺の弱さで可能な作戦を考えないといけないな。
「帰還の魔石の事なら大丈夫よ。安く譲って貰える様に交渉してきたから。辛いとは思うけど、頑張って。今はお金の事は気にせず、どんどん死んで強くなってね」
ベソルは一言の文句も言わず、満面の笑みを浮かべて魔石代を肩代わりしてくれた。裏でも俺の為に色々と動いてくれているようだし……ありがとう、ベソルさん。
俺はベソルの期待に応える為にも、強くなるのだ!
死ぬのは嫌だけど……。
「問題は明日からのゴブリン狩りの方法よね。そうねえ……」
俺達二人は、複数のゴブリンに対抗する手段を話し合った。そしてベソルが思い付いた案を元に、俺にも出来そうなゴブリン狩りの方法を編み出す事に成功した。この方法なら俺でもなんとか出来そうな気がする。
自然と湧き上がる笑みが止まらない。俺達はニヤニヤしながら硬い握手を交わした。二人共、人にはとても見せられない、悪い顔をしていたと思う。
どうやらこれで、明日からのゴブリン狩りに光明が差して来たようだ。
ゴブリン狩りの相談を終えた後、ベソルは新しい『帰還の魔石』を取ってきてくれた。
俺が自分で親指にナイフを刺そうとすると、ベソルが悲しそうな顔をしたのでここは任せる事にした。
その結果、先日と同じように俺の親指からはドクドクと血が溢れている。そんな光景をベソルはうっとりと眺めていた……。
どうもベソルは、少し手先が不器用なのかも知れない。可愛い欠点だ。
魔石が血を吸って赤く染まり血の登録が完了すると、俺はそれを手に取って飲み込んだ。
ベソルは俺のノートに借金を追記して、お皿を片付ける為に足早に席を立った。
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先日からの繰越金額 -1,500エール
帰還の魔石 -450エール
今日のお小遣 -20エール
残高 -1,970エール
目標金額
魔法書 5,000エール
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ありがたい事に、帰還の魔石が少し安くなっていた。しかしこのままでは借金が増える一方だ。
明日はゴブリンを狩って、少しでも借金を返してベソルを安心させてあげよう。
戻ってきたベソルは、頬を赤く染めて上気した顔をしていた。実に色っぽい。
「お待たせ。今日はゆっくりと休んで、明日は頑張ってね」
ベソルは潤んだ目で俺を見詰めて、昨日と同じように俺をやさしく抱きしめてくれた。
すると昨日と同じ様に、俺の身体から急激に力が抜けていく。ベソルの抱擁は、俺の身体から無駄な力を取り除いて、緊張を解してくれるようだ。
ベソルの恍惚とした表情は妖艶で美しく、少し涎が垂れている処が実に可愛らしい。
足に力が入らなくなった俺は、ベソルにもたれ掛かるように縋り付いて、その柔らかい感触を全身で堪能した。
汚れた革鎧を脱いでおいて、本当に良かった。
お小遣い二十エールを貰った俺は、幸せそうな顔を浮かべるベソルに見送られて、宿に向かった。
今日は昨日よりも、さらに足取りが重い。死んで帰還すると、体力と魔力を大幅に消耗するのかも知れない。
夕食までは、まだまだ時間がある。俺は宿に帰って一寝入りすることにした。