第十八話 『世界樹の迷宮』四階層、一日目、恐るべしスライム、ミツグと魔力体
今日から四階層にチャレンジだ。よって、今日も元気に木登りだ……。
四階層入り口の高さは推定百メートルオーバー。落ちたら普通は死ぬ。
しかーし、死なないらしい。過去にも死んだ探索者はいないそうだ。
これはココに聞いた話しだけど、向かう階層でやっていけるレベルに到達している探索者なら、落ちても大丈夫だそうだ。そのくらいレベルアップの恩恵は大きいという事だ。
ココ曰く、「少しくらいは怪我をしたり、打ち所が悪ければ骨にヒビが入るかもねっ」という程度らしい。
恐るべし異世界クオリティだ。
半信半疑でココの話しを聞いていると、「信じらんないなら、試してみる?」と言ったココに突き落とされそうになったので、全力でしがみ付いてやった。
真っ赤な顔をしたココに簡単に引っ剥がされた上に投げ飛ばされてしまい、かなり痛い思いをしたけれど、後悔はしていない。
確かに革の胸当てが邪魔だったのは残念だったけど、ココらしい健康的ないい匂いを楽しめたので満足だ。しかしこれからは、もっと組み手や寝技の特訓する必要性がある事を痛感する事件であった。いや、その前に受け身の練習だな……。
それにしても、照れたココの反応は熾烈だった。初心で可愛らしいとは思うんだけど、気を付けないと俺が死んでしまいますよ?
怖い思いをしつつも何とか四階層に到着した俺は、後ろを振り向く事なく、そのまま迷宮の奥へと向かう。里の南地区全域を上から見下ろす景色はさぞかし絶景だろうと思う。ただし足場の悪い百メートルオーバーから下を覗く勇気があればの話しだ。もちろん俺にそんなものはない。
奥に進むと、そこには石造りの道が続いていた。床も壁も天井も全てが石造りであり、天井の高さは三メートルくらいだろうか。空気はじめじめしていて、耳を澄ますと水滴が垂れるような音が聞こえてくる。まさに迷宮、といった感じである。
この四階層に住む敵は、スライム。ファンタジーものでお馴染みの雑魚キャラである。所々にある水溜りに紛れているらしく、突然襲ってくるらしい。
しかし今の俺には『魔力感知』のスキルがある。ある程度の距離まで近付けば魔物がいるかどうかくらいは簡単に判別出来る。恐れる事はない。
ベソルから聞いた情報では、スライムは単純な物理攻撃では倒せないらしい。攻撃魔法、或いは武器などによる攻撃系統の特技が必須であり、今の俺では倒す事は不可能である。
低階層にも拘らず常に特技を使う必要があるこの階層は、殆どの探索者から毛嫌いされるらしく、四階層をスルーして五階層に向かうのが普通の対応だそうだ。もちろん俺もそのつもりである。
だけど一度くらいはスライムと戦っておきたい。と言うのも、将来的にはスライムを倒せるようになる事は絶対条件だからだ。
上の階層で出てくる魔物の多くは障壁を持っているらしい。そしてこの障壁は、スライムと同じく特技でしか破る事が出来ないそうだ。
つまり最低でもスライムを倒せるようにならなければ、探索者として生きていく事は不可能という事だ。
俺もスライムを倒せるようになる必要があるし、その為にもスライムがどのような魔物なのか見極める必要がある。
幸いにも俺には『魔力感知』のスキルがあるので、スライムの魔力の流れをじっくりと観察してみようと思っている。何か特技に繋がるような有益な情報が得られるかも知れない。
俺はスライムらしき魔力を感じる方向に、石畳の上を歩いて進んだ。しばらく歩いていると、前方に水溜りを発見した。
水溜りから強い魔力を感じる。よく目を凝らして見ると、水溜りの中に何かがいるのが分かった。魔力を感じる部分をじっくりと観察すると、魔力が体内で不規則に蠢いているのを感じる。
これが『魔力感知』の効果なんだろう。元々漠然とは感じられていたけど、今は魔力が流れる方向や強さまではっきりと感じる事が出来る。
俺はいつものようにスライムの情報を意識してみた。しかし、やはり見る事は出来なかった。『ウザい樹』との繋がりが完全に消えてしまっている。自身の『ステータス』は見る事が出来るけど、他の情報を得る事が出来なくなってしまった。恐らくこの他者の情報を読み取る力は『ウザい樹』の力だったんだろう。
しかし、アイツ、何所に行きやがったんだろう。肝心な時にいないとは使えない奴だ。何か気に障る事を言ったかなあ……いや、特別酷い事を言った記憶はないし、完全に拒絶したりした事もない筈だ。
あれだけ煩かったのがいなくなると、少し寂しさを感じてしまう。まあ、すねて引き篭もっただけならその内帰ってくるだろう。今はスライムに集中しなくては。
さらにスライムに近付くと、スライムの魔力の動きが活発になって方向性が生まれてきた。俺を感知して攻撃態勢に移ったんだと分かる。
スライムをよく見てみると、各所から丸っこい半透明の小さなものが漏れ出しては中に戻って行っている。これが魔力!?
恐らくは、この米粒くらいの球体が魔力の正体だろう。スライムの身体は透明な水みたいなものなので、よく目を凝らして見ると、大量の球体が体内で動き回っているのが分かる。少し気持ち悪い。
スライムから感じる魔力の動きと、目で見える球体の動きが完全に一致しているので間違いなさそうだ。
しかし、この生物は少し特殊かも知れない。動き回る魔力自体から個別に強い志向性を感じるけれど、全てが統率されたような感じが全くしない。恐らく個別の魔力体そのものがスライムの本体だ。
相手が魔力自体であれば、普通の攻撃では全く意味を成さないのも頷ける話しだ。
それでも俺はスライムに攻撃を仕掛ける事にした。この魔力体がどのように反応するのかが気になってしまう。見た限りでは移動能力は低そうなので、いざとなったら逃げればいい。
さらに接近した俺は、スライムが攻撃に移る前に先制攻撃を仕掛ける。
「おりゃ!」
右手に持ったゴブリンバットを全力でスライムに叩き付けた。
するとスライムは、ベチャッと弾けて飛び散ってしまった……。
何だこれ?
飛び散ったスライムの液体の破片の中で、魔力体は不規則に暴れて回り……そして動かなくなった。
え? これで終わり?
俺の攻撃にはもちろん、魔力は込められていない。何とも拍子抜けだ。
傍から見ると、まるで水溜りで遊ぶ子供みたいだろう。少し恥ずかしくなってきた。
などと余裕ぶっこいて考えていたら、スライムの魔力体が再び動き始めた。散らばった破片の中で魔力体がコマのように一定方向にクルクル回り始め、高速スピンに変化した。すると周囲の魔素が急に集まり始め、魔力球がそれを吸収して肥大化した。そして、なんと分裂して新しい魔力体を吐き出した!
吐き出された魔力体も回転して、どんどん増殖していく。
なんか、物凄く嫌な予感が……。
しかし、逃げ出す時間は無かった。増殖した魔力体は新たな水みたいな身体を作り出して、元のスライムの大きさに戻ってしまった。この間、約十秒。ありえない程の高速再生である。
しかも飛び散ったスライムの破片は無数にあった筈。つまり……俺の周囲には、数え切れない程のスライムが溢れ返っているのだった。これは、またしても死亡確定?
いや、全力で抜け出してみせる! これまでの特訓の成果を見せるのだっ。
俺は後ろを振り返り、瞬時に逃走を計る。
しかし、いつの間にか全方位にスライムが展開していた……。
それでも後方は、スライムの層が薄い。多少の被弾は覚悟して、走りぬけようとしたその時!
上からスライムが落ちてきた……。
いつの間にか天井を張り巡らせていたスライム達が、俺を目掛けて飛び掛ってきた。
水のような液体で出来ているスライムは、どうやっても引き剥がせない。
うぉ、顔にベットリとへばり付いてきたスライムのお陰で、息が出来ない!
暴れる俺を嘲笑うかのように、スライムの魔力体が激しく振動し始め、水みたいな身体が白く泡立ち始めた。
嫌な予感が当たったらしい……。
ぐおっ! 熱い! 痛い! 俺の体もシュワシュワ泡立って、溶けていく!?
「ボブプッ……」
パニックを起こした俺は、肺の中の空気を全て吐き出してしまう。
そして酸欠からか、或いは度を越えた恐怖からか、意識が無くなった。
暫くして目覚めた俺は、迷宮の外壁を成している木の根の隙間に挟まっていた。
全裸で……。
スライムの体液が泡立った時、明らかに性質が変化していた。
服も靴も革鎧も全て、俺の身体と一緒に溶けて無くなったんだろう。
全てを瞬時に溶かす体液、あれがスライムの攻撃、特技なのかも知れない。恐るべし、スライム。
しかし、今までにない最悪の死に方だった。
全身を溶かされながらの溺死、トラウマになりそう……。
俺は『アイテムボックス』から替えの服を取り出して着込む。このままだと変質者と間違われて、通報されてしまいかねない。
服を着込んでから、改めてスライムの事を思い出す。魔力の正体である魔力体、その動きをはっきりと見る事が出来た。これは今後の特技会得に向けて、とても参考になったと思う。無駄死にでは無かった筈だ。
飛び散ったスライムの破片が復活する際に見せた魔力体の高速スピン運動。周囲の魔素を取り込んで分裂していた。これを応用出来れば、俺の魔力も一気に回復する筈だ。
俺は自身の身体に流れる魔力を強く意識する。うん、初期のスライムと同じ様に不規則に魔力が動いているのが分かる。魔力量は限界値の半分くらいだろうか。恐らく『帰還の魔石』による蘇生で半分くらいの魔力が使われたんだろう。
まずは魔力を回復させる為にも、スライムの高速スピンを意識して実戦してみる。個別の魔力体をその場で回転させるイメージだ。
最初はゆっくりと回すように意識すると……意外と簡単に出来てしまった。俺は徐々に魔力の回転速度を上げていく。
ある程度回転速度が上がってくると、周囲の魔素が俺の周辺に集まり始め、俺の身体に吸収されていった。
成功だ。スライムみたいに爆発的に増殖させる事は出来ないけど、少しずつ増えていっているのが分かる。
しばらく続けていると、分裂して弾き出された新たな魔力体の一匹が、俺の身体から飛び出して、慌てて戻っていったのが見えた。
何だ、今のは……。
俺の魔力体はスライムとは異なり、半透明ではあったけど、球体ではなかった。明らかに人の形、それも俺そっくりだった気がする。
注意深く観察を続けていると、時々弾き出された魔力体が身体から飛び出しては戻っていった。どれもこれも、俺そっくりだった。ただし、足がない。
飛び出した魔力体は、何の冗談かまるでフィギュアスケートのトリプルアクセルを飛んでいるかのような格好で回っていた……。
そしてこの俺そっくりな魔力体は、スライムのものより一回り大きく、マッチ棒くらいだった。魔力って何なんだろう……謎は深まるばかりだ。
魔力体のスピン回転を維持して三十分くらいすると、俺の魔力が上限に達した。素晴らしい成果だ。
最初は気持ち悪く感じていた俺の魔力体も、見慣れてくると可愛いく思えてきた。言ってしまえば、魔素で出来た俺そっくりな、俺の分身体みたいなものだ。
分身共よ、仲良くやっていこう!
これで今後は魔力を使い果たしたとしても、三十分程度で回復する事が出来る。魔力が使い放題、これは俺にとって大きなアドバンテージになったと思う。
まあ、攻撃に役立つ特技が手に入らないと、全く意味がないんだけどね。はあ……。
魔力が回復した事で身体がかなり楽になったので、俺はギルド支部へ帰る事にした。
体調は回復したものの、俺の足取りは重い。
装備どうしよう……。