交通手段は自転車
うちはうち。よそはよそ。母の口癖は常にこうだ。
だからよそのおうちの子が素敵なおもちゃをもっていようが、塾にいってようが、旅行にいってようが、だからどうした。と言われる。
咲は、母が好きだが、これに関してはちょっといいたいことがある。いいなあと思うのは悪いことではないはずだ。しかし母のセリフはいつも「うちはうち。よそはよそ。うちは貧乏なんだから仕方ない」とくる。
確かにうちは裕福ではないのはわかっているけど、そもそも小学生だった咲に現実をみろといわれても困る。うらやましいと思ってもしょうがないだろといいたい。
そんな我が家の交通手段は自転車だ。車なんてとんでもない、電車も必要があるとき以外は乗らない。歩ける距離ならバスに乗るな。ときたもんだ。
幼少時からそんな生活を送ってきたから、咲も基本的に歩くか自転車かの二択になる。友人がバスに乗るところも距離的にいけそうなら、「現地集合現地解散で」が基本でそんな咲に友人は呆れながら「またなの」といいつつも慣れたもので「じゃあ10時に駅前ね」とひらひら手を振りながら帰って行った。
そんな生活でも咲は、自分も自分の家も卑屈に思ったことはない。母のあっけらかんとした態度や「ないものは仕方ない」という兄の淡々とした物言いに、他の家がうらやましいとは思っても、最終的には「まあしょうがないか」で納得するからだ。そもそもうらやましいと思っていたところでもその家になれるわけでも、お金が入るわけでもないのだから。
しかも交通手段である自転車は咲の性格に合っていた。普段ものを買わない母が先行投資といって、それなりに良い性能の自転車を買ったおかげで、スピードもでるし、頑丈だ。
駅と駅をショートカットできはっきり言って道さえ知っていれば電車よりはやいこともある。待ち時間もないし、人ごみとも無縁だ。自転車を止める場所が困ることが多いが、それも事前に調べておくし基本困らない。なにより踏み出して、風をきって走る感覚がたまらなく好きだ。だから、出かけるときは行く場所も楽しみだが、その場所まで行く順路を考えるのも楽しみだ。一粒で二度おいしいとはこのことをいうのだと最近習ったことわざを友人に使ってみたら、そんなことでドヤ顔すんなと怒られた。
「そもそもさあ。咲はそんなところはどうでもいいのよ。」
綾子が言った。はっきりとした物言いのこの友人は咲にとってとても気を使わない大切な友人の一人だ。女子に限らないかもしれないが、女子の集団というものは大抵右ならえ、空気読もうねからはずれると変わり者扱いされる。咲がお金がないから、最寄駅じゃなく目的地の駅まで自転車で行くといったときに一緒に行くはずだった友人たちは「えっなんで」といった目でみてきたし、「そこまで貧乏なの?」と失笑したが綾子だけは「あっそうなんだ。じゃあ、10時ね」とあっさり了承した。そして、咲が誰よりも早く着いて待っていると「えっ、何時に家でたの?家から30分?はー、意外に近いのね」と言っただけでそれ以上もそれ以下もなかった。ただし、咲が自転車の素晴らしさを語っても「わたしは日焼けと汗をかくのが嫌だ」と非常につれない返事をくれたが、母の口癖である「うちはうち。よそはよそ」と同じで自分とは違っていても、そうなのかですませる綾子を好きだと思うようになった瞬間だった。
「えっと何がだめなの?」
咲が聞くと綾子はしかめっつらで語りだした。
「自転車も貧乏もいいけど、小奇麗であることは基本なのよ。なにも流行りを着ろとはいわないし、私たち学生だし化粧しろとはいわないけど、そのお兄さんのおさがりの体にあわないのを着るのはやめなさい。私だっておこづかい少ないけど工夫しているしあんた裁縫もできるじゃない。リフォームとか。よくさあ大人は見た目じゃない、子供は中身って偉そうにいうけどさあ、やっぱり見た目大事だと思うんだよね。
私も流行りの洋服とか鞄とか買ってもらったとか自慢ばっかしているあのグループ好きじゃないけどさ、大人だって見た目とかでいろいろあるくせに子供には外側より中味だとか馬鹿みたいに正論ふりかざしている人間よりましだと思うんだよね。」
「えっと何かあったの?あの年離れたお姉さん?」
「お姉ちゃんは毎日私に説教してくるよ。お姉ちゃん曰く最近の子供は子供じゃないから大人と同じ感覚でいったほうがいいかとか言ってる。でもその通りだよね。最近本当に思う。」
「ストレス?一緒に自転車の・・・」
「自転車は遠慮する。」
「はい」
「そんなにダメかな?」
咲は自分の恰好を見下ろした。咲とてかわいい洋服は好きだ。が、現実的に考えてそちらに回す余裕はない。
「ダメではないがよくはない」
綾子も咲の事情を知って上で言っているのだから、おそらく見るに見かねてなんだろうということはわかった。