星に恋して 2
ベランダの隔壁を壊して以来、瞳は僕の部屋に遊びに来るようになった。
他人と関わることを避けていたはずなのに、それを許す自分に驚く。
日本語習得のためと理由をつけ一年の休業宣言をして来日し、自分の顔があまり知られていないこの国で心のリセットをするつもりだったが、思いのほかリーホンだと気付かれることに辟易していたときだったからかもしれない。僕をただの隣人としか見ていない彼女の態度は、とても新鮮だった。
そして裏表のない素直な性格の彼女の存在は、僕の荒んだ心に水のように沁みこんできた。
芸能人賀力宏ではなくただの男として僕を扱う彼女のおかげで、ひとりの人間として見られたい、そんな当たり前なことを自分がどんなに強く望んでいたかを知った。
テーブルを挟んで向かいに座る瞳が、不思議そうにリビングに置いてあるグランドピアノを指差す。
「どうしてこんなところにあるの?」
まるでピアノが邪魔な置物のような彼女の言い方に、苦笑いする。
「弾くから」
「リーホン、ピアノ弾けるの?」
まったく、誰に向かって言ってるんだ。
グランドの蓋を開け、ショパンの革命のエチュードを弾く。
「すごいっ!!」
目を大きく開けて驚く瞳を見て、欲望が身体を駆け抜けた。
そんな僕に気付くこともなく、隣に来てもっと弾いてとせがむ彼女を見つめる。
彼女を手に入れたい。 こんなにも何かを欲しいと感じるのは、いつ以来だろうか。
「くすっ、ただで聴かせろって?」
意地悪く言ってやると、彼女は「リーホンのお願いもきいてあげるから」と無邪気に安請け合いをした。
「その言葉、忘れるなよ」
意味深に笑いながら、世間では品行方正と思われている自分が、こんなに腹黒だったのかと考える。
今度はショパンではなく、自分のバラード曲を歌なしで弾いてみた。
「綺麗な曲だね」
うっとりとした顔の瞳を見て、誰かのために音楽を奏でる喜びを久しぶりに感じた。
ヒット曲を生み出す機械のように扱われ、感性が摩耗していく錯覚に苦しんだ時期が過去になろうとしているのだろうか。
音楽は僕にとって人生そのものだ。
瞳はそれを思い出させてくれた。
日本人にしては長身の、彼女の身体を愛撫するように眺める。
「瞳が欲しい」
「えっ?」
「僕の願いを叶えてくれる番だろ」
想定外の願いだとばかりに驚いて固まっている瞳を、ピアノの椅子に座ったまま抱き寄せ、そっとキスをする。
固く閉ざされたままの唇で、彼女の経験が浅いことを知る。
彼女を深く味わいたい。
この激しい欲望のまま強引に抱いてしまうと彼女を壊してしまいそうで、なんとか理性の力で身体を離す。
「意味わかるよね」
確かめる声がかすれる。
怯えたように僕を見ていた彼女が、ゆっくりうなずいた。
もう待てない。
「逃げなかった君が悪い」
瞳を抱え上げ、寝室のドアを開ける。
僕の首に腕を回し、ギュッと抱きついた瞳をそっとベッドに降ろす。
額から目、頬、とゆっくりキスを落としてゆくが、本当はそんな余裕などなく、すぐに瞳の中に入りたかった。
こんなにも性急に女性を求めたことなどない。
今すぐひとつにならないと、どうにかなってしまいそうだ。
だけど彼女を傷付けたくはない。
「初めて?」
一瞬呼吸を止めて僕を見たあと、ううんと言う返事を聞いて、なぜか目の前が白くなった気がした。
どんな男が瞳を抱いたんだ。
勝手な言い分だとわかっているし、過去のことだと思おうとしたが、溢れ出る嫉妬心を抑えることはできなかった。
キスに不慣れな彼女の唇を貪るように奪い、チュニックの裾を上げブラジャーを外し、形の良い胸に触れる。
豊かな胸の重みを確かめるように掴み、その先を口に含みそっと甘噛みすると、彼女の身体が強張ったのが分かった。
「力を抜いて」
「恥ずかしくって無理」
「無理って、経験があるんじゃないのか?」
「一回だけだもん!」
一回だって? 思わず口元が緩んだ。
「今笑ったでしょ!」
「いや」
「うそつき、絶対笑った!」
機嫌が悪くなった瞳の唇に、人差し指を当てる。
「しっ、もう黙って、ただ感じてくれるだけでいい」
彼女の白い首筋にキスをし、赤い所有の証を付けた。
僕のものだ。




